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さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

いのちのしくみとか、この世のしくみを書いています

☆自分軸と他人軸☆

こんにちは、昨日、マンションのドアが新しくなったので

まるで、新たな扉が開くような気がして嬉しくなってる

さん☆おとぴです(・∀・)

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あたらしい玄関

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前の玄関

たぶん築40年は超えてるんじゃないかな

震災で玄関が歪んだ世帯があったらしく、マンション全体で

ドアの交換をしたの

うちの玄関だけじゃなくて

すべての方にとっても

新しい扉はもうすでに開いているんだと思います

新しい時代のエネルギーも

ものすごく降り注いでいるし、

それを受け取るのも受け取らないのも自分次第なんだなーと

最近、つくづく思います

わたし、エネルギーに敏感なので

人のエネルギーに共鳴するだけじゃなくて

いわゆる、神様的なエネルギーにも

よく反応します

そういうエネルギーって

うっとりするぐらい気持ち良かったり

なんだか知らないけど、楽しい気持ちや

幸せな気持ちが湧きあがってきたり

色んな反応がありますが、総じて心地よいです

こういうエネルギーは

次元も違えば、概念も全く違うので

これからお話しする、自分軸、他人軸とは

また違って

自分とそのエネルギーの境目がないというか

そのエネルギーごと自分な感じですね

そういうエネルギーが至る所に降り注いでいる

これを話すと、よく羨ましがられますが

すべての人に平等に降り注いでいます

ただ気付けるか気付けないかです

受け取れる自分になるには

やっぱり、それを受け容れるスペースが必要だと思うんです

だから、よく断捨離が大切だってお伝えしてます

すべての物にはエネルギーが宿るので

物の断捨離も、とても有用ですが

わたしが特に重要だと考えているのは

人であったり、色んな情報や知識の断捨離なんです

今回のブログは

旅行のブログ以外では、ちょっとご無沙汰なブログです

前にも言ったけれど、書きたいことはたくさんあるけれども

わたしが、その伝え方を模索しているんですね

というのも、ただわたしの経験や気付いたことを

お伝えするのはいいんですが

わたしただ知識を伝えたいわけじゃないんですね

確かに知識を得ることで、納得できたり

楽になったり、救われたり、することもありますし

わたしも、知識を得て楽になれたこと何度もあります

知らないと気付けないこともあるので

知識は大切です

だけどね

それだけだと、

ただただ知識を求め続けることになると思うんです

困ったことがあったら、どこかに答えを求めてしまう感じ

でもね

ぶっちゃけ、答えってひとつじゃないし

次元によっても、見方が全く違います

別に生き方に、正解不正解ってないと思うんです

よく答えは自分の中にあるっていうじゃないですか

その人が、自分で納得できればいいんじゃないかなー

ただ知識で納得できる答えよりも

自分の中から湧いて来た答えとか

自分の感覚で、腑に落ちた答えのが

すごく納得いきますし、

自分軸で生きているって感じがするんです

でも仕方ないんですよ

人はとことん、自分軸じゃなくて

他人軸で生きるように、訓練されてきているので

全く自覚ないと思いますよ

わたしも、ものすごく他人軸で生きてきました

無意識レベルの洗脳だから仕方ないです

すごく驚いたのがテレビの洗脳ですねー

わたしテレビっ子だったので、子どものころから

テレビ大好きで、よく観てたんです

わたし、スピリチュアルなことを始めて

エネルギーに敏感になってから

なんでかテレビをあまり観なくなったんですね

録画した、気に入った番組をいくつか観るぐらい

それで、あんまりテレビを観ない状態で

たまにバラエティがついていて観ると

何が面白いのかさっぱり分からな過ぎて

びっくりするんです

よく芸人いじりとかしていますけど

いじめにしか見えない

よくブスとか、デブとか、ハゲとか

いじられてますけど、

子どもには、人を見た目で判断しちゃいけないっていうのに

なんでテレビで、それをネタにいじっているのか不思議です

あと、カラダを張った芸ってあるじゃないですか

昔でいえば、タライが落ちてくるような

あー、いうのを見て

なんで人が痛い想いをしていたり

慌てふためいたりするのを、面白がる人がいるのか

不思議で仕方ないですし

人を馬鹿にしたり、人が痛がるのを面白がるのって暴力的に感じます

たぶん健全な精神だとこれを面白く感じないと思うんです

なんていうか

わざとお茶らけて面白く見せている、道化師を

あざけ笑うような感じ

なんか、こういうのをテレビで大人が面白いこととして

やっていたら、子どもが誤解しても仕方ないと思うんです

テレビだと、両者の同意の上のもとなので

いじめじゃないのかもしれませんが

それを子どもが面白がって真似しても

相手が嫌がっていたら虐めになると思うんです

でも、それをダメだといっても

テレビで堂々とやっていて

それを面白がる大人がたくさんいるのに説得力がないように思います

そうは、いってもわたしも以前は

そういうのを観て爆笑していたんですよ

もちろんお笑いをやられている方は

色んなポリシーとかがあって、やられていると思うので

それを批判しているわけじゃないんです

そういう方たちを馬鹿にしているとかじゃなくて

単純に、いまとなって冷静に観ると

何が面白いか分からないし

観ていて、これを面白いこととしてやっている方たちも

面白がって観ている方たちも大丈夫なのかなーと思うんです

(ちなみにわたしがこういう番組を

面白がっていた頃は大丈夫じゃなかったですね(´∀`;A)

別に、昔の自分を否定するわけでもないですが

そういうバラエティを面白いと思ってみていた自分って

なんだったんだろうって不思議に思うこともあります

ひとつにそういうのが楽しいと思い込んでいたんだと思います

だから、わたしも前はよく人を小馬鹿にしたり

いじるようなコミュニケーションをしていて

楽しい気になってました

でも、いま冷静にみると

そんなことをしても、ちっとも嬉しくないし

むしろ深い所では余計に気づ付いていたように思いますが

そんなことにも気付かずにいました

結局に人が面白いとしていることを

鵜呑みにし続けてきた自分がいるんですよ

これは、語り出したら切りがないぐらい、

色んな人の色んな意見や色んなコミュニケーションを

鵜呑みにして、そういうのが好きだと誤解してきた

なんか、あまりテレビを観なくてなって

そういうのに気付けたら、すっごく肩の荷が軽くなりました

他にも、こういう風に、人を馬鹿にしたり

痛がるんのを面白がるのって

自分殺人事件とか

自分の心の傷が関係しているんだと思うんですが

それを話しだすと長くなるので省略します

うーん

でも、まだまだああいうテレビが面白いと感じている人がいて

受容があるから、そういう番組はなくならないと思います

でも、少しずつでもそういうのが面白くないと

気付く人が増えれば、テレビも変わっていくんじゃないかなって思います

わたしみたく、本当は面白くないのに

面白いと誤解しているものってたくさんあると思うんです

たぶん、ほとんどの方が

そうやって多くの人が良いとしている他人軸で生きているので

自分が見聞きするものを選択すること

それも大きな断捨離だと思います

そういう風に自分の誤解を解くこと

そうすると、受け取れるスペースが広がると思いますよ