さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆自分に誠実であること☆

先日、お話ししたこの彼女

☆自分に正直であること☆

連絡が来たときの話だと進行癌だったそうですが

生検の結果ごく初期の癌で

治療すればほとんどの人が

大丈夫なレベルだったらしいです

知人に連絡が来たのを教えてもらいました

最初に九州に来るなら会いたいと

もらったメールには進行癌であることなど

切々と書いてありましたが

あの時に変に同情して会おうとしなくて良かったと

本当に想いました

自分が会うことを望んでいる状況でなら

多少、無理することも有意義でしょうけど

自分が本当は嫌だと思っているのに

その自分の気持ちを置いておいて

無理に相手に合わせても何もいいことないと

彼女には何度も教えてもらいました

去年、彼女が比較的、家の近くに越して来たので

少しの間、仲良くしていたんですけど

一緒にいて疲れることがすごく多かったんですね

(彼女は思考が優位な人なので、

感覚的なわたしとは根本的に話が合わなくて、

無理に頭を使って話をしないと通じないのですごく疲れる)

そのころ幼馴染の事件のことを書くのが怖過ぎて

自叙伝の続きが書けなくなって

自分の中にこんなに深い恐怖が残っていたと

その恐怖と向き合っていた時期だったから

わたしも辛い時期だったんだと思います

彼女は情緒不安定でいつも苦しそうでしたけど

憎めないかわいらしさもあるので

最初はそんなに苦痛に想ってなかったですし

彼女自身に自覚があるのか分かりませんが

そうとう振り回されてたんです

例えば、一緒に遊んでいた時に

ダーリンが帰ってくるとメールがあったので

わたしも帰ろうと思って、その前に

彼女を家まで車で送って行きました

ダーリンはだいたいメールが来てから

20~30分で帰ってくるんですが

彼女を車で送ると往復1時間ぐらいかかるので

ダーリンに少し待っててと連絡してありました

(いま、考えると送ってあげる必要もなかったですね(´∀`;A

彼女の家についたら

自分一人しかいない家に帰るのが淋しかったらしく

「辛い」と号泣しだしたんですね。

それこそ1時間ぐらい泣いてたかな(´∀`;A

その間、ヒーリングして

話を聞いて感情を吐き出してもらってってしてたんですけど

頭の片隅では

ダーリンがお腹空かして待ってることが気になってました

結局、ダーリンにはひもじい思いをさせてしまいました

事前に分かっていれば彼は自分でご飯を食べたでしょうけど

わたしが帰ってくると思っていたから待っていましたし

号泣されていて、電話できるような状態でもなくて

子どもじゃないから、お腹空いても待てないわけじゃないですし

怒られなかったんですが…すごく後味悪かったです

でもいつも苦しそうにしていた彼女が

あれだけ感情を吐き出せば

そうとう楽になっているはずと思ったんですが

次に会った時にも何も変わってませんでした…

たぶん…、おとぴちゃんにかまってもらって

良かったぐらいの感じです

普通の人だったら

あれだけ感情を出したらそうとう楽になるんですけどね

変わりなし…

ただ、だだっこのだだに付き合った感じです

結局のところダーリンにひもじい思いをさせただけで

誰のためにもならなかった…

わたしの経験でいうと

いのちって完璧にできているので

本当に必要なことってこういう後味が悪い感じじゃなくて

すべてが丸く収まるんです

例えばダーリンが帰ってくるという連絡があったから

彼女を送りに行ったけど

ダーリンが急用ができて、帰って来るのが

わたしと同じタイミングだったりとか

わたしが気負わなくていいようになっているんです

だけど変に同情して、自分の都合を後回しにしても

誰のためにもならない

最愛のダーリンにひもじい思いをさせてまで

することはなかったんですね

情けは人のためにあらず

わたしはこの言葉を勘違いしていたんですが

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文化庁のHPより

「情けは人のためならず」の意味

文化部国語課

 「彼がどんなに落ち込んでいても,厳しく接した方がいいよ。情けは人のためならずって言うだろう。」……このような「情けは人のためならず」の使い方は本来の意味と合っていません。元の意味を確かめてみましょう。

問1 「情けは人のためならず」は,本来どのような意味なのでしょうか。

答 「情けは人のためならず」とは,人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味の言葉です。

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わたし上記の意味で捉えていて

本当に情けをかけても

誰のためにもならないんだなーって思っていて

ブログに書くので検索したら、意味が違ってましたΣ( ̄ロ ̄lll) 

同じように誤解されている方が多いらしいです

最近は「情け」とか「同情する」っていう感情が

ほとんどなくなったのでよく分かるんですけど

結局のところ相手に自分を投影しているに過ぎないと思います

当時はわたしも苦しかったので

彼女の苦しさが気になっただけの話です

わたし基本的に優しいので

こういう状況だと相手に合わせることが多かったんですが

お陰でそれが自分のためにも

相手のためにもならないことを教えてもらいました

さすがに今回、大病の人が相手だと

少しばかり仏心がでましたけど

それ以上に自分の嫌だという感情が強かったです

でも会いたくないのに、病状が重いからと同情して

会う約束をしなくて本当に良かったです

病状が重くないからといって断るのも変な話なのでね

看護師目線でみると

退院したての彼女にとっても

わたしたちに会いに来るよりも

ゆっくり自宅で休んでいた方が良かったと思います

何よりも彼女は両親との関係で苦しんでいたので

わたしに話を聞いてもらうよりも

両親と過ごす時間を大切にしたほうがいいんじゃないかと思います

しかも普通は断ったら相手が不快に思うと思うでしょ

でもリーディングができる共通の知人にこのことを話したら

彼女は断られたことにショックを受けておらず

会う会わないのやりとりで

おとぴちゃんにかまってもらった嬉しいって

思っている感じが伝わってくるっていわれた…Σ( ̄ロ ̄lll) 

びっくり…

自分に正直にあることを選択すると不思議と

あとからこうして

「それで良かったんですよ」といわんばかりの情報が集まってくる

どんな時も自分に誠実にあることが

自分にとっても周りのためにもなるんです

去年は流されてしまってできなかったですが

それができるようになると

不思議と自分の成長を教えてくれるような

出来事がこうして起こることがあります

情けは人のためにあらずっていう言葉の

良い行いとすると、

めぐりめぐって自分に返ってくるという

本当の意味は

誰かに情けをもった時は、相手に自分をみているので

相手を通して自分を癒していることにも

なるからかも知れないですね

ただ相手を通して自分を癒すにしても

自分を犠牲にしても何も生まれないので

どこまでも自分に誠実に自分に正直でありたいなって思いました