さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆優位性の証明とマウンティング大会①☆

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週末に進撃の巨人観てきました

画面が3Dじゃなくて通常のだったので

3D+4Dのジェラシックパークほど疲れませんでした

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映画自体も、観るの2度目なので

前ほどの恐怖はなかったですが

こんな感じの恐怖を幼いころに感じてたと思うと

切なくなって涙がでてきました

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こうやって少しずつでも恐怖を

超えていっているからなのか

表情がおだやかになって来た気がします

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なんか、最近は自己否定の感覚が湧き出て来て

それを感じています

本当に、最近は色んな感覚が湧き出てくることが多いですね

だいたい、前はひとつ解けば

しばらく穏やかだったんですが

最近は次から次へとでてきますねー

わたしは問題解決型の考え方はあまり好きじゃないので

何もない時に、別に何かを探ろうとはしないので

穏やかな時は、とても穏やかに過ごしているんですが

最近は穏やかに過ごしながらも、内的な変化が激しいです

ここまで、次から次へとでてくるのって

初めてじゃないかってぐらい、ハイペースです

しかも、昔だったらひとつ解くのに時間がかかったのに

いまは、ペースが本当に早くて驚きます

それで昔は自己否定が強かったんですが

最近は、あまり感じなかったんですね

でも、はっきり感じてなかったみたいで

ブログを書いた後とかモヤっとすることが

よくあって、そのモヤがなんだか

はっきり分からなかったんですが

どうやら否定感から不安になってたみたいです

わたしが書いていることって

他の人と、同じようなことを言っているようでも

感覚的には真逆なんですね

向いている方向が全く違う

だからわたしの中では揺るぎないことでも

世間のみなさまにそれが通じるかって言うのは

とても不安になることがあるみたいですね

わたしは他の人とは絶対的に何かが違うという劣等感と

わたしのいうことは、

一般的には受け容れてもらえないって感覚が

まだ根強くあるみたいで、

ブログを書くとそれが浮上するんですね

でも、このことに対して

「そんなことないよ」とかいうフォローは無用です

わたし、そういう誰かが困っていたら

声をかけてあげなきゃって感じの

マウンティング精神が大嫌いなんですね

それがやりたい人は、それが好きな人同士でどうぞやってください

本人は善意のつもりであったり

優しさのつもりなんでしょうが

感覚的には全く違うことがほとんどですよ

ただ人の世がそういうことを優しいとしているので

人の世ののやり方に習っているだけで

形だけの善意であることがほとんどですね

自分が落ち込んでいる人を見たくないだけだったり

困っている人がいたら解決してあげなきゃって感じだったり

上から目線でアドバイスしたいだけだったり色々です

わたしのブログで励まされている人がたくさんいるのは知っています

祭りだって、ワークだって

「おとぴさんに会いたいから来ました」って人が全国からやってきますし

メールだってたくさんいただきました

分かっていても、不安な気持ちが湧いてくることはあるし

楽になってカラダが緩んできたからこそ

受け容れられる想いもある

昔のただただ自分を否定するしかできなかった

わたしとは違って、その自分を受け容れることができる自分になれた

何も完璧な自分にならなくていいと思うんです

自分を否定する自分がいてもいいと思うんです

否定する自分を受け容れられない自分を否定する地獄とか

色んなパターンがあるようですが

わたしは何かになりたいわけではなくて

ただただ自分で在りたいだけなので

そんな自分もいたんだなーって思って

自分とお話ししています

だから「元気出して」とか「そんなことないよ」とか

安易な言葉をかけるよりも

落ち込みたい時には落ち込ませて欲しい

そうはいっても、ケースバイケースで

そういう言葉がありがたいことだってあるとは思うんです

でも、わたし消してた感覚が戻るたびに

いままで、感じていなかった色んなことが感じられるようになって

そのたびに、驚くし、このおぞましさが感じたくなくて

感覚消してたんだなーって思います

感覚が戻ってくると、本当に人が発する言葉が

不自然なもので満ち溢れているのが分かる

それがおぞましくて仕方ない

わたし、以前は漠然と気食悪かったのが

感覚が戻ってきたことで

だいぶ区別がつくようになってきたんですね

究極的には人のことはどーでもいいです

何が、おぞましいかっていうと

訳も分からず、それに巻き込まれて

そのやり方を一緒になってやっていた自分が気持ち悪い

この優位性の証明の話は、人の世で

かなり多くを占めているシステムです

みんな無意識にやっていますが

これの区別がつくようになれば

人の世に巻き込まれずに、一歩引いてみれるように

なるかなと思います

②につづく