さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆痛みの連鎖のはなし☆

それで、痛みの連鎖のはなしです

音楽でも聞きながら読んでください

人はやられたことを、無意識に人にやりかえしてしまうって

繰り返しお伝えしています

これね、たとえば虐待された人は

子どもにも虐待するとか

そういう単純な話だけじゃなくて

たとえばね

「人に迷惑をかけちゃいけません」って

言われて育ったとするじゃない

でも、実際問題

人によって何が迷惑で、何が迷惑じゃないかなんて違うし

人だけじゃなくて、男女や地域や国によっても

価値観なんて違うし、状況や心境によっても違うから

同じことでも迷惑なこともあれば、そうじゃないこともあるのに

何が迷惑かなんか正直、やられないと分かんないのよ

人は人と支え合って生きるから

互いにある程度の負担はかかるから

ある程度の迷惑をかけあってもいいと思うし

いつも言っている通り

人は響き合って生きているから

本来は互いの役に立てることは喜びなのね

ただ自分を忘れた状態だと

響き合えない状態だから

人と人とが生き合う意味を忘れてしまっているのね

だから、そんな発想がでてくるんだと思うのね

そもそも、すべては必要で起こるから

そんなに迷惑をかけられるような人は

なんらかしらの意味があると思うのね

だから、迷惑かけちゃいけないってのは

すごく形だけに囚われた話しだと思うの

人は分かってないようで

どっかで、色んなことを感じているから

その言葉の矛盾もどっかで感じていると思うのね

そんな理解できない教えに対して

頭で迷惑をかけちゃいけないって

怯えていると

迷惑をかけないようにってした行動に

すでに、怯えだったり痛みの感覚が乗っているのよ

だから、迷惑をかけないようにしたのに

相手は何か違和感を感じて

(時には陰で)あれこれ文句をいわれる

他にも、これわたし自身が

痛みの連鎖について

すごく分かり易かったんだけど

わたしが、たまのをのワークやセッションは録音して

繰り返し聞き直してくださいって言って

ワークの参加者さんに言っているのね

っていうのも、参加して来て下さった方たちを

みていると、繰り返しワークの録音を聞いていると

感覚がつかめてくるみたいだから

そうアドバイスしているの

(ちなみに、ワークに参加できない方は、わたしのブログや

youtubeにアップした動画を

繰り返し読んだり観たりしてもいいと思います

他の人のでも、感覚をとらえるってことを

頭じゃなくて感覚で理解するのには

繰り返し、読んだり見聞きするのがいいみたいです)

わたし自身は

最近は録画しているけど

前は録音とかしたことなかったのね

っていうのは、たましいのリーディングは

こんなにすごいものだって知らないで受けたし

ビワさんたちにあれこれ、言われる時は

日常会話の中で、突然、いわれるから

録音しようとか、とっさに思わないのね

ある人に

「そういえば、

わたしワークとかセッションの録音ってしたことないなー」

っていったら

「えっ、人にはいう癖に」っていわれた瞬間

ナイフで刺されたみたいに胸が痛かったのね

あれって、本人の痛みがその言葉に乗っているのを

わたしが感じたんだと思うの

別に嫌味っぽくとかじゃなくて

穏やな口調で言われたんだけどね

たぶん、親から自分でやれないことは

人にいうなとか言われて育ったのかなー

その人自身がそれで傷付いたんだか

親のその言葉に痛みが乗っているのが

連鎖したんだか分かんないけど

受け取った側にとっさに痛みを感じるから

それが相手のものだと思わずに

自分が傷付いたと思うと思うの

こうやって人は痛みを連鎖しながら

傷つけあっているんだって思った

そもそも、わたしは主催してる側として

みんなには善意で録音してくださいって

いっているから、

そういわれるのはお門違いって感じがするんだけど

たぶん、こういう痛みを負った上で

こうしなければいけないっていうのって

ある意味、強迫観念みたいな思い込みだから

そこに囚われると、冷静な状況判断なんかできないんだと思うよ

うーん、なんか

昔って親からの体罰って当たり前みたいなところがあって

叩いたり、押し入れ閉じ込めたりして

子どもに言うことを聞かせてたじゃない

そういうので教えられたことって

ものすごく恐怖と痛みが乗っていると思うし

それが至るところで知らず知らずに

人と人とを傷つけあっていると思う

最近の親は叱らなくなったっていうけど

それでも行動にこうして

痛みが乗っているから、痛みの連鎖は続いているのよ

どっちがいいかっていうと

どっちもどっちなところがあって

体罰は痛いけど、印象深く覚えているから

他の人にはしないようにしようって思えるし

あとで自分解きをするのに解きやすかったりする

だけど、言葉に知らず知らずに乗っている痛みって

通常は頭じゃ理解できないし

相手は一見、穏やかな口調だったりすると

相手を責めることもできないから

知らず知らずに痛みが蓄積していくと思うの

時代は緊張から弛緩に向かっているっていったけど

たぶんインディゴ前期ぐらいまでは

結構、体罰とか受けている人が多いと思うの

なんか知らないけど、すぐ怒るJJI(じじい)が近所にいたりしたし

たぶん、ゆとりの子ぐらいから

目で見て分かるような暴力じゃなくて

知らず知らずに言葉で傷付いている人が多くて

しかも彼らはすごく感覚がいいから

痛みをたくさん受け取ってしまって

人前じゃ無意識に感覚を消す技を覚えて

一見、無気力な感じとか

信じられないレベルで気が利かなかったりするんだと思う

つづく