さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆見えない壁☆

なんか、5月頃かな

ダーリンとの間に見えない

透明の壁みたいなものを感じる時があった

 

 

壁というほど分厚いものじゃなくて

膜みたいな感じでへだたりがある

 

 

だけど、ダーリンはいつも優しい

 

 

昨日だって、選挙行くって声をかけられて

「眠いし、誰に入れていいか分かんないのに

無責任に選挙行きたくない」って言ったら

あっさりひとりで言ってくれた

 

 

前だったら、なんて断ろうと

ほぼ無理やり選挙に連れて行かれたのに

最近は無理強いしなくなったし

前にも増して優しくなった

後で『人は死なない』の矢作先生が立候補していると

聞いて、結局、投票に行ったけど、矢作先生落選しちゃったね。残念。

 

 

「アイスー」と言えば、自動的にアイスがでてくるし

図書館に本を返し忘れても、自主的に返してきてくれたり

そうとう甘やかされている

 

 

もちろん彼のことは愛しているけど

でも、不思議と壁を感じることがあった

 

 

きっとこれは、彼に対してというよりも

これまでわたしが人との間に

感じて来た壁なんだろうと思った

 

 

こんなに幸せでも、うすぼんやりとどこかで

しっくりこない感じがあるのは

この壁があるせいで、人と深く関われないからだと思う

 

 

子どものころから、とにかく人が怖かった

 

 

エネルギー的なものは感じない様に

シャットアウトして生きて来たので

よく分からなかったけど

とにかく人と話しが通じないのが

恐ろしすぎた

 

 

なんで、こんなに人と話しが通じないんだろう?

たいしたことを話したわけじゃなくても

人はものすごく湾曲して解釈したり

全くはなしと違う返しをしてくる

 

 

それだけでも、人が妖怪に見えるぐらいだった

でも、きっと向こうからしたら

わたしが話しが通じなかったかもしれないなって思う

 

 

とにかく人とのコミュニケーションがストレスだった

 

 

そういう以前のわたしが、人とのコミュニケーションの中で

無意識に作った壁なのかもしれないって思った

 

 

きっとこの壁によって、無意識に自分を守って来たけど

見えるってことは、もういらないし

それが不要になってきたからだと思った

 

 

前は必要だったかもしれないけど

いまは、それがあることによって

人と深く関われないから、もどかしい感じがある

 

 

 

とにかく自分を解き続け

人を観察し続けて

自分が何が嫌だったのかが明確に分かるようになって来た

 

 

わたしは人が嫌なのではなくて

それぞれの人にある人の世的な感覚が嫌なのであって

みんな、人の世が恐すぎて

それぞれに思い込みであったり

色んな癖をつけてくることが分かるので

人に対して、以前ほどの恐怖を抱くことが無くなった

 

 

それでも、時々、般若だったり、なまはげだったり

強烈な人に出会うけど

そうなるまでに至る経過があることが分かるから

むやみやたらと人を嫌わずに済むようになって

本当に楽になった

 

 

でも、一方で人に恐がられることが多くて

わたしに会いたいけど、怖くて会えないって話しをよく聞く

 

 

それには、その人自身の問題もあるだろうけど

ひとつには、わたしが見えない壁で

無意識に人を拒絶している癖が

抜けていないからかもしれないなって思った

 

 

 

それでも、最近は話しが通じる人も増えてきたので

子どものころからの苦悩が報われたみたいでとても嬉しい

 

 

表面的な話しじゃなくて

ちゃんと心から話せる友達が欲しいって

ずっと思ってたけど、やっとそれが叶い始めて嬉しい

 

 

とくにわたしと同じようなことを

小さいころから感じていて苦しかったけど

わたしのブログで謎が解けたっていわれると

本当に嬉しい(・∀・)

 

 

 

最近は、月に2回ぐらいおはなし会をしているけど

もっとたくさんの人と関わりたいって思う

そうやって、どんどんお友達が増えるといいなって思う

 

 

なんか、そうして話しが通じる人が

もっと増えて行くことで、きっとわたしの見えない壁も

いつの間にか癒えて行くんじゃないかなって思う

 

 (追記)この先に、フェイスブックのお友達申請に関して

書いてありましたが、この対気を書いている

2017年現在、フェイスブックをほとんどやっていないので

その部分は削除させていただきました。