さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆それぞれの優しさ、それぞれの世界☆

1カ月ぐらい前かな

とあるヒーラーさんが自分のお話し会に来た人で

おとぴさんのお話し会にいったら

エロい話ばかりでスピリチュアルな話が聞けなかったら

自分のところに来たという人がいたと

わざわざ教えてくれた人がいた

性の話は大切なので

お話し会ですることもあるが

それがメインに話しておらず他のことも話しているし

聞かれたら性の話もしている感じ

そもそもスピリチュアルな話って何の話をさしているのか

知らないが、天使とか宇宙とかの話をいうのであれば

確かにほとんどお話し会では話していない

結局のところ相手が望む話がわたしのお話し会で

聞けなかっただけの話だし

すべての人のニーズに答えられるわけがないし

相手のニーズに合わせるのでなくて

わたしが楽しんでいれば、相手も楽しいだろうという

スタンスでいるので

相手がどう受け取ろうと気にしていない

わざわざそれを教えてくることに

「嫌味かよ」って

気分が悪く腹が立った

だけどしばらく経ってからふと気が付いた

あれって、その人の優しさだったんだ

たぶん、そのヒーラーさんは

人からどうみられるかということをすごく気にする人で

人から誤解されることを恐れているし

人から認められたい人だから

その人だったら、こういうことを言われたら嫌だから

教えてもらって、今後の参考にしたいのだろう

だからわたしに教えたんであって

決して嫌みじゃなくて、優しさだったのかも知れない

そう思ったら、その人が愛おしく思えた

それぞれの優しさがあるから

時にすれ違ったり、分かり合えなくて

反発し合ったり、腹が立ったりもするから

その時は自分の感情に素直に腹を立ててもいいけど

落ち着いてから

ちょっと引いて相手を感じてみると、

また違った側面が見えるのかも知れないね

このヒーラーさん

わたしとは優しさの使い方があまりにも違うので

いままで、何度も何度も

まぢで人としてありえねーっていう感じで腹が立ったけど

不思議とどこか憎めなかったのは

どこかでその人の優しさを感じていたからなのかも知れない

だってさー

すげーひどいんだよ

ある時はうちに用事があって来たんだけど

ユリゲラーが曲げた

サイン入りスプーンを見せようと思って渡したら

このスプーン柔らかいって

更に曲げちゃったの

声もでないぐらいびっくりして

ひぃー(; ̄Д ̄)って感じで驚いた

ユリゲラーがわたしとダーリンのために

目の前でスプーンを曲げてくれて

サインまでしてくれて、

わたしにくれた思い出のスプーン…

もう、ショックを通り越して声もでない

その人はスプーンを元に戻してくれたけど

うねってるし

しかも驚くわたしに言った一言は

「大丈夫です。ユリゲラーよりも有名になりますから」

意味不明*1!!

ユリゲラーよりも有名になろうが、なるまいが

どうでもいいけどさー

とりあえず、悪気はなくても

人のものを壊したんだから

ごめんなさいじゃないの…

その言動にもびっくりで

茫然自失って感じで驚き過ぎて

文句をいうところまで行かなかった

物はいつか壊れるし、壊れたことは仕方ない

ただ一言、謝って欲しかった

次に会った時も根に持っていたので

そのことを言ったら

「また会えるって意図して、

また会ってサインをもらえばいいじゃないですか」

そう言われて、またもやわたしの理解を遥かに超えた

返事だったので

またもや茫然自失な感覚になって

何も言えなくなった

割と頭に来たら、正直に言えるわたしだけど

相手の言動にびっくりし過ぎると

唖然として声も出なくなるのね

でもそのことも振り返ると

きっとあの人は地位とか名誉を欲しがる人だから

相手に謝ってもらうよりも

自分が有名になることのほうが遥かに価値があるんだろうなー

引き寄せとか大好きだから

また会えるって意図して、

会えることのほうが嬉しいんだろう

だからそれを提案して教えてくれたんだろう

わたしの感覚からは信じられないけど

それはそれで優しさからくる

言動だったのかも知れない

人はそれぞれの世界を生きているから

それぞれの世界の優しさがある

自分の感覚で相手の行動を受け取ってしまうと

相手の優しさに気付けないで

勘違いしてしまうけどもあるけれども

こういうすれ違いがたくさんあって

人は傷つけあっているのかもしれないって思うよ

だからまず自分の感覚はごまかさずに

きちんと感じて知ってあげれば

相手との違いも見えてくるみたい

よくね

自分のステージが変わると変な人に会わなくなるとか

嫌な目に遭わなくなるっていうし

確かにそうなんだけど

完全にはなくならないみたい

正確にいうと

そういう人にあっても、大丈夫な自分になっていくって感じかな

例え想いがすれ違って、腹が立っても

自分が自分の想いを分かってあげていると

割と怒りも短時間でおさまるし

相手にも伝えられるようになる

そうするとそういう人も嫌な人じゃなくなったりするんだよ

別に人を嫌ってもいい

避けてもいいと思うけど

結局のところ、自分の世界に登場する人、事柄、出来事

すべてが自分自身だから

自分の何かを嫌がり、避けていることでもある

自分の何かを相手に見ているだけだから

その自分を受け容れることができたら

その人すらわたし自身であり

わたしがすべてだっていう感覚になって行く

どうしてもステージが違う人とは会えないっていう言葉を

多くの人が自分と合わない人、嫌な人を排除していく意味に

とらえている感じがして好きじゃない

きっと自分をすべて許せた時

世界から嫌な人がいなくなる

わたしは嫌な人に遭う時も

嫌な目に遭うこともあるけれども

その自分を受け容れているから心地いい

人と出会い分かり合えない想いをするから

分かり合えて、愛し合える喜びも知ることができる

だから自分と違う人と出会うことも喜びでもあるし

違う人の存在を認められた時

自分の中の何か大きなものを

認めてあげられたことにもなるのかもの知れないね

誰かと愛し合うことができる喜び

自分を許し、愛するほど

人をも深く愛することができる

結局のところ

この世はどこまで自分を許して愛することができるか

ただそれだけなのかも知れないなって思ったよ(o^ ^o)

*1:= ̄□ ̄=;