さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆人を変えなくて良いということ☆

はるちゃん岡田さんが 私のブログを紹介してくださったので

色んな方から申請をいただいたり、輪が広がって嬉しい限りです

初めましての方 はじめまして
登録してくださったありがとうございます
...

とくに私のように内的に生きようとしている人って

多くの人が苦手とするというか、驚異を感じるようで

私が内的に生きれば生きるほど

友人との距離ができてきたので、

いつの間にかほとんど友達がいなくなりました

私に近づくことができる人は内的な何かをつかみかけている人か

まったく内的な感覚がつぶれてしまっていて完全に麻痺している方でした

私がはるちゃんを見た時に自分が嘘物だと感じたように

多くの人が私をみると、

無意識に、うちなる自分で生きれて無い違和感を強烈に感じて怖いようです

これ頭で理解できるレベルを超えて本当にすごいんです。

スカイプで話せれば、私の声がとにかく飛ぶんです

「聞こえてる」とかどうでもいい声は聞こえても

大切な話しになると、ぜんぶ聞こえません

スカイプだと私は相手の声が聞こえるのに、

私の声はほとんどの方が聞こえないようです

LINEでもケータイでも雑音がひどくて何言ってるか

聞きとれないので、感で話しています

逆に川越スピカフェ「たまのを」のビワさんのように

内的に生きてる人と話していると

とっくに充電がなくなっているはずでも話し終わるまで切れなかったり

通話履歴が残ってなかったり不思議なことが起きても

つながり続けて、普通の電話よりもずっとクリアに声が聞こえるので驚きます

それでも、内的なことを伝えなきゃと

直接会って話したりしましたが、内的なことを話すと

相手の方が意識がとんでいるような感じにぼんやりしたりします

内的な言動と外的な言動は同じ言葉でも全く違うものなので

私の言葉は聞きとれないようで、

話をいきなりはぐらかされたり、シカトされたりしました

話したことをまるごと忘れている方も多かったです

(普通の日常会話だとこんなことが起こりません)

時代がくるのを待つしかないのかなと諦めてもいたけど

私的には外側を向いて生きる人達に潰された記憶が強烈に残っているので

外側を生きる人に恨みがあったんですね

だからそういう人を引き離していたという面もあります

最近はその記憶を思い出して感じていました

そうしたら、こうやって私に興味をもつ人が増えてくださってとても嬉しいです

内的なことを生きることは、それを封じた強烈な痛みの記憶が浮上するので

つきつけるのはかなり酷なことなんです

それに私がどうのこうのしなくても

すでに内的に向かうためのエネルギーがすごいことになっているので

いずれ否応なく向きあわないといけなくなります

どんなに言い訳しても、人が内的に生きること

それしか本当に意味で幸せに生きる方法はないですから

その人、それぞれの時期がありますしね

必要なことが起こってくるようにできていますからね

あえて変えなくていいかなと思えるようになりました

ちなみに相手を変えようとしても、状況はあまり変わりません

それよりも自分のパターンに気がついたほうが圧倒的に早いです

例えば、あのオーガズムことをネットで書いたら

ダーリンが恥ずかしがって嫌がるだろうなと思って

なかなか書けなかったんです

でも彼が恥ずかしがって嫌がるというのを言い訳にして

自分が逃げている気がしたので思いきって書きました(・∀・)

するとダーリンは嫌がっていたんですが

自分が恥ずかしいとか、そういうことは言わずに

「あんなこと書いて小久保先生の奥さんをどうにかしてやろうと

言う人がでてくる」

「こどもが出来た時に、お母さんがあんな恥ずかしいことを書いていたら

子どもがいじめられる」でした

人は多面性があるので、自分では気付いてない感情がありますが

身の回りの人がそれを代弁してくれることがよくあります

だからそれに反論するよりも

あー私、これを書くことによって

私をエロい目でみて、どうにかしようとする男の人がでてくるのが

嫌なんだーと分かること

いつか子どもができた時に、子どもに迷惑をかけるのが嫌なんだー

と分かることが大切です

その感情に気付かずに、ついつい反論して終わってしまいますが

それだと、自分の感情に気付けないので抵抗は増すばかりです

なので誰かと意見が対立したら

一旦、それを自分の意見として聞き入れてみるという方法もあります

だから相手を変えるよりも、自分を変えるほうが早いんです