さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆思考と感覚の共存☆

それで、思考で生きていた頃の話をしたけど

別に思考が悪い訳じゃなくて

作業分担間違えちゃって

脳が過活動で、暴走している状態なだけで

うまく使えば、感覚と思考がちゃんと共存できるんです

脳は情報を貯蔵する図書館みたいなものだったり

情報を整理するコンピューターみたいな役割です

要はカラダは感覚やエネルギーの記憶はできるけど

言語を介したデーターとして記憶することはできない

感じた感覚を脳で適切に変換したり

記憶の中から、適切な情報をアウトプットする役割です

でも、多くの人は

データーばかり集めて、保存しまくって

ハードディスクぱんぱんになって

PCが暴走して、いる状態です

なんていったらいいのかなー

例えば、シンプルに経験したことを記憶するにも

こうしなきゃいけないって、思い込みが強いと

ものすごい情報の塊がふえていくような感じで

融通がきかなくなっていきます

そこに誰かに怒られるとか、恐怖がかかってたりすると

余計に頑なな情報を入れるので、誤作動しやすいと思います

そうは言っても、頭には

第6チャクラとか第7チャクラとか

直感や宇宙と繋がるチャクラがあって

思考じゃない次元の情報もキャッチできる能力があって

情報が混同しやすいですが

まだ思考が強い人が、情報をキャッチしても

かなり私情を交えて誤変換することが多いみたいですし

頭の声と、カラダの声の区別がつかないうちは

カラダの情報を信頼していたほうが無難だと思います

そもそも、わたし個人的に

チャクラをあまり重要視していないのです

確かに各チャクラによって傾向はあるので

不調な個所と照らし合わせたりして

大まかに自分を知るにはいいと思います

それよりも、ピンポイントで感覚を感じる場所に

感覚を当てる方が好きです

それで、以前、人のカラダは神殿だとお話ししましたが

各臓器が神社でいうお宮にあたるのですが

その中でも、小腸は別格で

神の中の神、ドラゴンボールで言えば

カラダの中の界王神みたいな存在です

以前もお話ししましたが

小腸だけ脳神経の支配下にないためか

人の意識の影響を受けていないので

かなり核心をついた情報をくれます

ただ小腸さんは思考とは無縁の世界なので

意識を合わせてメッセージもらうのは難しいと思いますが

意識を合わせられるようになると

要所、要所で色んなことを

伝えようとしてくれているのが分かります

小腸さんだけじゃなくて

他の内臓さんもみんな色んなメッセージを送ってくれているんですが

なんせ、みんな感覚を消しているので

無意識に感じないようにしています

もっといえば内臓さんだけじゃなくて

カラダ全体で色んな情報をキャッチして

反応してくれています

本当にカラダが感じる感覚って正確で

どんなに言葉で都合の良いことを言われても

感覚と一致していない言葉って

カラダ的にはとてもキモいのでものすごく違和感を感じたりもします

だから騙されるっていうことは

ある意味、感覚が死んでますよってお知らせでもあったりしますし

感じていても、頭で誤変換していることも多いです

子どもなんかは、

そのまんま色んなことを感じていると思いますが

感覚で感じるので、言葉に変換することが必要なんですね

その変換してくれるのが頭なんですが

これはほとんどの人は学習して得ていきます

(最近の子どもは、卓越した感覚があって

感覚を殺さないままに、言語を習得できる子もいると思います)

だいたいは親を参考にして

この感覚は嬉しいって言うんだって学んでいくんですが

時に嬉しくもないのに、大人が喜ぶことを強要して

子どもも優しさ故に、楽しい振りをしたりとか

悲しい時に泣いちゃダメって怒られたり

色んな方法で感覚を曲げて行ったり、誤変換するようになるみたいですね

そんな感じに頭が正しく感覚を認識できなくなっていって

徐々に徐々に感覚が死んでいきます

でも仕方ないです

親もそうやって感覚を殺していったので

悪気はなく、良かれと思ってやっていると思います

本来、感じるカラダ、そしてココロを持っていることは

この世に生まれてきた中で、ものすごいギフトなんですね

いつも言っているように

感情に良い悪いはなくて、すべてが等価値で

それぞれが大切で、どんな感情も感じられること自体が

ものすごい喜びなんですね

だからどんな感情もちゃんと感じてあげれば

人生の経験になって昇華されていきます

だから感じてあげることってとても大切なのに

色んな感覚を消したり、殺したりして

なかったことにしても、ちゃんとそれを感じてあげるまで

カラダにその感情や感覚のエネルギーが残っています

その感じてあげられなかった感情の残像がたくさんあると

ちょっとした出来事でも過剰に反応したりします

例えばさっきの思考で生きてたころの記事の、以前のわたしみたいに

銀行口座を書いてシールを張ったハガキを投函するだけで

誰かに盗まれるんじゃないかという恐怖に襲われたり

逆に思いっきり感覚を消してしまった場合は

どうしてこんなことをしても

平気でいられるのっていう感じに無感覚になったりもします

だからたまに信じられないような

残虐な事件が起きたりしますが、

そういう人はそれだけ感覚を消せるほど

傷が深いんだろうなとわたしは思っています

ちなみに、自分の感覚が蘇ってくると

自分という感覚がしっかりしてくるんですが

そうやって自分が分かって来ると

いままで感覚を消していて

まだらにしか見えなかったアタック25のパネルが

フルオープンに近づいていくので

相手のこともよく分かるようになって

感覚を消している時には見えなかった

相手の癖が見えてくるようになっていきます

本当は感じているものを、

感じないようになかったことにしているので

そのつじつま合わせるために

傍からみたら、とても奇妙な行動をするので

嫌でも目につくんですよね

(そもそも感覚が一致している人からしたら

感覚と言葉が一致していないだけで、そうとう奇妙)

これはまだまだ感覚を消している部分が多くても

自分にない癖だと、人のは分かり易くみえたりします

それで、話しは戻りますが

すごく残虐な事件とかでも

相手の感覚が死んでいるのがマジマジと分かるようになるので

そういう人の写真とかをみると

あー死んでるなーって思うだけで

恐いって感じじゃないです

ただとても奇妙な印象があります

そういう人に恐怖を感じる方が多いと思いますけど

自分の中に死んでいる感覚があるのを

どこかで分かっていて

それが相手に映るからなんじゃないかと思います

それでいつもながら

長くなってしまいましたが

そんな感じで感覚が死んでいると

色んな誤変換が起こるようになっていきますが

ちゃんと感覚と言葉が一致できるように

徐々に感じることを許していってあげると

頭の暴走が徐々に治まっていくので

色んなカラダが感じた感覚が

脳にいって、言葉とか色んな情報になって

表してくれます

本来、わたしたちは神そのものなので

エネルギーの状態では

すべてを知っています

でも脳があって、カラダがあって

感じたものを

それを適切に形にしたり

言葉にしたり表現する

その作業においては、わたしたちは何も知らない

状態で産まれてきます

だからすべてを知っているわたしたちが

何も知らない世界を知り

紆余曲折しながらも

色んな自分を表現して行く

時にはこんがらがり、時には感じていることを消したりしながら

すべてを知っている時にはできなかった

学ぶということを楽しむこと

それもこの世の喜びのひとつなんだろうと思います

いのちは色んな事を経験すること

カラダを使って色んなことを体験すること

知ること学ぶことが大好きみたいです

だからぜひ、たくさん色んな事を感じてあげて

カラダにも思考にもたくさん活躍させてあげてくださいね

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DSの脳トレで20代だったと

誇らしげに喜んでいるダーリン かわいい(o^ ^o)