さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆自分探しの終焉☆

時々、メールでブログに対しての意見を言って来る友達がいる

「おとぴちゃんの男性に対する考え方違うと思う」とか

私は正しい正しくないじゃなくて

自分が感じることをブログに書いていると答えているのに

自分の意見を押し付けてくるけど

私は私の想うことを書いているので

誰かに言われたって変える気はない

(よほど心に響けば別だけどね)

昨日は、「おとぴちゃんが居ると周りの人が

幸せを感じるのは

空意識は共通意識だから」とか

「自叙伝も素敵だけど、空意識で生きる幸せ これのが先

これのが求められている」

だってさー

知るか 本当にどーでもいい

空意識についてなんて語った覚えはない

わたしは誰かのニーズに合わせて書いてるわけじゃない

自分が書きたいように書きたいことを書いているだけ

そもそも空意識とかどうでもいいし

空とかゼロとかニュートラルとか

色んなことを前は言ってたけど、

いまじゃほとんど言わないから

それなんだっけ状態だわ

自分が幸せになればなるほど

そういう立派な本に書いてありそうな言葉が

どーでもよくなるね( ̄▽ ̄)

そういう立派な言葉が好きな人は

そういう本を読めばいいと思う

それでふと気が付いた…

そういえばダーリンには普通に「愛してる」っていうけど

いつのまにかブログで愛だの光だの言わなくなったなー

神だなんだもいわなくなったなー

「いまここ」もいわないし

わたしがわたしであるとか

あるがままのわたしというのは

ブログの流れで書いているけど

普段は全くそんなこと気にしていないで

当たり前にいつも自分であるし

あーそっか

ずっと自分探しをしてきたけど

いつのまにかしっかりと自分になれてたんだねー

短気で怒りっぽくて

よくキレているし、ぐーたらでゴロゴロしてばかりいるけど

のほほんと毎日、穏やかに過ごしていて

そんな当たり前の日々が何よりも本当に幸せだし

そんな自分を心から愛しているんだ

本当に幸せだと

空とかニュートラルとか愛とか光とか

そんなのどーでもよくなるのかもね

ブログに書く時は分かり易く伝えるために

多少は言葉にしているけど

普段は全くそんなこと考えないで

当たり前にいつも自分だもん

昔、感覚が麻痺していて分からなかったけど

カラダの感覚が蘇って来て

美味しいごはん食べたって、愛する人を考えただけでも

美しい景色をみただけでも

なんでも感動するし

感動するとすぐ涙が出てくるよ

これが生きている実感なんだね

「わたしは生きるために生まれてきた」ってかぐや姫が言ってたけど

生きている実感 これをいのちを求めているの

だから、その実感が得られると

ものすごく感動して泣けるみたい

私は無くした自分を取り戻した分

小さな子どもよりもより

強く幸せを感じているのかもって想うけど

自分でいられることがこんなに幸せなことなんて

自分を無くさなかったら分からなかったから

自分を失って、そしてまた取り戻せて

本当に良かったなって想うんだ

そのことに気が付いたから

やっと自分探しの旅が終わった気がする

そして新たな旅がまた始まるんだね

今度はどんなステージだか楽しみだ(o^ ^o)