さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆支配と依存☆~自分を生きる決意~

それでね、支配と依存シリーズの続き

 

ここから抜けたいと願う人に一番、大切なのは

それを決意することなんだと思う

 

 

決意することで、そのような流れになって行くから

 

 

ただ、前の記事でも書いたように

支配される人に母親をみて、かこわれることを

良しとしているうちは、決意してもその決意が

形だけの決意だから、叶い辛いかもしれない

 

 

そうなった究極、母親を含めた人から認められることと

自分で自分を認めてあげられること

そのどっちかを選ばないといけないよね

 

 

でも、自分で自分を認めてあげられれば

結果として、自然と周りの人にも認められるようになるけどね

逆は絶対にあり得ない

あったとしても、表面的な形だけの張りぼての世界

 

 

ただいまはまだ、時代が混沌としているから

自分を生きようとすると

支配と依存タイプの人に妨害されたりするから

そのタイプの人に認められるのは、しばらく難しいかもしれない

 

 

でも、それは自分を貫けば貫くほど

妨害されなくなって行くから

自分を生きるより強い決意を促すために

呼び水になってくれているともいえるよね

 

 

決意した後は、自分のドロドロした面とか

色々と見るのは、キツイかもしれないけど

いまは変化が早いから、

いままでよりもずっと早いペースで変容して行くよ

 

 

ただ、行くか行かないか迷いが強いと

その抵抗感の分、余計にキツさが増すから

とにかく腹をくくることが大切だと想う

 

 

うーん、腹をくくりたい人に向けて

決意のきっかけになるかもしれないことを

これから話していくけど

 

 

支配と依存

 

 

他にも人の世にはびこるもの

 

所有、嫉妬、執着、チカラ、富みへの欲望とか

言って来たけど、

根っこは母親との支配と依存の関係なんだと思う

 

 

母親に認められたいが故に

物金とか見える形での成功にとらわれ、所有し

成功している人に嫉妬する

 

 

だけど、俗にいうアセンションって言われているものも

この感覚が大きな別れ道なんだなーって思うの

 

 

それぞれの思う成功の仕方がモデルになって行くって言うのかな

 

 

人から認められたい欲求がベースの人は

そのような現実を創りたがるけど

結局、物金や見られる自分にとらわれて

その感覚に支配されているのね

 

 

そういう人は自分の人生すら

コントロールしたいだろうからいいんだろうけど

この世界の素晴らしさは、そんなものじゃないから

もったいないなーと思う

 

 

実際、願いは現実化して行くから

そういう成功を良しとする人にはそういう世界が現れるし

それが喜びだと思いこもうとしている感じ

 

 

なんかね、本当にこの世はパラレルワールド的に

人によって、全く違う世界を生きているんだなーっていうのが

ここ1,2年で如実に表れるようになって来たの

 

 

前から時々、そういうことはあったのね

分かり易い例では、同じ日の同じ時間に高速を走っていても

ものすごく渋滞に遭う人と、

渋滞があったんですかってぐらいすいすい走れた人

 

 

他にも色々とあるんだけど

別々の時に、同じ場所に行っても

支配と依存系の人のはなしを聞いていると

それが天気が違ったとか、運とか

そういうレベルじゃなくて、住んでいる世界が違うとしか

思えないような話しを聞いてびっくりするのね

 

 

本来、すべては整えられ、与えられている

 

 

ただ、すべてが完璧すぎては面白くないから

完璧な側面もあり、惑星の逆行などうまく行かない時もあるのね

 

 

そういった抵抗を経験できることも喜びであり

それがこの世界の面白い所なんだけど

多くの人は、自分を違えてしまっていて

自分のさまざまな観念が邪魔して、それが見えない

 

 

思考が現実を創るって言うけど

本当にそれぞれの人の思い込みで現れる世界すら違うみたい

 

 

もっといえば、人によって見える世界が全く違うから

人の数だけ、世界があって

いままでは、気がつかないだけで、

それらの世界を瞬間、瞬間で行き来していていた感じだったし

別に気がつかなくても、

それらを連続性を持って感じられたから問題なかったのね

 

 

別にコントロールしようとしなくても

人の頭で理解できるレベルを遥かに超えて

すでに完全にコントロールされているんだけど

人はそのチカラを無視して

自分の人生をコントロールしようとしようとするのね

 

 

それがうまく行くこともあるし

それが摩擦を生じることもあるんだけど

人は恐怖故に、そのコントロールを手放せないから

仕方ないし、それもひとつも経験だと思うから

それはそれでいいと思って来たんだけど

どうやら、ここに来てそうは行かない感じになってきた感じで

その恐怖を手放せない人は、これから大変になっていくと思う

 

 

 

別にね、渋滞のケースでいえば

それぞれの人に必要なことが起きているから

別に渋滞に遭ったっていいのよ

 

 

わたしだって、他の人が渋滞に遭っていても

その人と、同じ世界にいるとは思えないほど

すいすい行くこともあれば

また別の時は、無意識に渋滞する道ばかり選んで

渋滞にはまったこともあるけど

そんな自分に腹を立てて、怒りまくって出てくる感情もあったり

実はそれに行く抵抗感を表してくれていたり

渋滞に遭うことで時間調整になったり

それは損得勘定でははかれないものあるのね

 

 

そういうのも含めて、自分の世界に起こる出来事を信頼し

自分の人生にどれだけ自分をゆだねることができるかってことって

どれだけ自分を信頼できているかが反映されると思う

 

 

ただね、はっきりしているのは

本来、この世界においては

この体験している世界が違いすぎる人たちは

出会えない様になっているの

 

 

すべてはエネルギーでできているから

引き合うものが無ければ出会えない

 

 

ただこれまでは前時代において、

色んな思い込みとか観念とかで

本来のその人とは違う質のエネルギーもたくさん持っていたので

ある意味、ごちゃまぜ状態で

本来、会えない人たちも会えていた感じなの

 

 

どっちが良い悪いじゃなくて

すべてはそれぞれの人の選択なんだけど

 

 

この本来、いっしょにいるべきじゃない人と

一緒にいると、強い摩擦が生じるようになってきたの

 

 

こうした大きな差がなぜ生じるかって言うと

 

 

支配と依存 

 

 

前時代を形作って来た、このエネルギーから

どれだけ抜けられるかが大きな違いなんだと想う

 

 

これはわたしからの警告でもあるんだけど

 

 

前の記事でも書いたけど

支配、依存、執着

こういったものが強い人が

どんどん妙な印象になっていっている感じがするの

 

 

正直、その差を埋めるのが難しいぐらい

差が歴然としているから

わたしの理解が及ばないだけで、そういう人には

何か必要があって、そうなっているのかもしれないとも思う

 

 

まるで新興宗教にでもはまったのかのように

何かから逃げるように、現実から目をそらすように

グランディングが甘くなり、浮いている現実感がない状態なのに

幸せだと思い込み、楽しんでいるつもりになっている印象の人が増えた

 

 

そうだね、結局「母親教」っていう宗教に多くの人が

どっぷりはまっているし

その母親からの支配であったり、執着に幸せを感じて

抜ける気が無いんだと思う

 

 

それもその人の選択なんだけど

時代は早急に新しい時代の母性への変化を求めているのね

 

 

それは支配と依存という関係性ではなくて

親と子が互いに育み合うような関係性だから

これまでの母性とは正反対といってもいいと思う

 

 

なんかね、支配と依存の世界にいかに浸かっていたかを

認める気がなさそうな人は

エネルギー的に浮いてしまって現実感がなくして

楽しいつもりになっている印象があるの

だから、幸せアピールがすごかったり、やたらともっともらしいことをいって

古い時代の母親教から信者を逃さない様にしている感じなの

 

 

でも、幸せかどうかは

アピールしなくても、その人からにじみ出てくるものを

見れば一目瞭然なんだけど

形だけにとらわれる人は、

人の言葉やアピールにひっぱれやすいよね

 

 

結局、現実からも、本当の自分からも

目を逸らしている状態なので

わたしには、それがとても幸せとは思えないけど

本人達が、それを幸せだと思いたいなら仕方ないのね

 

 

わたしが嫌なのが、

このタイプの人にとって

わたしの存在が許せないらしくて

人によっては潰しにかかってくるのよ

 

 

このタイプの人は、マウンティングとか

クソバイスとかが大好きなんだけど

わたし、マンティング殺しで、

そういう人の自慢ポイントが全く分からないから

別に褒めもしないでいるのが気に入らないだろうし

逆にわたしの話しに嫉妬して、マウンティングしてくる

別に自慢しているわけじゃなくて、

事実を述べているだけなんだけど、勝手に嫉妬してくるのよ

 

 

表面的には、言葉巧みに色んなことを言ったりするけど

感覚的には

わたしたちはこれでも幸せなのよー、

それを認めなさいよ。

わたしたちのやり方に従いなさいよって感じなの

 

 

あなたたちがそれでいいなら、わたしは別にいいけど

 

 

わたしはそれを認められないよ

 

 

だって、わたしは相手のカラダの状態を

そのまま感じてしまうから

どんなにその人が幸せだと思い込もうとしていても

それが嘘であることが如実に分かってしまう

 

 

感覚的に、何も見たくない

 

 

何も聞きたくないと

 

 

自分を閉ざしていることも分かってしまう

 

 

これはわたしだけじゃなくて

子どもたちにも如実に分かると思うよ

 

 

わたし、こういう人を見ると

無意識に反発してしまう癖があるのね

その反発はある意味、わたし自身のものでもあり

その人自身の状態に無意識に共鳴しているものでもあると思う

支配と依存が強い人は

内側で自分自身に対して、ものすごい反発があるからね

 

 

だから、わたしも時々、

そういう人に強く当たっちゃうことがあるのね

それで、おとぴちゃんに反発されたとか

陰で落ち込んでいる人がいるらしいけど

わたしを擁護するわけじゃないけど、

それは自分の内側で起きていることだと思った方がいいよ

そうしたほうがより深く自分を理解できるから

 

 

ちなみにわたしがこういった感覚に反発するのは

このタイプの人って、取り入ろうとしてくるっていうのかな

媚びてくる感じがすごく嫌だし

エネルギー的に浸食してくる感じがあるのね

それが嫌でつい抵抗してしまうのね

 

 

とにかく、子どものころからこの感覚が

ものすごく嫌だった

その自分を分かってあげつつも、

そうして反発しているうちは、

同じものがわたしの中にもあるのかなーとも思うんだけど

それだけじゃないと思う

全くないことはいわないけど

だって、赤ちゃんが火がついたように泣くのって

この感覚だと思うのね、

 

 

本来のいのちの質とは、すごくかけ離れた感覚だと思うから

それを不快に感じるのは当たり前で

むしろ不快だということから目を逸らしていると

気付けないものがたくさんあると思う

 

 

あと、わたしは割と気付いたことは

考えもなく言ってしまうほうだけど

それが口から出て来ないタイプの人がいるのね

 

 

主に上の世代の人に多いんだけど

その人が、言われることを強く拒絶している時は

わたしも口からその言葉が出て来ないし

その人を前にすると言いたい言葉すら浮かばない

 

 

それでも相手に伝える練習をして

伝えたりしたけど、受け容れる余地がないっていうのかな

わたしもすごく強く張って行かないとそのことが伝えられなくて

それをすることがすごく疲れるし

無理に伝えても通じないし、

余計に相手を頑なにさせてしまうから逆効果みたい

 

 

何度もいうけど、それが良い悪いじゃなくて

適材適所って言うか、それぞれに住む世界があるみたい

 

 

それに関して、わたしはどうすることもできないけど

間違えなく、それぞれの人に必要なことが起こっているから

それぞれの人の生きるチカラを信じているしかないなって思う

 

 

ただね、この支配と依存って

すごく当たり前に人々の中に入り込んでいて

自分じゃなかなか気付けないのね

 

 

中にはそのままがいいって

怖くてその世界を見るなんてとんでもないって人もいるだろうけど

若いインディゴ系の人はそうじゃない人もいると思う

 

 

そういう人に向けて

とにかくこうやって前時代的な特徴を話すことで

少しでも恐怖がやわらぐことができたら、

自分を生きる決意に繋がればいいなって思う

 

 

 

 

 

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