さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆【閲覧注意】おとぴのひとりごと☆

殺人事件とか生々しい内容なので

そういうのが苦手な方は読まない方がいいと思います

元少年Aの『絶歌』を読んでいる

事件当時のことが書かれている第1章は読み終え、

社会復帰の経過が書かれている第2章を読んでいる途中

世間では、この本の出版に関して

色々な意見があるが、わたしは読めて良かったと思う

もちろん、事件自体は許されることではないと思うし

ご遺族の方たちの心情は、わたしなどが到底考えが及ばないほど

複雑なものだろうと思うから、

わたしが、その感想めいたことを

書くことはどうかと思うが

決して、安易な気持ちで書くわけではない

ただ感想というよりも

それに関して思い出したことをあれこれと覚書として書いておきたい

ブログに自分殺人事件のことを書いたり

自叙伝にも、殺人事件がでてくるが

ほんの3年ぐらいの間で、ニュースで知人の名前を3回もみた

全部、殺人事件だった

患者さん達でも、殺人を犯した人には多数あっていたり

わたしの人生のテーマに殺人が多少なりとも含まれている気がする

たぶん、精神鑑定を受けていた病棟に勤めたいたこともあって

数えたことないけど、たぶん20~30人ぐらいは会ったことがある

断っておくが、わたしがたまたま重篤な患者さんに

遭遇する機会が多かっただけで

精神疾患を持っている人の中でも罪を犯すのはごく一部だと思う

もちろんそんな数が多いのは自慢にもなんにもならない

ただわたしの人生において、そういう人に多く遭遇するのは

とても重要なこととのような気がして気に留めていた

今回、webマガジンで連載するのにプロフィールを書いていて

どうしても、2つの殺人事件のことを書かずにいられなかった。

いま、わたしがこういう仕事をしている原点はここにある気がした

そんなタイミングで『絶歌』が発売されたので読んでみたくなった。

看護学生の精神科実習の時に

初めて殺人を犯した患者さんに

出会った時は、恐くて震えたけど

人は不思議とそういう環境にもなれるのか

何人か、会っているうちに

そういう人とも普通に話しができるようになった

色んな人がいるし一概には言えないだろう

殺した直後とかは、精神運動興奮が高まっている状態だろうから

そういう時は、また違った印象だろうけど

少年Aじゃないけど、大人しい印象の人も多かった

すごくナイーブで優しい人もいて、謎だった

ワークやセッションをしていて

よく思うのが、人はものすごい憎悪であったり怒りを

溜めこんでいることがよくある。

中には、撲殺しそうな勢いで、母親を恨んでいる人とかもいるけど

本人は、全く気が付いておらず

「母のことは大好きです」とか、ケロッとというけど

母といった瞬間に、全身に虫唾が走るような感覚が走って

ものすごく、威圧するエネルギーを放っているのに

本人は全く自覚なく、母が好きだという

もちろん大好きなのも嘘ではないと思う

人の感情は一辺倒ではない

そういう面もあり、恨んでいる面もある

家族であれば、それだけ長く一緒に過ごしているから

色んな感情があって当たり前なのに

大好きなお母さんを憎みたくないって

大好きのひとことでくくって、憎悪を隠してしまう

そういう隠した感情が

何かの拍子にはじけたりするのかなとも思った

人間だから、色んなことを感じるのは当たり前だし

どんな感情でも

素直に認められれば、それほど複雑化しないんだろうけど

人はどうしても良い悪いで判断してしまうから

嫌な感情には蓋をして隠してしまう

そういう風に、思ってしまっている自分がいることは

仕方ないから、憎んでも恨んでもいいと伝えると

ふっと威圧するエネルギーがスッとひいたりする

素直に人を憎んでもいいし、恨んでもいい

そう自分を許すだけでも、癒される

そういう葛藤を多くの人が抱えているんだろうなと思う

でも、わたしが個人的に興味があるのは

そういう葛藤を潜在的に抱えつつも、

実際に手を出さない人が大多数なのに

それを行動に移す人は何が違うんだろうってことだ

何度もこのブログで語っているけど

人はだいたい3歳、10歳前後で自分を内的に殺す

その感覚的な殺された痛みはほぼすべての人が封じているが

その痛みが色んな所に影響している

殺された痛みは必ず外に向かうので

感覚的には人と人とが殺し合いをしていて

できあがったのが、いまの世の中だ

そういう感覚があるので、時として

殺したいほど人を憎んでしまうのは仕方ないし

わたしも、そんな風に人を憎んだことがある

でも、実際に殺すまで発展する人は何が違うんだろうって

その感覚が知りたかった。

なんとなくひとつ分かったことがある

あくまで、わたしの感覚的な見解だし

わたしは医者じゃないから、診断もできない

わたしは一般的にみたら相当、変人だと思うから

変人の戯言だと思って聞いてくれたらと思う

(上に安易な気持ちで書いているわけではないと書いてあることに

矛盾も感じるが…)

元少年Aのことは、実際に会ったことがないし

例に出すのは、あれこれ問題があるだろうから

自叙伝に出てくる、知人が殺されて

その犯人がわたしの勤めていた病棟に

鑑定入院した時のことを例に出そうと思う

なんとなくだけど、似たような印象を受けるところが

いくつかあった。

犯人は当時、19歳の少年だった。

紛らわしくないように少年Bと表すことにする

守秘義務の関係で、設定自体を変えてあるが

少年Bはわたしの以前の勤め先で知人を殺した

たしか1カ月半ぐらいした時に

少年Bがわたしが勤めていた病棟に鑑定入院してきた

個人的には発狂したくなるような想いだった

それでも、なにか知ることで楽になるかもしれないと思い

看護師長に「受け持たせてほしい」と懇願したが

鑑定入院では、女性看護師に受け持たせるわけにいかないと

わたしと同じグループの男性看護師を受け持ちにしてくれた

だから、受け持ちの男性看護師が休みの日は

わたしが、その日一日、受け持つこともあった

少年Bは事前には、すごく生意気な少年だと聞いていたが

入院中は大人しく、礼儀正しい少年だった

パッと見、とても幼く中学生ぐらいに見えた

この当たりも、『絶歌』から感じる元少年Aと似た印象を受けた

鑑定医がインタビューしたカルテを読んでも

「大量殺人を計画していた」そんな安易な理由にむなしさだけが残った

しかも、カルテを読み進めて行くと

かなり本人は念入りに計画していたらしく

いちどナイフを買ったけど、これじゃ刃渡りが短くて

殺傷能力が低いと思って、ナイフを買い直したらしい

大量殺人をして、そのあと逃げてって

本人は思い描いていたらしい

それで、自分が英雄になれるようなイメージを描いたらしい

この一般的に見たら、意味不明な自己陶酔も元少年Aと重なって思えた

もうひとつ重なったのが家族像だった

ある日、少年Bの両親が面会に来た

鑑定医が面会の様子を知りたいからといって面会を許可した

確か、事件後初めての面会だったと思う

受け持ちだったので、面会室の外から様子を観察していたが

会うなり号泣しながら、3人で抱き合っていた

結局、30分の面会時間中ずっと泣きながら抱き合って

励まし合っていた。

帰り際に母親が

「病気のせいでこんなことになって可哀そうに。

もし責任能力ありの鑑定がでても、

知り合いの先生に再鑑定を頼むから大丈夫よ」

と言って帰っていった。

少年Bもその両親も

まさかその場に被害者の知人がいるとは思わないだろうから

そういう風な発言をしていたんだろうけど

わたしはハラワタが煮えくりかえるぐらいの

苛立ちを感じているのを必死でこらえていたが、

他の看護師に「見ちゃダメ」ってなだめられた

個人的な感情を言わせてもらえれば

「何の罪もない人を殺しておいて、なに被害者ぶってんだよ

お前の息子はどうみたって責任能力あんだろう!」って思った。

なんていうか、自分の息子が、人を殺したことに対する

罪悪感みたいなものが全く感じられなかった。

そういうことをいま振り返ると

少年Bの親はものすごく無感覚なんだなーって思う

話しがややこしくなって申し訳ないが

元少年Aのことは本の印象しか分からないので

あくまで、ここで話しているのは少年Bの親のことだ

わたしがよくブログで人は感覚を消していきていると

話しているが

それが強度になると察するチカラがどんどんなくなっていって

無感覚のような状態になる

物理的な五感の話ではなくて

感覚的な、無意識に周りを察するチカラのこと

多かれ少なかれ、人は感覚を潰して生きている

感覚を潰して生きるということは

頭で覚えた、箇条書きの世界を生きることでもある

そうして世間的には常識のある

いい人になっていく

でも、人によってもさまざまだと思うけど

子どものころの傷が大きすぎると

感覚を消し過ぎて、無感覚のような感じになる

たとえば、前にブログで

20歳頃に仲良かった友達は

中絶して来たことをケロッと話していたと伝えたが

そんな感じで、人として大切な感覚まで潰してしまう

全員が全員そうだというわけじゃないけど

わたしより、上の世代は頭で覚えた常識を生きている人が

多い世代なので、下の世代に比べて

感覚の消し方が多岐にわたっていること多くて

なかでも、感覚の消し方が複雑かつ重度な人が、時々いて

ものすごく奇妙な印象で、少年Bの親に近いものを感じる

そういう人の子どもは総じて、ものすごく傷が深い

感覚的な子どもからみたら、

無感覚な親って、

ものすごく奇妙で何を信じて生きていいか分からないんだろう

例えば虐待をされていたとか、周りからも本人も自覚しやすい状況の

ほうがある意味、救いようがあるというか

目で見て、実害なく、感覚的に潰されている場合は

周りから見ても分かり辛いし、本人も自覚し辛い

いま、思うと少年Bはそれだったんだろうなと思うと納得がいく

あくまで、わたしの個人的な判断だけどね

『絶歌』を読んだお陰で

自分なりに納得ができる答えが見つかった気がする

わたしの中ではすごく大きなテーマだったし

そこを避けては、この世が変わらない気がしていた

わたしは、人の無感覚さが

とても恐かった…

でも、わけも分からずにわたしも

どんどん感覚を潰して生きるしかなかった

その訳も分からない恐怖の対象に自分もなろうとしていた

そのおぞましさが、

こういう事件を繰り返しみせてくれて、

警告し続けてくれたのかなと思った