さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆人に対して拒絶して来た自分☆

その年代によって、テーマが違うので

いまの子どもたちはどういう風な経過を追っていくのか

まだ未知数ですが

いま、成人している人たちの多くは

一度、いのちそのものの内的感覚を失って

また取り戻すことがテーマになっています

時代のエネルギーは完全に

いのちを生きる

それしかできないような強いエネルギーが流れていて

人の状態は全く追い付いていませんが

流れているエネルギーだけみれば

完全に流れにのっているので

大きな視点での、目的は達成できたといえます

最近はアセンションなんて言葉すっかり

忘れていましたが

俗にいうアセンションは達成されたんだなと

最近、つくづく思います

まだまだ変化し続けていますが

もう引き返せないぐらい

エネルギーが変化しつづけています

人間以外の生き物は

新しい世界のエネルギーに馴染んでいて

あとは人間がそれに乗って行くだけだと思います

それで、わたしも

インド旅行から帰ってきて

体調を崩したり、2月~3月のエネルギーの

すごさに目がまわったりしてましたが

それが抜けて、だいぶ落ち着きました

わたしがよく癖は自分じゃみえない

でも傍からみていると

あの人いつも、あのパターンだよなって

見えたりするものです

だからそれを指摘してくれる

周りの存在がとてもありがたいんですけど

こういう思い込みの癖って

それなりの理由があってつけた癖なので

指摘されると、過剰にイラっとしたり

口もきけないぐらいどよーんとしたり

色んな反応があります

わたしも、自分で気付いてない癖があったんです

うーん

正確にいうと気付いてない訳ではないんですけど

そこを見ないように無意識に

意識をそらしてしまうことがあったんです

年末に、トイレにカバンを落として

とんでもなく、どよーんとした話しをしましたが

この間の不調を抜けたら

潔癖さがなくなったんですね

いや、さすがにトイレにカバンが落ちるのは

嫌ですけど

あの時の、拭いても拭いても

汚いような気がした、

おぞましさを感じなくなったっていうのかなー

そのおぞましさを色んなものに感じてたみたいで

トイレの便座を前ほど汚いと思わなくなったり

落ちた食べ物も、平気で食べれるようになったり

別に見習って欲しいとは思いませんけど

例えば子どもって、落ちた食べ物も平気で食べるでしょ

あんな感じで気にならないし

それによってお腹壊したりしないし

より深く自分の世界を信頼できるようになったんですね

それに伴って人に対する潔癖さも抜けたんです

芋づる式に、癖が抜けたみたいで

すごく楽になりました

たとえばね

先月、フェイスブックのお友達を

大幅に整理させていただきましたけど

本当の気持ちとしては

人のことをこんなに愛しているのに

友達削除なんてしたくないわけですよ

そんな矛盾を感じながらも

とりあえず自分がぐらぐらしている状態で

どうにもならないので、

自分の周りを整理するためにも

湧きあがって来る色んな感情を感じながら

かなりシビアに整理させていただいたんですね

全く面識がない方まで、いちいち

エネルギーをみていないので分かりませんが

少なくてもわたしが相手に対して面識がある場合に

関しては、例えその方自身が自称幸せだといっていても

あなたの状態は幸せではない

内側に向いているつもりで、向けていない

方向性を間違えているなどの

メッセージをこめたものでした

だからといって、友達に残した方たちが

幸せな状態方ばかりなわけではないです

ただ単に付き合いが長いからとか

単純な理由もありますが

ここ最近出会った人に関しては

感覚として、なにか大切なものを忘れていない人とか

可能性にかけた方たちもいます

そんなジャッジをして偉そうにって感じですが

少なくてもわたしがぐらぐらな状態で

不特定多数の方に発信しつづけるよりも

わたしが定まった状態でごく少数の人に発信しているほうが、

わたし的には効率がいうように感じました

実際に、そこから読者さんの質が

多少変化したみたいで、

よりわたしの言葉が響く人たちが

来て下さるようになっています

お茶会とか、ワークとか

前よりも相手に響く打率が格段に上がった感じです

結果として良くてもね

本当はわたしがもっと定まっていれば

最初からこんなことする必要すらないんですが、

わたしも人間なので

色んな癖をつけているわけですよ

それが悪いわけではなくて

選んで産まれて来ているともいえるし

何にも問題がないパーフェクトな人よりも

一癖も二癖もあったほうが、人間的な

魅力はあふれますし

人から共感も得やすいでしょうね

こういった癖のない聖者みたいな人の

話しはどこか絵空事ですからね

わたしの場合、どうしても人と分かり合えない

どうせ分かってもらえないっていう経験を

長くして来たので

分かり合えそうもない人をみると反射的に

切り捨てる癖であったり、拒絶したり

突き放す癖があったんですね

だからどこかエネルギー的に張っている

印象があったと思います

でもエネルギー的に張っている人多いですよ

すごく緊張しながら生きている

それは自分の世界を守るために仕方なかったんですが

もう、それをしなくても大丈夫な時代になったし

わたしは緊張感は抜けて

そんな風に人を拒絶しなくても大丈夫な

わたしにもなれてるんですけど

癖なので、反射的にとっさにでるんです

わたしはジャッジしたいわけでも

人を拒絶したいわけでも、人と争いたいわけでもない

ただただ人と幸せに暮らしたいだけなのに

どうして、こんな癖がでてしまうんだろうって

わたしがあの人たちに伝えたかった

本当の気持ちって何なんだろうって思ってて

それを掘り下げて行くと

出てきた感情はひとつじゃなかったんですけど

大きなひとつは

相手と真剣にかかわれていない

自分自身へのいら立ちだったみたいです

いまでこそ、自分が動物並みに勘が良いことを

理解しているので、

感覚的に絶対に違うと思ったら、

誰がなんていうとと

人から嫌われようがなんだろうが

押し通すことができるようになりましたけど

前はそうじゃなかったので

相手のことも信用してなけりゃ

自分のことも信じてなかったので

もやもやした想いを言語化できなずにくずぶってたんですね。

それがキャパを越えると切り捨てたり

拒絶してたんだと思います

そのうちに、そうして切り捨てた人と

似たようなことをされると、

反射的に拒絶する癖がついたんだと思います

面白いもので、それを解放する時期になると

同じようなパターンのイラっとが続いて

そのパターンに気付いて、

そうするしかなかった自分を認めてあげて

解放してあげると

パタッとなくなったりします

ここ最近はそのパターンを繰り返しやって

いままでと違うパターンで返せる自分に

安心しての繰り返しでした

そうして安心して行くと

無理して主張しなければいけない

出来事なんて起こらなくなって、

また自分が穏やかになりました

反対していた人も嘘のように

何もいわなくなったり

結局、わたしの人に対して

張っている感覚に気付くために

この人は反対してくれたんだとか

色んなことが起こったんだなーと思いました

そう考えるとすべてにありがとうですし

こうやって自分の癖を解き続けて行くと

前には見えなかった、解決策がみえてきたりしますし

前には、拒絶して受け容れられなかった人のことが

全く気にならなくなったりします

この世は完全なるエネルギーの法則の元に

動いているので、自分にとって不必要な人は

自分の前に現れないはずなので

必要な人をただ排除するやり方って

本当は美しくないんです

でも、前のわたしはそれができなかったし

それができない自分がどこかで苦しいことも

感じないようにしていたけど

そんなわたしも受け容れながら

それができるわたしになったこと

こうして、わたしの世界が更に平和になったんだなーって

そして外側の世界もそうして平和になって行くのかなって

自分の成長を嬉しく思います

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