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さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

いのちのしくみとか、この世のしくみを書いています

☆なぜ人を殺してはいけないか☆

★この世のしくみ★

なぜ人を殺してはいけないかって

前にも書いた気がするけど、また書くわ

ちょうど、フェイスブック

数年前の同じ日にシェアした記事を振り返れる機能があって

それを見ていたら、2年前にアップした記事が

評判が良かったらしく、近い内容のことが書いてあった

☆すべてを受け容れるということ☆

これは、ありのままの自分を

受け容れることの大切さを書いたものなのね

ありのままの自分を受け容れることができれば

ありのままの相手を受け容れることができるから

※あー、たぶん頭で生きている人は区別がつかないだろうから

先に説明しておくと

いまの時代、人々が変化していくことが大切なのに

そのままで良いっていわれると、矛盾しているように感じるだろうけど

全く逆で、ありのままの自分を認められないから

色んな滞りが生じて、色んな問題が起こっているので

ありのままを認めることで、色々と変化が起こるように見えるけど

それは何かが変わったと言うよりも、

元の形に戻ったのね

もっと詳しくいうと、元々、丸だけど

見たくない部分があって、そこに見たくない感情が溜まって凹んでたけど

凹みにある、ありのままの感情を認めたら丸に戻ったみたいな感じ

以下、☆すべてを受け容れるということ☆から一部を転載

>人と人とのいざこざってもしかしたら根本は

自分と分かりあえないことなのかも知れない

それは人と分かりあえないことにも繋がる

だから自分をすべてを受け容れられた時

人のすべても受け容れられ

自分を愛するように、人を愛することができる

人に対して

いいよ どんなあなたでもいいよ

そのままのあなたを愛しているよ

そのままのあなたも

移り変わって変化して行くあなたも

すべて愛している

そう思える

このすべてを受容するチカラ

この愛情が女性が持っている

受容するチカラ

それはいのちのチカラ

だから世界もここままでいいし

変わって行ってもいい

いつなんどきも変わらずに愛しているから

不思議とそう思うと

すべてが解けて行く

もしかしたら自分や相手を変えようとするチカラが

色んな問題を引き起こしていたのかもって思える

あのねー、

前に何度か書いた気がするけど

いのちの絶対的な理(ことわり)で

わたしはわたしを生きる

あなたはあなたを生きる

そして互いを育み合い、活かし合い、

支え合い、補い合い、助け合う

っていうものがあるのね

この世界に別々に個として表れるにあたって

それぞれに個性があるの

基本的に、それぞれが、それぞれの個性を生きないといけないから

互いの個性を潰し合うようなことをしてはいけないのね

だから基本的に人には必要以上に干渉してはいけないのね

っていうか、自分を生きれていたら

あたりまえにそれはしちゃダメだって分かると言うか

それ以前に、そんな発想すらないと思うの

(なにが干渉にあたるか分からない人は

頭で理解しようとしている人なので

どんなに説明しても、ケースバイケース過ぎて切りがないので

何が干渉かを考えるよりも、

自分を生きれるようにすることにフォーカスした方が早いです)

もし仮に意見が合わない時があっても

互いに潰し合うのではなく

互いに歩み寄って、新たな答えを生み出せると思う

だけどね、多くの人は自分を生きれていないから

何かの問題があるときに

それが自分の内的なものが反映されていることにも

気付かないことも多いし

人と自分の問題を混同してしまうことも多い

そして、人をなんとかしようとする癖が多くの人にあるの

だけどそれはこの世の理(ことわり)に大きく反することなの

あー、そうそう

人に必要以上に干渉しちゃいけないから

もちろん人を殺すのも、理(ことわり)違反なわけよ

だけど、もっと前の段階で

互いに互いの個性を潰し合い、殺し合っているから

エネルギー的には、互いに殺し合ってこの世界ができあがっているの

それが溜まりに溜まって

肉体的にも相手を殺そうという衝動が生まれるんだと思う

どっかで、子どもが大人に

「なぜ人を殺してはいけないか」を問いかけて

誰も答えられなかったっていう話を聞いたことがあるけど

もうハッキリいって論外なの

だって大人達が、自分を生きてない

エネルギー的には死んだような状態で生きているから

頭で覚えた、法律で決まっているからとか

家族が悲しむからとか、そんなことしか浮かばないだろうし

子どもはエネルギーが分かることが多いから

こんなに(エネルギー的には)人と人とが互いに殺し合って、潰し合っているのに

肉体的にはダメって言われても、意味が分からないし

そうなってくると子どもも感覚を潰して

訳が分からず生きるしかなくなると思う

そもそも、自分を生きれていたら

人を殺そうなんて発想すらないと思う

これだけ人と人とが(エネルギー的に)殺し合っているのに

単純に理(ことわり)に反するからですよっていっても

説得力ゼロなのね

だから、なぜ人を殺してはいけないかを問うよりも

あたりまえに自分が生きれるような人が増えて

誰も人を殺したいなんって発想すら生まれない世界を創った方が

遥かにいいと思うの

だけど、人をどうにかすることはできないから

それに気付いたそれぞれの人が

自分を生きようとするしかないのね

あー、そうそう

これは世代でも大きく違ってね

ゼロの世代ぐらいまでは

こういうった理(ことわり)が封じられた世代なので

理に反することをしてしまうのは仕方ないのね

(下の世代に比べたら割合は少ないですが

ゼロや旧世代でも自分を生きれる人は出てくると思います

でも、多くのケースでは下の世代が生きれるようになったら

それが反映されて、上の世代も生き易くなっていくと思います)

でも、インディゴ世代からは

その理の元で生きることができるのね

そのためにも、どうやって人々が互いに殺し合って生きて来たか

それを冷静にみれるようになって欲しいのね

そのためには、まずは自分を生きれるようになる

人と自分の問題を混同しないこと

人をどうにかしようとしないこと

そういうことが大切なの

最近さー、これだけすごくエネルギーが降り注いでいて

人がカラダから変わっているから

色んなことが起こっているみたいなのね

たぶん病気になったり、ボケたような症状が現れる人も多いだろうし

体調不良だったりとか、精神的に落ち着かなかったりとか

現実的にも色んな問題も起きやすいと思う

でも、ニュースとかみていると

まだまだ、ほとんどの人がそれらを外側のせいにしている

最近、芸能人の不倫とか、ちょっとした問題発言とかで

すぐにまるで相手を潰す勢いで総攻撃するよね

もうちょっとした刺激でも、過剰に反応してしまうぐらい

人が追い詰められているんだと思う

どうしても前時代的な価値観において

正しい正しくないっていうことが重要視されていたから

少しでも道徳に反しそうなことがあれば

まるで鬼の首をとったかのように総攻撃するよね

別に直接、被害を受けたわけでもないのに

あそこまで人のことを批判するってことは

そうとう外側に意識が向かっているんだろうし

それはその人の生き方だから

わたしがどうこう言えることじゃないんだけど

あの生き方を続けていると

肉体的にもどんどん不調になるだろうし

現実的にもどんどん生き辛くなっていくと思う

そうはいってもさ

ムカついちゃうのは仕方ないから

思う存分、怒りまくればいいと思うの

だけどどこかでその怒りは外側の人が起こしたんじゃなくて

自分のうちにあるものだって

気付ける人から分かってあげれていくと違うと思う