さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆インディゴとADHD的な症状②☆

それでねー

前に、出掛けるまで時間があったから

洗濯してたのよー

そしたら洗濯機が調子がおかしくて

脱水ができなくてね

四苦八苦して、

そのうち時間がなくなってパニくり初めて

びしゃびしゃの洗濯ものを干してでかけたことがあったの

冷静になれば、びしゃびしゃの干さないで

諦めて帰って来てから

洗い直しすればいいんだけど

そん時は、強迫的に

なんとかしなくちゃ、なんとかしなくちゃって

パニくって、選んだ結果がそれだったのよ

(予定にはぎりぎり間に合った)

なんかさー、パニくりながら

びしゃびしゃの洗濯物を干している時に

震えてきて、うまく干せないし

顔とかなんかピクピクしてくるの

どっかで冷静な自分がいて

あー、わたしいま、すごい恐怖がかかっているなーって

思ってたの

わたしさー、

ちゃんとやりなさいって

ちゃんと話を聞きなさいって小さいころから

大人に怒られたのよ

いうこと聞かないと、昔の人って

叩いてでもいうこと聞かせたじゃない

さらにいうと、わたし叩かれてもいうこと聞かなかったから

掃除機のホースとか、ハタキで叩かれてたんだけど

大人が思うちゃんとが、わたしのときっとすごく食い違っていたし

わたし、物事の説明を10なら10聞かないでも

2、3聞けば、分かったっていってやり始めちゃう子だったの

それが、大人はすごく気に入らないみたいで

怒られたんだけど、

正直、いまでも、わたし人の説明2、3しか聞いてないけど

そんなに問題ないのよ

人が話すことって、どうでもいいことも多いし

大切なのって、たくさんある話しのごく一部じゃない

特に上の世代の人の話って、長く感じたの

いまは、一応、10聞いているふりをして

聞き流して、その中から重要そうなところだけ聞いているのね

それって、わざとじゃなくて無意識にやっているし

多くの人が意識していないけど

聞いているようで、聞いていないよ

特に、無理やり話を聞かせられて枠にはめられて

育ったであろう、旧世代の人同士の会話って

無理問答みたいに、通じてないじゃない

たとえばさー

旧世代あるあるなんだけど

人から聞いた色んな情報を色々覚え込んでガチガチなわけよ

例えば、お客様には高級なお菓子をお出ししなければいけないって

思い込みがあるとするじゃない

お菓子を出して来ても

こっちはダイエットしてるんでお気遣いなくっていっても

向こうは、高級品だから遠慮していると思って

無理やりに勧めてくるのよ

それこそ、食べないと帰してくれないぐらいの勢いで

でも、それって形を尽くしているだけで

相手を感じてないのよねー

人と人との付き合いじゃなくて

形での付き合いなのよ

そういう会話をしているうちに

相手も自分も感じられなくなって、無理問答みたいになるの

ちなみにそれは世代の特徴だから

それが悪いんじゃなくて、それがわたしは苦手だったのね

だけど、小さい頃はそんなことも分からずに

形を尽くす大人たちに怒られ続けたわけ

感覚的な子どもから見たら

そういう形だけの人間って、ものすごく怖くみえるの

それこそ、血の通ってないお化けみたいな

さらにお化けに怒られるものだから恐怖倍増よ

そんなんで、ちゃんとしなければいけないことに

ものすごく恐怖を根付いてしまい

ちゃんとしなきゃいけない場面で

無意識にその恐怖が浮上するから

バグって余計に、奇妙な行動を起こすわけ

あとねー

わたし、人と共鳴しやすい体質だけど

そんなことは子どものわたしは分からなかった訳じゃない

そういう枠にはまった人の感覚って

まるで巨大な人食い花にくわれたみたいに

周りを覆い尽くして、感じなくしているわけ

(完全におおわれている訳じゃなくて遮眼帯ぐらい少しは残してる)

その感覚って、ものすごく窮屈で

そそうをしてはダメって、

人様に迷惑をかけてはダメ

ちゃんとしなければダメって

ものすごい恐怖の思い込みで包まれている感じなの

その感覚がこれまた

インディゴやADHDの自由で広い感覚に

とってはものすごい対象的なわけ

それこそ、巨人に襲われたぐらい

対象的な恐怖

だから、そういった感覚を感じると

余計に恐怖を感じて、バグると思うの

だからねー、訳の分かんないパニックとか

衝動性とか、注意散漫さとか、多動性とか

こういうバグの影響が大きいんじゃないかなーって

わたしは個人的に思っているの

でもね、それも時代のしかけだから仕方ないのし

旧世代の人もそうやって育てられて

それが良いことだって思い込んでやってくれているし

相手を想う気持ちがないわけじゃないと思うの

旧世代なりの愛情の表現なのよ

子どもの頃は怖くて仕方なかったけど

いまは、その自分の恐怖も、相手のことも

理解することができるの

どうしても、恐いから

相手を非難の対象にして、攻撃したくなるんだけど

旧世代の人はそういう生き方が

本来のいのちからしたらものすごく怖いものだって

みせてくれたんだと思うの

前にも言ったけど

旧世代の人は恐怖や緊張でガチガチなのよ

こっちも恐怖して、しかも怒りながら相手に向かっても

硬いもの同士がぶつかって、どちらも傷つくの

だから、それを理解できる人が

その怖かった自分の想いを分かってあげて

恐怖じゃなくて、一呼吸置いた柔らかい気持ちで接してあげれば

相手の人の恐怖も徐々に和らいでいくと思うの

だからね、

わたしたちが優しい柔らかい気持ちで生きること

それがとてもこれからの時代に大切なことなんだよ

メリクリ&年忘れおとぴ祭り