さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆続・女性性が強い女性が目覚めた後☆

前々回 ☆女性性が強い女性の目覚め☆

http://ameblo.jp/sun-otopi/entry-11784586137.html ...

前回☆女性性が強い女性が目覚めた後☆の続き

http://ameblo.jp/sun-otopi/entry-11785358823.html

目覚めた後の変化で何が一番びっくりしたかっていうと

世界で一番愛しているのが自分じゃなくなったってことですね

自分がいなくなったというのがしっくりくるかもしれません

それまで、自分大好きでフェイスブックにも

自分の画像をいっぱいアップしていたし

私、こんなに幸せなのよーっていっぱい書いていて楽しかったんです

ちなみに余談ですが

自分を世界で一番愛しているのは永久不滅だと思ってましたが

バリで結婚式を挙げた時に

乗った象のタゴール君があまりにもかわいすぎて

一度だけ、私の順位を初めて超えてトップに躍り出て

ダーリンにも

「あなたより好きな人が出来た。象だけど」っていってましたが

ずぐにまた自分が一番に返り咲きました('ω'*)♪

そんぐらい自分を愛していたんですが

気が付いたら、一番じゃなくなったんですね

目の前にいるダーリンも比較できないぐらい

同じぐらい愛している

愛おしすぎて自分の中に取り込みたいぐらい

たまらなく愛している

交尾のあとにオスを食べちゃう

カマキリのメスの気持ちがよく分かる ̄m ̄ ふふ

そうなったら、その前も別にフェイスブック

幸せ自慢をしていたつもりじゃなかったんですが

別に誰かに幸せだって分かってもらわなくても

私は幸せだし、私は私のこと分かっているから

他の人にまで理解してもらう必要もないし

いちいちフェイスブックにアップしなくても

当たり前にある毎日をただただ楽しもうっと思って

1月にフェイスブックを一カ月ほど休んでました

(ちなみにフェイスブックを復帰したのは、

カラダの声が聞ける方に、私の身体の声を聞いてもらったのがきっかけです。

カラダがスピリチュアルな仕事(メッセージ発信)をしたがっていたんですね)

自分の幸せな姿を色々とアップするのが楽しいのは

よく知っているので、現在やってらっしゃる方は

どんどん続けて欲しいんですが

私は以前、苦しかったのもあって

「私、こんなに幸せなんだー」って

確認するのが楽しかったでしょうね。

自覚なかったですけど、見栄を張って

いつのまにか幸せ自慢大会になっていたのかもしれません。

オーガズムはエゴの死だとかエゴの崩壊と言われているなんて

知らないで、ただ体験したくて迎えてしまいましたが

結果として私にもそれが起きて

自分でも気が付いていなかった

見栄とか、余計な羞恥心とかどこかに行ってしまったんですね

見栄を張ることなんてない

ありのままの私で素晴らしい

ありのままの私を生きることが喜びだって

いま誇りを持って言えます

もちろんその前段階の私も

とても幸せだったんですけど

この世はバランスなので、偏ってると無理があるんです。

愛だの感謝だのだけじゃなくて

苦しみも痛みもすべて含めて、すべて幸せ

生きることで起こるすべてが喜びである

それならば楽しい姿、幸せな私だけを見せるのではなくて

醜い姿も、ずるい自分も、汚い面も

すべて含めて私は愛しているし

それを隠さすに表現できるように自然となったんですね

愛だの感謝だのって聞こえはいいですけど

正直、それだけだと苦しくなります

たぶんね。私が思うに

愛だの感謝だけじゃない自分も本当はいるのに

変に隠すから恥ずかしくなったり、

苦しくなったりするんだと思うんですよ

相手に嫌われたくない

相手を傷つけたくないって、変に思われたくないって

自分を隠してがんばれば、がんばるほど

互いに苦しいだけなんですね

オーガズムを迎えたくて迎えられない人は

こんな感じで、自分のすべてをさらけ出すのが怖い人だと思います

相手にというよりも

自分自身が自分のすべてを知り受け容れる覚悟

そういうのが深いオーガズムには必要なのかもしれないですね

自我が喪失しますから

オーガズムの真っ最中には

コントロールできない自分になります

実は私の中には本脳むき出しの獣がいた

ものすごい衝撃でしたけど

経験したらものすごく楽しくて夢中になりました

本当はコントロールしない方が世界はうまく行くんですけど

無理にコントロールしているから苦しいんだと思います

コントロールしない状態になって

常識をまとっていた、色んな自分を脱いで行くたびに

色んなことに気が付くんですけどね

昨日、書いた理(ことわり)の話

人には個として別れて生まれる時に

この世を生きる約束を

インプットされているんですね

わたしはわたしを生きることがこの世のことわり

あなたはあなたを生きることがこの世のことわり

そして互いの生き方を侵してはいけないんです

相手を変えようとしたり

自分の色に染めてはいけないんです

相手には相手の個性があり生き方があるんです

すべては必要で起こって来る

以前もそのことを実感していましたが

自分をコントロールすることをやめたら

よりそれが強く分かるようになりました

たとえば相手がセッションなど

アドバイスを望んでいるなら良いでしょうけど

それは必要で起こっていることです

あと自分の生き方があるので

相手のことをこう思うとか

例えば「あなたが嫌い」という自分の想いや意見は

言っていいと思うんですが

自分が感じていることを相手に押し付けたり

相手を操作するのはいけないんです

相手には相手の生き方があるから

私は自分を表現してただ伝えて

相手もそれを望んでいれば、それが起こってきます

相手にどうこうするのではなくて

大切なのは、私がどう生きるか

人生はただそれだけなんです

セックスもそうです

気持ち良くしてやろうじゃなくて

自分が相手にしたいことをする

わたしが気持ち良ければ、相手にもそれが伝わって気持ちいい

そういう自然な状態が深い喜びの世界だと思います

コミュニオンの世界を離れたことによる

分かり合えないということが

相手を自分と同じにしようという悲劇を生んでいました

もちろんそれは、前時代の大いなるしくみによるものなので

誰も悪くありません

だけどもうそこから離れることが許される時代になりました

もうそこから離れて

わたしはわたしの人生を生きましょう

まずそれをできるのは

本質により近い女性からです

だからわたしはあなたがあなたの人生を生きて欲しくて

メッセージを発信しています

すべての人がそれぞれの人生を生きることが
いのちの喜びだからです