さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆インディゴとADHD的な症状①☆

昨日、エディプスコンプレックスの記事を書いたら

午後、母から電話がかかってきて

(12月に大掃除にきてくれと頼んであった)

電話の向こうで父が「元気かー」と

大声で言っていたのにびっくりでした

父と母は仲が悪くて口を聞いてない時も多いので

互いの行動を知らないことも多いんですね

だから、うちに来る時とか

わたしに電話する時も、父は知らない時が多いんですが

「元気かー」って叫んでいるってことは

わたしに電話をかけているのを知っているということ

父は勘がいいというか周りをよく見ているので、

気付いていても知らん顔の時も多いと思うんですが

こんな風にあからさまに、電話の向こうで叫んでいるのって

記憶にないんです。

この前、母を「ちゃん付け」してた時は

一緒に家の模様替えをしていたし

最近、仲良しなのかもしれません(・∀・)

まだ父は、わたしのいまの家に来たことがないんですが

もしかしたら大掃除の時に一緒に来てくれるような気がします

あー、そうそう何度も言ってますけど

わたし致命的に片付けができないんですよ

っていうか、なんで、みんなが片付けろっていうか

意味が分かんないし

散らかってても全く気にならないんですね

わたしね、たぶん人と意識の視点が違うんですよ

いま、話している世代の特徴とか

大きなくくりの、しくみとかそういうのを

探るのは得意なんですが

片付けとか、細かいことは

全く意識がいかないんですね

でも前も言ったように

人は支え合って生きているので

誰かができないことは、誰かが助けてくれるんですね

だから、母が掃除に来てくれることが

とてもありがたく思います

逆に母はエネルギーに敏感なのでわたしと会うだけで

エネルギーチャージされるらしくて

わたしに会うと1週間ぐらい調子が良くなると喜んで帰って行く

だからみなさん、一般常識にとらわれずに

互いに得意なことを活かして支え合ってください

それで、前置きが長くなりましたが

わたしと同じように片付けができないADHDの話し

インディゴ世代の本格的な話しに入る前に

前に説明したADHD的な症状の説明をしたほうが

分かり易いと思うんです

☆おとぴ的ADHD症状①☆

☆おとぴ的ADHD症状②☆

よくインディゴでADHDっぽい症状がある人多いのね

実際に病院で診断されてる人もいるみたいだし

わたしも、まさにADHDみたいな症状があるのね

病院で勤めてた時も、全員じゃないけど

ADHDの人で、インディゴだなって思うことあったし

医学的な視点じゃなくて

エネルギー的な視点で考えると

インディゴの特性がバグを起こすと

ADHD的な特徴がでるように思うのね

っていっても、インディゴの人すべてが

ADHDのような症状があるわけじゃないから

一概にはいえないし、インディゴでも

それぞれの個性があるから、

その人のよってバグの出方が違って

そのひとつの表れがADHDっぽい症状なんだと思う

おとぴ的ADHDでも書いたけど

ADHDの人って意識が人よりも広いところまで

知覚できるように思うの

それがうまく機能していると

考えなくても無意識に必要なことが分かるの

前も話したと思うけど

わたし自分ですげーって思うのが

視界の隅っこにあるものが落ちそうになって時に

落ちるなんて全く意識してないのに

勝手に手が動いて、それをキャッチしたことが

何度もあるのよ

自分でびっくりするけどね

カラダが勝手に動くの

でも、その考えないで勝手にカラダが動くような行動のしかたって

旧世代の人とかからしたら、すごく危なっかしいから

怒られたりなんなりで潰されてきているの

たぶん、この考えるよりも先に動いてしまうって特性が

ADHDでいう、衝動性なんだろうと思う

前時代はみんな、前ならえで同じことをしなさいって

枠にはめられて来たから

こういう個性って理解されなかったかもしれないけど

これからの時代は、上に書いたように

それぞれの個性を活かして、

互いに支え合い、補い合い、助け合って生きるの

だから、この世は色とりどり色んな人がいていいんだと思う

人と同じじゃなくていい

人と合わせなくていい

それでね、わたしの例でいえば

掃除が苦手だけど

不思議と、調子が良い時は

そこに視点があうみたいで、掃除がすいすいできる時もあるの

前に、ワークをやった後とか

感覚に集中し過ぎた後は

文字が書けなくなったりするっていったけど

いつもは自然にやっている

文字を書くってことに視点を合わせることができない感じなの

たぶん、その逆苦手なことに視点があう時もあるのよ

感覚的なことと、現実的なところって拮抗するところがあるんだけど

それをうまく使いこなせるようになるには

訓練みたいなことがいるの

子ども達は元々、感覚的だけど

学校に行ったり、家族や友達を通して

現実的なことを訓練するんだろうけど

その時に、旧世代的な枠にはめる感覚で押し込めようとすると

バグを起こすみたいなの

長くなるのでつづく

メリクリ&年忘れおとぴ祭り