さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆支配と依存☆~自分を生きる決意~

それでね、支配と依存シリーズの続き

 

ここから抜けたいと願う人に一番、大切なのは

それを決意することなんだと思う

 

 

決意することで、そのような流れになって行くから

 

 

ただ、前の記事でも書いたように

支配される人に母親をみて、かこわれることを

良しとしているうちは、決意してもその決意が

形だけの決意だから、叶い辛いかもしれない

 

 

そうなった究極、母親を含めた人から認められることと

自分で自分を認めてあげられること

そのどっちかを選ばないといけないよね

 

 

でも、自分で自分を認めてあげられれば

結果として、自然と周りの人にも認められるようになるけどね

逆は絶対にあり得ない

あったとしても、表面的な形だけの張りぼての世界

 

 

ただいまはまだ、時代が混沌としているから

自分を生きようとすると

支配と依存タイプの人に妨害されたりするから

そのタイプの人に認められるのは、しばらく難しいかもしれない

 

 

でも、それは自分を貫けば貫くほど

妨害されなくなって行くから

自分を生きるより強い決意を促すために

呼び水になってくれているともいえるよね

 

 

決意した後は、自分のドロドロした面とか

色々と見るのは、キツイかもしれないけど

いまは変化が早いから、

いままでよりもずっと早いペースで変容して行くよ

 

 

ただ、行くか行かないか迷いが強いと

その抵抗感の分、余計にキツさが増すから

とにかく腹をくくることが大切だと想う

 

 

うーん、腹をくくりたい人に向けて

決意のきっかけになるかもしれないことを

これから話していくけど

 

 

支配と依存

 

 

他にも人の世にはびこるもの

 

所有、嫉妬、執着、チカラ、富みへの欲望とか

言って来たけど、

根っこは母親との支配と依存の関係なんだと思う

 

 

母親に認められたいが故に

物金とか見える形での成功にとらわれ、所有し

成功している人に嫉妬する

 

 

だけど、俗にいうアセンションって言われているものも

この感覚が大きな別れ道なんだなーって思うの

 

 

それぞれの思う成功の仕方がモデルになって行くって言うのかな

 

 

人から認められたい欲求がベースの人は

そのような現実を創りたがるけど

結局、物金や見られる自分にとらわれて

その感覚に支配されているのね

 

 

そういう人は自分の人生すら

コントロールしたいだろうからいいんだろうけど

この世界の素晴らしさは、そんなものじゃないから

もったいないなーと思う

 

 

実際、願いは現実化して行くから

そういう成功を良しとする人にはそういう世界が現れるし

それが喜びだと思いこもうとしている感じ

 

 

なんかね、本当にこの世はパラレルワールド的に

人によって、全く違う世界を生きているんだなーっていうのが

ここ1,2年で如実に表れるようになって来たの

 

 

前から時々、そういうことはあったのね

分かり易い例では、同じ日の同じ時間に高速を走っていても

ものすごく渋滞に遭う人と、

渋滞があったんですかってぐらいすいすい走れた人

 

 

他にも色々とあるんだけど

別々の時に、同じ場所に行っても

支配と依存系の人のはなしを聞いていると

それが天気が違ったとか、運とか

そういうレベルじゃなくて、住んでいる世界が違うとしか

思えないような話しを聞いてびっくりするのね

 

 

本来、すべては整えられ、与えられている

 

 

ただ、すべてが完璧すぎては面白くないから

完璧な側面もあり、惑星の逆行などうまく行かない時もあるのね

 

 

そういった抵抗を経験できることも喜びであり

それがこの世界の面白い所なんだけど

多くの人は、自分を違えてしまっていて

自分のさまざまな観念が邪魔して、それが見えない

 

 

思考が現実を創るって言うけど

本当にそれぞれの人の思い込みで現れる世界すら違うみたい

 

 

もっといえば、人によって見える世界が全く違うから

人の数だけ、世界があって

いままでは、気がつかないだけで、

それらの世界を瞬間、瞬間で行き来していていた感じだったし

別に気がつかなくても、

それらを連続性を持って感じられたから問題なかったのね

 

 

別にコントロールしようとしなくても

人の頭で理解できるレベルを遥かに超えて

すでに完全にコントロールされているんだけど

人はそのチカラを無視して

自分の人生をコントロールしようとしようとするのね

 

 

それがうまく行くこともあるし

それが摩擦を生じることもあるんだけど

人は恐怖故に、そのコントロールを手放せないから

仕方ないし、それもひとつも経験だと思うから

それはそれでいいと思って来たんだけど

どうやら、ここに来てそうは行かない感じになってきた感じで

その恐怖を手放せない人は、これから大変になっていくと思う

 

 

 

別にね、渋滞のケースでいえば

それぞれの人に必要なことが起きているから

別に渋滞に遭ったっていいのよ

 

 

わたしだって、他の人が渋滞に遭っていても

その人と、同じ世界にいるとは思えないほど

すいすい行くこともあれば

また別の時は、無意識に渋滞する道ばかり選んで

渋滞にはまったこともあるけど

そんな自分に腹を立てて、怒りまくって出てくる感情もあったり

実はそれに行く抵抗感を表してくれていたり

渋滞に遭うことで時間調整になったり

それは損得勘定でははかれないものあるのね

 

 

そういうのも含めて、自分の世界に起こる出来事を信頼し

自分の人生にどれだけ自分をゆだねることができるかってことって

どれだけ自分を信頼できているかが反映されると思う

 

 

ただね、はっきりしているのは

本来、この世界においては

この体験している世界が違いすぎる人たちは

出会えない様になっているの

 

 

すべてはエネルギーでできているから

引き合うものが無ければ出会えない

 

 

ただこれまでは前時代において、

色んな思い込みとか観念とかで

本来のその人とは違う質のエネルギーもたくさん持っていたので

ある意味、ごちゃまぜ状態で

本来、会えない人たちも会えていた感じなの

 

 

どっちが良い悪いじゃなくて

すべてはそれぞれの人の選択なんだけど

 

 

この本来、いっしょにいるべきじゃない人と

一緒にいると、強い摩擦が生じるようになってきたの

 

 

こうした大きな差がなぜ生じるかって言うと

 

 

支配と依存 

 

 

前時代を形作って来た、このエネルギーから

どれだけ抜けられるかが大きな違いなんだと想う

 

 

これはわたしからの警告でもあるんだけど

 

 

前の記事でも書いたけど

支配、依存、執着

こういったものが強い人が

どんどん妙な印象になっていっている感じがするの

 

 

正直、その差を埋めるのが難しいぐらい

差が歴然としているから

わたしの理解が及ばないだけで、そういう人には

何か必要があって、そうなっているのかもしれないとも思う

 

 

まるで新興宗教にでもはまったのかのように

何かから逃げるように、現実から目をそらすように

グランディングが甘くなり、浮いている現実感がない状態なのに

幸せだと思い込み、楽しんでいるつもりになっている印象の人が増えた

 

 

そうだね、結局「母親教」っていう宗教に多くの人が

どっぷりはまっているし

その母親からの支配であったり、執着に幸せを感じて

抜ける気が無いんだと思う

 

 

それもその人の選択なんだけど

時代は早急に新しい時代の母性への変化を求めているのね

 

 

それは支配と依存という関係性ではなくて

親と子が互いに育み合うような関係性だから

これまでの母性とは正反対といってもいいと思う

 

 

なんかね、支配と依存の世界にいかに浸かっていたかを

認める気がなさそうな人は

エネルギー的に浮いてしまって現実感がなくして

楽しいつもりになっている印象があるの

だから、幸せアピールがすごかったり、やたらともっともらしいことをいって

古い時代の母親教から信者を逃さない様にしている感じなの

 

 

でも、幸せかどうかは

アピールしなくても、その人からにじみ出てくるものを

見れば一目瞭然なんだけど

形だけにとらわれる人は、

人の言葉やアピールにひっぱれやすいよね

 

 

結局、現実からも、本当の自分からも

目を逸らしている状態なので

わたしには、それがとても幸せとは思えないけど

本人達が、それを幸せだと思いたいなら仕方ないのね

 

 

わたしが嫌なのが、

このタイプの人にとって

わたしの存在が許せないらしくて

人によっては潰しにかかってくるのよ

 

 

このタイプの人は、マウンティングとか

クソバイスとかが大好きなんだけど

わたし、マンティング殺しで、

そういう人の自慢ポイントが全く分からないから

別に褒めもしないでいるのが気に入らないだろうし

逆にわたしの話しに嫉妬して、マウンティングしてくる

別に自慢しているわけじゃなくて、

事実を述べているだけなんだけど、勝手に嫉妬してくるのよ

 

 

表面的には、言葉巧みに色んなことを言ったりするけど

感覚的には

わたしたちはこれでも幸せなのよー、

それを認めなさいよ。

わたしたちのやり方に従いなさいよって感じなの

 

 

あなたたちがそれでいいなら、わたしは別にいいけど

 

 

わたしはそれを認められないよ

 

 

だって、わたしは相手のカラダの状態を

そのまま感じてしまうから

どんなにその人が幸せだと思い込もうとしていても

それが嘘であることが如実に分かってしまう

 

 

感覚的に、何も見たくない

 

 

何も聞きたくないと

 

 

自分を閉ざしていることも分かってしまう

 

 

これはわたしだけじゃなくて

子どもたちにも如実に分かると思うよ

 

 

わたし、こういう人を見ると

無意識に反発してしまう癖があるのね

その反発はある意味、わたし自身のものでもあり

その人自身の状態に無意識に共鳴しているものでもあると思う

支配と依存が強い人は

内側で自分自身に対して、ものすごい反発があるからね

 

 

だから、わたしも時々、

そういう人に強く当たっちゃうことがあるのね

それで、おとぴちゃんに反発されたとか

陰で落ち込んでいる人がいるらしいけど

わたしを擁護するわけじゃないけど、

それは自分の内側で起きていることだと思った方がいいよ

そうしたほうがより深く自分を理解できるから

 

 

ちなみにわたしがこういった感覚に反発するのは

このタイプの人って、取り入ろうとしてくるっていうのかな

媚びてくる感じがすごく嫌だし

エネルギー的に浸食してくる感じがあるのね

それが嫌でつい抵抗してしまうのね

 

 

とにかく、子どものころからこの感覚が

ものすごく嫌だった

その自分を分かってあげつつも、

そうして反発しているうちは、

同じものがわたしの中にもあるのかなーとも思うんだけど

それだけじゃないと思う

全くないことはいわないけど

だって、赤ちゃんが火がついたように泣くのって

この感覚だと思うのね、

 

 

本来のいのちの質とは、すごくかけ離れた感覚だと思うから

それを不快に感じるのは当たり前で

むしろ不快だということから目を逸らしていると

気付けないものがたくさんあると思う

 

 

あと、わたしは割と気付いたことは

考えもなく言ってしまうほうだけど

それが口から出て来ないタイプの人がいるのね

 

 

主に上の世代の人に多いんだけど

その人が、言われることを強く拒絶している時は

わたしも口からその言葉が出て来ないし

その人を前にすると言いたい言葉すら浮かばない

 

 

それでも相手に伝える練習をして

伝えたりしたけど、受け容れる余地がないっていうのかな

わたしもすごく強く張って行かないとそのことが伝えられなくて

それをすることがすごく疲れるし

無理に伝えても通じないし、

余計に相手を頑なにさせてしまうから逆効果みたい

 

 

何度もいうけど、それが良い悪いじゃなくて

適材適所って言うか、それぞれに住む世界があるみたい

 

 

それに関して、わたしはどうすることもできないけど

間違えなく、それぞれの人に必要なことが起こっているから

それぞれの人の生きるチカラを信じているしかないなって思う

 

 

ただね、この支配と依存って

すごく当たり前に人々の中に入り込んでいて

自分じゃなかなか気付けないのね

 

 

中にはそのままがいいって

怖くてその世界を見るなんてとんでもないって人もいるだろうけど

若いインディゴ系の人はそうじゃない人もいると思う

 

 

そういう人に向けて

とにかくこうやって前時代的な特徴を話すことで

少しでも恐怖がやわらぐことができたら、

自分を生きる決意に繋がればいいなって思う

 

 

 

 

 

☆8月のおとぴのおはなし会&おうちお茶会のお知らせ☆

☆支配と依存☆~母親という神~

今日の太陽はものすごく強烈で

頭の中がかき回される様な感じで

クラクラするなーって思ってたら

今日はしし座の新月だそうです

 

 

普段、参考にさせていただいている

星読みのブログによると

自分の想いに忠実に、信じる価値観をつらぬくことが

これから1カ月大切らしいです

 

 

わたしは自分をごまかすこと、欺くことがすごく嫌なんですが

たぶん、太陽星座がしし座だからなのかもしれません

 

 

しし座って、誇り高い王様ってイメージですが

太陽星座が、しし座で、ついでに寅年、B型のわたしが

人生において、最も忌嫌い、抵抗して来たことが

 

 

人から支配されることです

 

 

そうはいっても、ほとんどの人が

本人が自覚ないにせよ、知らず知らずに

支配と依存の世界にいますし、

わたしも例外ではなくて、ずっとその世界にいましたし

いまでも気付かないだけで、

まだ抜けきれていないのかもしれません

 

 

人がこうした世界にはまってしまうのも

すべては恐怖故だから仕方ないのですが

 

 

ただわたしが人を観察し続けて来て

人にとっての最も恐怖の対象が

人からの支配だという結論にたどり着きました

 

 

そもそもは、すべての人が神であるのにも関わらず

それぞれの神が尊重されることなく

自分という神に重きを置くのではなく

母親という存在を神とし、崇め

選択肢をゆだねて、コントロールされることを

良しとせざるを得ないような連鎖が代々、続いて来たこと

 

 

それらがすべての問題の元凶なんだという結論です

 

 

それでね、新しい時代の移行において

母親からの支配がきついタイプの人たちが

すごく調子を崩したり、苦戦しているのを見聞きするの

 

 

どうやらね、支配と依存、執着

こうした感覚が新しい時代の感覚に大きくそぐわないみたいなの

 

 

人が何に一番、強く支配されているかって言うと母親なのね

 

 

みんな、母親に認められたくて母親の支配に従属し、依存して行く

 

 

子どものうちは母親に依存した生活するのは

当たり前だけど、そうした中でも

過剰に母親からの干渉を受け支配されている人は

大人になってからもそれから脱却できないように思う

 

 

本当に傍から見ていると、支配する人も依存する人も

同じ穴のムジナなんだなーってはっきり分かるんだけど

依存的な人は必ず支配的な人の所に自然と集まってくる

 

 

媚びてみたり、おだてて持ち上げてみたり

このタイプの人は支配するタイプの人を偶像崇拝する感じで崇めるし

だけど理想と違う面を見付けると、

自分で勝手に崇めてたのに、

裏切られたって騒いで相手をこけ落としたりする

 

 

何度も言っているように

人間関係にこの無駄な上げ下げ自体が無用だと

わたしは思うんだけど

母親から支配的に押さえつけられている人は

その感覚がこびり付いているから、

それを自然と上げ下げで再現してしまうみたい

 

 

そうでなくても、人の世は

こうした上げ下げでできあがっているから

人の世をうまく渡る手段として、

身につけて来たものも大きいと思う

これまでは支配と依存が強い世界だったから

そうしたほうがうまく行ったんだけど

これからは、うまくやろうとコントロールするほうが

うまく行かなくなって行くよ

 

 

あとね支配的なタイプって、飴と鞭の使い分けを

本能的に知っていて

子どもでいえば、「もう何でもできてお兄ちゃんねー」って言ったと思ったら

 

 

「まだこんなこともできないの!!

わたしがいないと何にもできないんだから!!」とか

飴と鞭を使い分けて、洗脳していく感じなの

 

 

いやー、すごくエネルギーって本当に正確なんだって

びっくりするけど

人は頭で分かってなくても

感覚ですべてを分かっていて

無意識に支配したい願望を持っていると

自然と相手の弱い所を突けるんだけど

これは頭じゃなくて、感覚的に分かるから

すごく正確に表現されるよね

 

 

そうやって本人が自分で判断するチカラを徐々に奪っていく感じ

 

 

あと、単純に母親が何でもしてしまって

本人の生きるチカラを奪っているケースもあるよね

 

 

それでね、何度か支配と依存は同じエネルギーだって言ったけど

なんでかっていうと

 

 

すごくへりくだって、依存的な感じで接してくる人って

へこへこしているのに、

印象としては自己顕示欲がすごく強そうに見える人がほとんどだし

あとへりくだっているのに、すごく強情そうっていうのかな

ただ人に従っているから一見素直そうに見えるんだけど

ただそれは言うこと聞いているだけであって

本当はすごくしたたかで、腹黒くて強情なんじゃないのって

印象を受ける人が多いのね

 

 

あとすごく嫉妬深いって言うのかなー

妬みがすごそうな印象

 

 

結局、支配と依存の世界にいる人は

誰かに認められることに重きを置いているから

自分より優れているとか幸せそうとか

そういうのを素直に認められないし

表面的には褒めたりしていても、

エネルギー的には相手を潰そうとしてくるよね

 

 

結局、支配される人に上から潰されてきているから

そのうっぷんがすごくて、それを溜め込んで来ている感じ

それを自分で解消できればいいんだけど

だいたいは人から認められることで解消しようとするのよ

 

 

だからチカラのある人に認めてもらおう

認めてもらおうとしてくるし

認めてもらえないと、

とにかく認めてもらおうとすがりついてくるし

それでも認めてもらえないと攻撃してくる人もいるよ

 

 

だけど、自分で自分を認められていないと

どこまで経っても満たされることがないから

常に飢餓状態なんだけどね

 

 

実際にこういう人って、チカラのある人にはへこへこしているけど

逆に自分より立場が弱い人が多いと

いきなりキャラ変したように仕切りだしたりとか

支配的になったりするから、びっくり

 

 

逆もあって、仕切っていたのに

相手が地位や名誉がある人だって分かると

いきなり、へりくだったりするから不自然極まりない

 

 

あとね、見た目は従順な感じなのに

じつは嫉妬深そうとか、したたかそうとか

全く逆の印象を持つのって、

母親の支配を一方的に受けて来たから

母親のそういう女性の裏の顔みたいなものも

エネルギーで受け取ってきているからだと思うの

 

 

分かり易く、怒りっぽかったりとか

目に見える形で支配的な人はまだいいの

一見、謙虚そうに従順そうなふりをしながら

エネルギー的に支配して行く母親って

実は多くいると思うの。

分かりづらいし本人もそのことを自覚できないから、やっかいなの

 

 

それが良い悪いじゃなくて

そういう自分がいるって素直に認められたらいいんだけど

支配と依存の世界にいる人って

いつも人の目を気にしている傾向が強いし

だからいつも緊張しているから頑なさが抜けないから、

基本的に素直じゃないね

素直そうなふりは得意だけどね

 

 

だけど、今年になってから

そのタイプの人の裏の顔が隠しきれなくなってきていて

えっ、この人、こんなに意地が悪かったっけ?って

びっくりするような対応をされることが増えた気がする

 

 

だけどね、よくよく考えたら

いままで、見ない様にして来ただけで

至る所に、その片鱗が見え隠れして来たけど

それを意識化するのが恐すぎて、これまではできなかった感じなの

 

 

正直、わたしもすごく怖かったんだけど

夏至過ぎてやっとそれを直視できるようになってきた

 

 

はっきり言って、これが意識化できる人と

できない人の二極化が明確になってしまっているし

その差がものすごく歴然として来ている感じがあるのね

 

 

それぞれの人の選択だから

どっちが良いとはいえないし

わたしもすべてが見通せている訳じゃないから

わたしの見たて自体が間違っているのかもしれないけど

いまが、大きな分かれ目なんだなーって思うの

だから正直、支配と依存のはなしをするのを恐いんだけど

こうしてお伝えしています

 

 

きっと長いこと支配と依存の中にいた人にとって

ここから抜けるのって至難の業なんだと想う

 

 

色んなスピリチュアル的に能力が長けている人に

たくさんあって来たけど

支配的、依存的な人って能力の使い方もそうでね

 

 

例えば、恋愛においても、好きな人ができたら

その相手のことを聞くのが当たり前

答えるのが当たり前

 

 

あと、聞かれても、頼まれてもいないのに

勝手に相手のことを透視したり

ヒーリングしたりする人もいたけど

いま、振り返ると、支配的で依存的な人たちだった

そういう人は

だいたい子どものころから

自分の領域を母親に大きく浸食されているので

自他の境界線があいまいすぎて

それがなぜダメかが理解できないみたいだった

 

 

わたしは基本的に自分で決めたい人だから

そういうのがすごく嫌なのね

 

 

あのね、別にこういう能力者の意見を聞いて

それを取り入れるか自分で判断できる人は別にいいの

 

 

自分の意見をもたずに

いつも人の意見に左右されて、振り回されている人

いままでは、それもその人の自由かなーと思って

必要以上に強くは言わなかったんだけど

たぶん、こういう風に自分の人生の選択を人に

ゆだねるタイプの人はこれから大きく挫折していくか

より一層、支配と依存の世界にどっぷり浸かるかに別れて行くと想う

 

 

だけどね、依存的な人は

支配する人に母親をみて

かこわれることを無意識に望むから

そこから離れようとか夢にも思わないみたい

 

 

支配している人も

良かれと思って指示しているから

それが相手の個性を潰していることになるなんて

夢にも思わないみたい

受容と供給が成り立っているから

わたしがとやかく言うこうことではないんだけど

 

 

中にはそこから外れたいけど

外れ方が分からない人もいるんだと思うの

 

 

そういう人にむけてわたしが伝えることができるのは

 

 

母親から愛されたかった

その想いを自分が分かってあげること

 

 

人によっては、母親から愛されることを

いったん、諦めて

自分を愛することにそのエネルギーを

費やしてあげたほうがいいと想う

(もしくは母親を投影している誰かに認められることを諦める)

 

 

そして自分を少しずつでも、認めてあげられるようになってから

どれほど、母親から認められたかったか

自分が分かってあげること

 

 

だいたいのケースにおいて

人から認められたい思いは、母親から認められたい思いと

イコールなんですよ

 

 

母親からの支配や呪縛が強ければ

強いほど、その想いも強いのですごく大変だと思いますが

とにかくそのご自分を分かってあげてくださいね

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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船の中でもポケモンゲット

IMG_20160801_123600976.pngIMG_20160801_123556626.png

御蔵島でもポケモンゲット

 

 

☆8月のおとぴのおはなし会&おうちお茶会のお知らせ☆

 

 

☆所有・支配・嫉妬~人が物として育てられた悲しみ⑤~☆

☆所有・支配・嫉妬~人が物として育てられた悲しみ①~☆

 

☆所有・支配・嫉妬~人が物として育てられた悲しみ②~☆

 

☆所有・支配・嫉妬~人が物として育てられた悲しみ③~☆

 

☆所有・支配・嫉妬~人が物として育てられた悲しみ④~☆

 

 

 

前に書いていたシリーズの続き

 

途中まで書いてアップしてなかったのをアップします照れ

 

おととい、おとぴの誕生日に

親やら、姉家族からおめでとう電話とか、LINEくれたんですね

 

それもすごく嬉しいですが

そういえば、わたしも家族の誕生日を忘れたことないなーって

別にいつも気にしている訳じゃないけど

日付けを見たら、ふと思い出して、自主的に電話しているけど

そうやって当たり前に祝い合える家族がいるのって

すごく幸せなことなんだなーって思いました

 

 

っていうのも、これからお話しする

恩着せがましいタイプの人って

人には恩を着せる癖に、

してもらって当たり前で、相手の配慮はしないって

ケースが多いように思うんです

自分の誕生日を祝ってもらって、そのことを思い出しました

 

 

別にわたしが幸せ自慢をしたいわけじゃないし

そういう人が不幸だっていいたいわけじゃないです

 

 

人と人との関係性において

すべてがお互い様なので、恩を売るとか

恩を感じるとかそういうこと自体がいらないんじゃないかなーって思います

 

 

恩があるからっていう、義務感とかじゃなくて

互いの存在を喜び合っていれば

恩があるからとかじゃなくて

自然と互いに祝い合える

困っていれば自然と互いに助け合える

そんな関係になるんじゃないかと思います

 

 

恩を感じる関係性って

たぶん色んな所において、本人達が自覚がないにせよ

恩の売り買いを感じるようなやりとりがあると思います

 

 

これも目に見える形だけじゃなくて

感覚的なことなことも大きいんですが

媚びたり、過剰に相手に尽くしたり

例えば旧世代的に、過剰に食べ物をあげたり

物をあげたりとか

そういう風な関係性の中で余計に恩を感じてしまい

言いたいことが言い合えない窮屈な関係性を築くように思います

 

 

人と人とが楽に関わるには

こうした恩のやりとりは不要な感じがします

 

 

ただね、世代シリーズで書いたように

時代は緊張から弛緩に変わって言っています

 

 

極度に緊張している状態だと

色んな恐怖や思い込みなどの観念が邪魔して

物事を冷静にとらえることができないんです

☆緊張から弛緩へ☆~しなやかに生きる遊びのある時代へ~

 

 

だから、上の世代の人に

そのことを気付かせるのは難しいけど

若い世代なら気付ける可能性は高いですし

 

 

子どもが変わることで

それが自然と親にも反映されることが多いです

 

 

そんな感じの前置きをしつつ

下記から、5月に書いて

アップしていなかった記事です

 

*******************************

 

色んな方のお話しを聞いていて

それぞれに親との問題であったり葛藤があるんです

 

 

親とのやりとりって、小さいころから

当たり前に、それをされているから分からないでしょうけど

傍から見ていると、すごく不自然だったり、不思議なことがある

 

 

わたしが、人の話を聞いていてすごく不思議に思うことがあるの

 

 

あまりにも親世代の人が

 

恩着せがましい人が多い

 

育ててやったんだからと

子どもをパシリにしたり金づるにしたり

老後の面倒を押し付ける

 

 

ポーンポーンポーンポーンポーンポーン

 

なんか、恩着せがましいこと言って

言うことを聞かせる感じなのよ

 

こんなに恩着せがましい人が

たくさんいることに驚いて

そういえば、親から恩着せがましく言われたことないなーって

不思議に思って、母親に聞いたら

「育ててやったなんて思ったことない。

自分が好きでやってきた」って言ってたの

 

 

同じ子どもを育てるのでも

育ててやっているって感覚の中で

育てるのと

自分が好きで育てているって

いう違いはものすごいと思うの

 

 

無意識に子どもはその感覚を受け取って

人にもそうしてしまうだろうからね

 

 

恩着せがましいことを

あまり言われたことがない人間から見たら

ものすごい呪いをかけられているように見える滝汗

 

なんかさー、

このシリーズで書いて来たように

人が物として育てられて

子どもは自分の所有物のように思って

自分の好きにしていいと思っている上に

育ててやっている恩を押し付けて

いいように遣おうとするとか

そういう残念過ぎる感覚が連鎖していっている感じなのね

 

 

 

親世代も、そのまた親から

そうされているから、それが不自然だって

全く気がつかずに、当たり前だってことも分からないぐらい

自然にやってしまっているの

 

 

自然過ぎて、子どもたちもそれに気付けないみたいだけど

 

 

 

別に子どもたちも感謝していないわけじゃないと思うし

老後の面倒をみたくないわけでもないと思うの

 

 

でも同じ面倒を見るなら

恩を着せられて義務感でやらされると

大切な人だから、面倒を見たいって自主的に思うのじゃ

気持ち的にも全く違うと思うの

 

 

しかも、そういった古い人のやり方って

義務とか犠牲とか我慢とかを強いる感じで

周りの人を道連れに自爆するような方法を好む人が多いし

しかも言動が大きく矛盾していることが多いの

 

 

例えば絶対に人の世話になりたくないから

絶対に施設に入らない、訪問介護も受けないっていって

子ども達の世話にはなっていたり

 

 

子どもは人じゃないのかよって感じ

 

 

特に身内だと遠慮がないからなのか

エゴ丸出しだし

相手の都合とか全く考えずに一方的に

あれこれ言って来る

 

 

例えば、都合が悪くて電話に出れないと

なんで出れないんだって、キレたり

 

 

パシリに遣うにしたって

その分、時間をさいて、交通費だのお金がかかるけど

そういうことへの配慮がないというか

そんなことすら気がつかないみたい

 

 

子どもも親の自爆するような感覚を受け継いでいるし

日本人に苦労が美徳みたいな精神が染み付いているからなのか

傍から見ていると、どう考えてもおかしいし

他人の家のことなら冷静に見れるのに

自分の家のことは冷静に見れずに、親に振り回されている人すごく多いよ

 

 

しかも、もっと楽な方法があるはずなのに

わざわざ、大変な方法を選んだりするよね

 

 

そもそもね、育ててやったなんていうことが

わたしは信じられないののね

 

 

 

人と人とは互いに育み合うから

親が一方的に、子どもを育てているんじゃなくて

親も子に育てられているし

いのちを育むことは喜びだから

そんな恩着せがましいことをいう時点で

 

 

お前はすでに死んでいる

 

ってことなのね

 

 

あー、肉体は一応生命活動しているけど

感覚的には、死んでいるゾンビなの

 

 

ゾンビって生きている人間からしたら

信じられないような行動するじゃない

 

 

話も通じないし

 

 

わたし、こういう話を聞いていて

ムカつくのが

育ててやったっていうけど

子どもを持つっていう選択をしたのはその人でしょ

他にも後妻さんとか、そういう家庭事情の人も

上の世代は多いんだけど

それだって、その人が選んだんだから

子どもに押し付けることはおかしい

 

 

自分の人生は自分で責任をもって欲しい

 

 

予想外だったとか色んなことをいう人がいるかもしれないけど

どんな事情があるにせよ

いまのその人の人生は、

その人が選択してきた現実でできあがっているのよ

 

 

上の世代の人も若い世代の人も

自分の人生に責任を持てない人が多すぎる!

それについては次回以降の、支配と依存シリーズに続きます

 

 

それで、何がいいたいかっていうと

こういう上の世代の人たちに

振り回されている人がたくさんいるわけ

 

 

しかも、うまいぐあいに

相手に罪悪感を刺激して

「育ててやったのに、恩を返さないなんて

なんて非情な人間だ」とかいわれて

余計に振り回されるの

 

 

振り回されっぱなしじゃなくて

まず、それがおかしいってことに気がついて下さい

 

 

振り回されていることを良しとしている自分がいるから

振り回されているんです

 

 

それでね、一緒に長いこといると

かなりエネルギー的にも影響を大きく受けているから

それが不自然だって気付けないから

時には距離を持ってみたりして

冷静に相手をみてあげてください

 

 

上の世代の人は更に上の世代の人に

従って生きて来たから、それが当たり前だけど

もう時代が違うから

嫌な物は、嫌だと気がついて

ご自分のために、その連鎖を断ち切ってください

 

 

よく言っていますが

旧世代的な人のやり方って

すごく不便、不都合、しかも回りくどくて

解決する気が無いような面倒臭い選択をするんです

 

 

上の世代の人と同じように

従うことを選択していると、同じような不便さを

無意識に選択していることになります

 

 

だけど嫌だと言う自分の気持ちを大切にすることで

それまで見えなかった楽な方法に気付けるようになっていきます

 

 

 

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誕生日にシン・ゴジラを観て来た

 

ゴジラ大好きなダーリンは70点って言ってたけど

子どものころぶりに、ゴジラをみたわたしには

すごく面白い映画にだったよー

 

かなりエヴァっぽいさがあるし

 

 

 

 

おうちお茶会は8月21日(日)→28日(日)へ

変更を検討中

☆8月のおとぴのおはなし会&おうちお茶会のお知らせ☆

☆8月のおとぴのおはなし会&おうちお茶会のお知らせ☆

こんにちは、おとぴです照れ

 

昨日は、おとぴ生誕42周年記念日でした

 

お祝いのメッセージを下さった方ありがとうございます。

 

お誕生日だったので、なんとなくブログのデザイン変えてみました。

 

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おとぴはダーリンと29、30日と御蔵島に行ってきました(・∀・)

(船は28日の夜発、29日の朝着)

 

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御蔵島に着いてすぐ虹が出迎えてくれました虹

お目当てのドルフィンスイムをやってきました

 

29日、30日に1回ずつドルフィンスイムをしましたけど

両日とも滅多にないぐらい、穏やかな海だったらしく

普段はもう少しさざ波だっているそうです

 

 

 

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御蔵島の海 海の青さに癒されました

 

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にしかわさんって民宿に泊りました。料理がおいしかったです

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ごはんの白さに感動キラキラ

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おまけ、船でのパノラマ写真 よく見るとダーリンが4人びっくり

 

 

さて本題、8月のおはなし会のお知らせです

 

なんか、去年もおととしも

7月にお話し会とかワークとかをいったん、中止して

8月から隠居生活に入るパターンだったので

なんか、変化が起きやすかったり、色々と

それまでの動きをいったん、見直す時期みたいですが

今年は、8月も継続しておはなしをやるので

ひとつパターンが打破できましたおねがい

 

 

☆おとぴのおはなし会 in 東京☆

 

2016年8月11日(木、祝) 13時15分~16時30分

 

(途中参加、途中退出OK)

 

ニコニコ連絡不要の自由参加制

 

なのでキャンセルメールも不要です

 

ニコニコ自由料金制

 

飲食物の準備はありませんので

お飲み物など各自、ご自分の分はご持参ください

 

 

料金はおとぴ箱を置いておきますので

そちらにお願いしますお願い

 

※お子さん連れでも大丈夫です

 

 

場所:中央区立産業会館 和室

 

地図

http://www.chuo-sangyo.jp/access/access.html

都営浅草線東日本橋駅(徒歩4分)    

 

都営新宿線馬喰横山駅(徒歩5分)

 

JR総武快速線馬喰町駅(徒歩6分)    

 

JR総武線浅草橋駅(徒歩7分)

 

******************************

 

☆おとぴのおうちお茶会☆

 

※日程変更あり (8月21日→8月28日へ)

 

日程 2016年8月28日(日)13~17時

(途中参加、途中退出、連絡なしのドタキャンOK)

場所:おとぴのおうち

千葉市 千葉大の近くです

最寄駅 JR稲毛駅 西千葉駅 

共に徒歩20分 バスだと10分ぐらい

詳しい場所は申し込まれた際にお知らせいたします

参加費:自由料金制 おとぴ箱にご自由に入れてください

(お茶とお菓子付き)

人数:10人ちょっとぐらい

入れなくはないので適当に決めます

※お子さん連れでも大丈夫です

申し込み方法:3.otopi@gmail.com 

まで

「おうちお茶会」のタイトルで

氏名、ケータイ番号を記入の上お申し込みください

 

 

みなさんにお会いできるの楽しみにしています

見えない壁の正体

こんにちは照れ

 

 

今晩、御蔵島行きの船に乗るので

楽しみで楽しみで落ち着かないおとぴです

 

 

ちょっとだけ書きたいことを書こうと思うけど

またちょっとのつもりが長くなったら、ごめんちゃいてへぺろ

 

 

前にこの記事で書いた見えない壁みたいな膜が気付いたら

なくなっていたんです

☆見えない壁☆~フェイスブックのお友達申請について~

 

 

 

そうそう、先週末にたまのをの記事を書いた時に

いただいたコメントに答えてた時に

「もう限界です」って言葉が出て来たんです

 

 

それまでは眠くて眠くて仕方ないことが多くて

 

 

眠くて仕方ない時には、色々と理由があるんですが

大きなブロックにあたってたり

何かを見ない様にしてたりすると異様に眠くなることがあります

 

 

そういう時は、ふと何かに気付くと、異様なほどの眠気が

嘘のように消えるのでびっくりします

 

 

でも、眠い時は寝てしまうことで

寝ている間って、頭が休まるので

カラダからの声を受け取り易くなるんです

だから寝ている間に何かのメッセージを受け取って

目が覚めてウトウトしている時に

何かが閃くこともあるので

あまりにも眠い時は思いっきり眠ってしまうのも

ひとつの手です

 

 

それで、この記事を夜中に書いて限界だって

気が付いたら、目が覚め過ぎて眠れなくなって

おフトンの上でもんもんと

 

 

「たとえ、誰になんていわれようが、嫌われようが

世界中の人を敵にまわしても、嫌なもんは嫌だ」って

考えてたら、寝ているはずのダーリンが

「世界中の人を敵にまわしても嫌だ」って考えた瞬間に

ふっと手を握って来たんです

 

 

寝ているので無意識だし、本人は分かってないと思いますが

 

 

その手から「何があってもボクは君の味方だよ」って

言われた気がしたんです

 

 

パートナーとの関係は自分との関係を

すべて映して見せてくれることを身をもって実感しているので

 

 

彼が味方でいてくれるということは

わたし自身が自分の味方でいてくれることでもあるので

 

 

なんだか自分と思いが通じた気がして泣けてきたんです

 

 

そういうことが、あって

いつの間にか、あの薄い膜みたいな壁を感じなくなっていました

 

 

それでね、いま、思うとあの薄い膜みたいなものって

なんだったっていうと

 

 

上の世代の人からの洗脳です

 

 

自分自身が作った心の壁というよりも

上の世代から代々引き継がれてきた

無意識下での洗脳によりできた人と人との壁みたいなものです

 

 

 

人は思っている以上に、エネルギーで干渉し共鳴し合っている

 

 

言葉で分かり合えるのなんて本当にごく一部で

だいたいは無意識下でのエネルギーの交流によって

色んな情報を共有している

 

 

前に依存と支配のエネルギーは現れ方の違いだけで

エネルギー的には同じものだって、ちらっと話したけど

 

 

それを話したら、

保育園の先生をしているお友達がすごく納得してたんだけど

 

 

そのお友達がいると、クラスのみんなが落ち着いているのに

たったひとり、依存的な大人がクラスに足を踏み入れた瞬間

子ども達の様子が激変するんですって

 

 

いきなり依存的な感じで甘え出す子

 

暴力的に暴れ出す子

 

お友達にいうことを聞かせようとわがままを言う子

 

 

とか、さまざまに一瞬で雰囲気ががらっと変わるんですって

 

 

何も分かってない大人達は

そのお友達が威圧して子ども達を無理やり従えていて

他の大人が来たことで安心して

抑圧がとれて暴れ出すんじゃないかとか

そういう判断をするらしいから困ったもんだけど

 

 

それぐらい、人は人とエネルギーを共有しているし

特に子どもたちにはそれが如実に表れる

 

 

わたしも、子どもと同じように人とエネルギー的に共鳴しやすいので

すごく気持ちが分かるんだけど

わたしも一緒にいる人のエネルギーに無意識にすごく左右されるの

 

 

わたしが思うに、特に支配とか依存とかの

コントロールのエネルギーは、強烈に周りに影響を及ぼす

 

 

上の世代の人に多いんだけど

とくに支配的な人といると

相手がいうことに無意識にコントロールされるから

それが嫌過ぎて、無意識に張っていってしまうのね

 

 

これは自分でコントロールしようとしてやっている人と

上の世代から、そういうやり方を無意識に受け継いできて

知らず知らずに相手をコントロールしようとしている人がいる

 

 

言葉だけじゃないのよ

その人にとっては

相手を思って良かれと思って、

相手に助言しているつもりかもしれないけど

人それぞれに感性も違えど、好みもあるの

 

 

特に旧世代の人って、枠に強くはまっていて

選択肢がない中、育っているから

人それぞれの個性を尊重するということが

あまり理解できないみたいで

自分の意見を良かれと思って相手に、押し付けるんだけど

その人はそれを当たり前にされて来ているから

それが押し付けだってことに分からないし

そうやって相手を支配しているなんて気付きようがないの

 

 

あのね、アドバイスをしちゃいけないわけじゃないの

感覚的な違いなんだけど

幸せな人って、すでに自分で満たされているから

相手に何かを期待するってことがないの

仮にアドバイスしても、それを相手が聞こうが聞くまいが

あんまり関係ない感じ

 

 

基本的に満たされていない人って欠乏感が強いから

誰かの役に立って、自分を満たそうとする人が多いし

満たされてない分、過剰なぐらい人に与えようとする人もいるし

自分を証明することで、満たされようとする人もいる

 

 

とにかく相手を感じないで、

これがいいに決まっているって思い込んでいるのも

分からないぐらい

その人のやり方以外の選択肢がこの世に存在しないかの

勢いで勧めてくるから、相手はそれに洗脳されてしまうの

 

 

あー、区別がつかない人が多いだろうから

一応、言っておくけど

例えば、わたし、すごく幸せだけど

あれこれ嫌なことは嫌ってはっきりいうようにしているけど

これは相手に無理強いをしているわけじゃないの

ただ、わたしはこう思うって意見を述べているだけなんだけど

支配と依存の中で育って来た人には

それを無理強いされたととらえる人もいると思う

あと、わたしもとっさにムカついて押し付けることがあるんだけど

そういう時は相手が支配的に押し付けて来ていたり、

依存的にくれくれしているのに反発している時がほとんどな気がする

 

 

それでね、話しを戻すと

本来は、これぐらい人と人はエネルギーを共有し

すべては繋がっていて

その中で、色んなことが調和されているのね

 

 

それと真逆にあるのが、支配と依存の世界なんだと思う

 

 

さっきの保育園のはなしは

大人でも例外ではなくて

話しをかぶせて話す人がメインで話していると

みんな、話しをかぶせ合うし

落ち着いて話しができる人がメインで話すと

みんな、落ち着いて話しが出来たりするから

大人でもそうとうエネルギー的に影響し合っていると思う

 

 

これまでの前時代ではびこってきた

支配と依存からできている世界では

本当はこうやって人と人とが繋がり合って

影響し合っているのが、気付かせるわけにはいかなかったの

 

 

だって、相手を支配するのに

本来の人と人とが繋がり合い、調和している世界なんかに

気付いたら、支配と依存の関係が成り立たなくなるからね

 

 

こうした世界によって、人と人との繋がりが断たれ

まるで別の存在のような錯覚を起こすような感覚

それが無意識下で伝わってきていて

それがわたしにとって壁のように見えたんだなって思う

 

 

なんかね、最近、よく思うのが

どうして前時代的な洗脳からとけるには

自分とか個性とかを前面にだして

強い個性を打ち出していかないといけないし

上の世代の人たちはまだまだ無意識下で

コントロールしてこようとするから

そういったものから、逃れるためには

エネルギー的に強く張って行かないといけないんだけど

そういう自分が本当はものごく嫌だし疲れるんだよね

 

 

夏至過ぎて、こうした洗脳やコントロールから

抜けれる時代になったのよ

 

 

だけど、人はどれほど自分が無意識に

洗脳されているか分からない

 

 

わたしも、夏至過ぎてから

自分で自分の思い込みに色々と気付いたよ

 

 

あのね、たぶん、インディゴ系の人が

戦士の質を持って来たのは、闘うために張って行くでしょ

それで前時代的な生き方の緊張感と共鳴させて

前時代の人の癖を受け取り易くする目的もあるんじゃないかと思うの

 

 

だから、無意識に上の世代の人を見ると

張って行ってしまうんだけど、

もう癖を受け取らなくていいから

すでに受け取って自分の中にある癖に気付いて行くことで

自分も楽になるし、

その解けて行く感覚が周りにも伝わる

 

 

なんかね、つくづく思うのは

前時代的な癖を解くには上の世代を参考にして

新しい生き方を模索するのや恐怖を超えるためには

若い世代の人たちを参考にするといいんだと思う

 

 

どうしても、わたしもたくさん恐い想いをして来たから

つい癖で張って行こうとすることもあるけども

そんな時にどんな人のどんな言葉よりも

クリスタルの子たちの姿を見ただけで

「闘わなくていいんだな」ってそのチカラを

ふっとゆるめることができる

 

 

そうやってわたしたちは

みんなで支え合って生きているんだと思う

 

 

 

<span amb-icon="reblog hasLabel"></span>自分を信じること

先週の土曜日におうちお茶会があったんですが

そこで、自分の口から出た言葉に自分で

とても感動したのでシェアしますね

 

 

いつも来てくれるお友達が仕事のはなしをしている時に

はじめて来て下さった方が「どうしたらいいですかね」って

わたしに話しをふってくださったんです

 

 

そうしたら

「大丈夫ですよ。彼女は自分で答えを見つけることができるから

 

自分を違えているうちは、自分じゃ分からないので

あれこれ助言がいるんですが

彼女は繰り返しそれをして来ているからコツが分かっているし

例え間違っても、なんでもすべては現実が教えてくれるから

きっと彼女なりの答えを見つけてくれる

 

答えはひとつではないし

答えの導きかたにも、それぞれ個性があるんです

 

 

わたしがいつも教えているのではなくて

それぞれの人がそれぞれの解き方で答えを探すことで

わたしは、そのはなしを聞く楽しみがあるし

そんな答えもあるんだって、わたしも物事の選択肢が増えるし

そうやって、互いの体験をシェアすることで

互いのキャパを無限に広げることができる

 

 

そうやってそれぞれの人の個性が花開いて行って

この世がどんどん豊かになっていく

 

 

それがこの世界のすばらしい所なんです」

 

 

たぶん、こんな感じのことが口からスラスラとでてきて

自分で感動したんです。

 

 

なんだか、自分を信じることができるようになったら

人のことも信じることができるようになってきました。

 

 

そうはいっても、疑うこともありますが

それはわたしにとって、違うと想うだけなので

それすらもその人に必要で起こっていると

その人の人生や生きるチカラを信じられる感じです

 

 

そういえば、妖怪ウォッチの新OPでも

 

「大切なのは信じることで、与えることではない」って言ってて

深いなーって思ってた所でした。

 

 

あーいった子供向けのアニメは意外とすごく深いことを

歌っているので、あなどれないです

 

他にも幸せは自分のサイズがちょうど良いって、なにげにすごく深いことを歌ってます

 

 

それでね、この自分を信じるチカラを思い出させてくれたのは

たまのをのお二人なんです

 

 

今回、たまのをを離れることを選択できたのも

これからお話しする出来事と同じで、

最後に強い決意を促すためのものだったのかも知れないなと思います

 

 

わたしが自分を信じるきっかけになった出来事は

大きく二つあるんですが

 

 

ひとつに、イリアさんのリーディングってものすごいんですが

例えば同じ人をリーディングしたとしても

わたしが聞くのと、他の人が聞くのとで返事が全く違ったりします

 

 

結局、その人にとって必要な情報をリーディングしているので

それぞれの人の見方によって違うんだって印象でした。

 

 

しかも、同じ人が同じ人のことを聞いても返事が

その時々で違ったりします。

 

 

以前、ゼロ世代の記事で書いたAさんという方についてなんですが

この方はわたしにとって典型的なゼロの方で

ものすごいエピソードがたくさんあるので

こんなことがあったって、たびたび話題に出したことがあるんですね

 

☆ゼロの世代~舞台の上の女優たち~☆

 

すごいエピソードなので、興味深かったのか

何度か、その人がどんな人かリーディングしてくださったんです

 

 

憶えているのが3つあるんですが

 

最初は、

この人は、おとぴちゃんとすごく縁が深い人で

この人を見ただけで「きぃー」って思うでしょ

過去生で何度も一緒だったから、過去生からの

色んな想いがある

 

 

次は、

この人すごく良い人よ

優しいし、思いやりがあるし、仕事もすごくやっている

おとぴちゃんにとって、お姉ちゃんタイプの人だから

ひっかかるのよ。

 

 

最後は、

この人は人の世に欲を張って行くタイプの人っていうか

自己顕示欲で動く人だし、人をすごく顎で使う人

こういう人に協力するってことは、

この人に餌をあげるようなことだから

強力しちゃいけないの

 

 

*************************

 

こんな感じのことを言われました

 

 

わたし、人から言わせると素直すぎるらしいんです。

 

 

だからイリアさんとかビワさんがいうと

そうなんだっていつも真に受けていたんです

 

 

例えば、相手が良い人だって言われたら

「そうか。わたしが悪かったのか」って素直に反省して

その想いを解いたりしていたんです

 

 

でも、最終的には当時、関わっていた時に

わたしが感じていた通りのリーディングが出て来て

「やっぱり、そうですよね!!」って感じでした

 

 

でも、最初のふたつのリーディングも無駄じゃないって言うか

それによって、解けたものもあるだろうし

人の個性にも多面性があるので、良い人って情報も

ある意味、合っていて

その時期で、必要な情報があるんだなって思いました。

 

 

それでね、もうひとつ自分を信じる大きなきっかけになったのが

この自叙伝にも書いてある出来事なんです

 

とりあえず、簡単に説明すると

スピリチュアルを本格的に学び始めた2009年ごろ

友達に誘われて、あるブロガーさんの講演会に行ったんです

 

 

そうしたら、そのブロガーさんに会ったら

雷に打たれたような衝撃にあって、1カ月ぐらい体調が悪くて

すごく恐くなった話しなんです

 

 

自叙伝を書いていた2013年ごろに、このはなしをビワさんにしたら

「この人は、良いし、おとぴちゃんと愛の感覚が似ているから

きっと、その時はまだ本来の自分とのズレがあって

その衝撃だっただと思うわ」的なことを言われたんですね

 

 

基本的にビワさんは人の愛しかみないらしく

あまり人のことを悪くいわないので、かなりポジティブな

解釈だったんですが、この時のわたしは

そうか、わたしが悪かったのか

そうとは知らずに、以前、講演会に行った時は

その人からエネルギーを吸われたんじゃないかとか

その人を悪く思ってしまって

申し訳なかったなーって思って

またブログを読んでみたり、講演会に行ってみたりしたんですが

以前のような衝撃はなかったんです

 

 

だから、初期の自叙伝には

そういった解釈が書いてあったんです

 

 

ですけど、1年ぐらいしてからかな

 

 

その話しが出た時にイリアさんが教えてくれたことは

 

 

「この人のことを最悪だって言っている。

 

この人は人の世に君臨するタイプの人で

ずっとおとぴちゃんは、このタイプの人にエネルギー的に

いたぶられて来たから、その恐怖が浮上したのよ」

っていわれたんです

 

 

そうしたらビワさんが

「わたしもね。あの後、誘われて講演会に行く機会があって

話しを聞いて、それは違うよねって思ったわ」って

手のひらを返したように言い出して

 

 

わたしが「ひどい」ってすごく怒っていたんです

 

 

そうしたらイリアさんが

「おとぴちゃんは、人の言うことをなんでも鵜呑みにするからよ」

 

 

結局の所、ビワさんの解釈が間違っていたとか

そういうことではなくて

わたしが人の言うことを鵜呑みにしすぎるから

起きた出来事らしく

わたしがわたしの感覚を信じるきっかけをくれた感じなんです

 

 

この時に「もう絶対に騙されないぞ」って誓ったら

脾臓がすごく熱くなってきて「脾臓が喜んでいる」って言ったら

イリアさんも「本当だわ」って言ってくれたんです

 

 

そうはいっても、その後も、すぐに人に左右されて

自分の意見を言わずに飲み込んで、人の意見を尊重したけど

でもやっぱり最初に自分が感じたことが合っているという

経験を繰り返しして、何があっても自分を信じようと思ったんです

 

 

だから、今回、たまのをを離れる決断をしたのも

自分を信じる大きなきっかけをくれたのかもしれないなって思いますし

わたしにとって、それが現実ですが

他の人からみたら、全く違う世界が広がっているのかもしれないので

それぞれの方がご自分の感覚を信じてあげて下さい

それが例え間違っていても、その時々できっと必要なことが起こると思います。

 

 

 

 

 

☆たまのを最終日☆

7月25日、マヤ歴でいえば

時間をはずした日で、たまのを最終日でした。

 

 

ふと気付けば、去年も

7月25日を最後にしばらくワークを休んで

隠居生活をしていました

 

 

今年は、参加者さんの希望を聞いたら

たまたまこの日、だったんですが

マヤ歴の新年が開ける前の

締めくくりに、大きな変化が起こり易い時期なんだと思います

 

 

先週末ぐらいに

たまのをのことを書いた記事について

いくつかご意見をいただいたんです

 

 

あれほど、たまのを良いって言ってたのに

手のひら返しだと思われるんじゃないかとか

 

 

ビワさん達が、PCに疎いのを知ってて

ブログで批判しても、ビワさん達は

反論できないから、弱いものいじめにみえるとか

 

営業妨害にあたるとか色々とご指摘いただきました

 

 

おっしゃっていることはごもっともです。

 

わたしもこのブログに書いてあることを

全部、できているわけではなくて

自分に言い聞かせるためにも書いているので

わたし自身も成長している途中なんです

 

 

あと、自分の傷に触れるなど

大きな葛藤の中にあると

誰しも冷静に自分をとらえられなくなりますし

わたしも例外ではありません

 

 

だから、こうして指摘して下さることが

とてもありがたいと思います

 

 

たまのをファンの方たちは大きく傷つけたと思いますし

その方たちには本当に申し訳ないと思っていますが

わたしは書いたことは後悔していません

 

 

物事は良い悪いでは判断できないとか

自分を正当化するつもりもありません

多くの人が目にするネット上で

ああいったことを書くのはは好ましいことではありませんから

 

 

でも、例えわたしが非常識でも、全面的に悪くても

世界中の人を敵にまわしても

わたしは自分が嫌だという気持ちに嘘がつけない

 

 

そして以前は、たまのをの講座をシェアしていた以上

わたしには責任があるので

何もなかったようにフェードアウトすることはできなかったんです

 

 

いま思うと本当は、去年の夏休みに入る時点で

色んなことに対して強い違和感があったのに

自分をごまかして、ここまで来ました

 

 

わたしなりに話す努力はして来たつもりですが

年代の違いなのか、見えている世界が違いすぎて

話し合いになりませんでしたし、

たぶんお二人には「おとぴちゃんが駄々をこねている」ぐらいの

印象だったと思うので、話し合おうとしたことすら伝わっていないと思います

 

 

結局のところ、お二人が悪いというわけではなくて

単純に、わたしがお二人とは感覚的にそぐわない

お二人がおっしゃっている方向性にも賛同できない

ただ、それだけのことなんです

(追記:なぜ方向性に賛同できないかは、コメント欄に書いてあるので

興味がある方はそちらをご覧ください)

 

 

でも、お二人を必要としている方は

本当にたくさんいらっしゃると思います

 

 

合わない点は多々ありますが

分かり易く例をひとつだけ挙げていうと、

例えば講座を長々とやるとか

時間をじっくりかけて、関わるやり方が

とても疲れるので、わたしはすごく嫌なんですね

 

 

ただ、色んな方と接して来て思うのは

例えば強い母親に思いっきり支配され潰されて来た方は

自発性を徹底的にそがれているので

自分じゃ何も決められなくなるらしく

指示が無いと動けないみたいです

 

 

そういう方には、たまのをのお二人のように

じっくり関わって行くことが必要みたいですし

世間的には、そのタイプの方が多いので

圧倒的に需要が多いと思います

 

 

一方、わたしは自分のことは自分で決めたい人なんですね

まだまだ迷うこともありますし、

いつも実践できているわけではありませんが

失敗してもいい、間違ってもいい

自分の足で歩きたい。そう願っています。

 

 

どちらが良いとかではなくて

それぞれの個性だと思うのですが

指示がないと動けないタイプの人の

細かい質問に対して、

そんなことぐらい、いちいち聞くなググれって思うんですが

そういう方にはググれっていう指示が必要なぐらい

自分で動くことが難しいんです

 

 

客観的にみていると

自分で判断して欲しいと思ってしまいますが

そのタイプの人にとっては、それができないから聞いているので

わたしの対応がそのタイプの人を深く傷つけるらしく

関わり方の加減がよく分からないんです

 

 

あと、イリアさんがおっしゃるには

こういう方にとって、わたしが感じる感覚で話す言葉は

「茶茶をいれられている」ように感じるらしいので

普通に話しても、相手は色々と感じらしく

わたしの加減だけの問題でもないみたいです

 

 

一応、フォローしておくと

すべてはそれぞれの方の選択であり

大変なことほど、後々の実りが豊かなので

そういう大変な人生を選ばれた方は

それぞれの方にとって必要な何かがあるんだと思うので

それがいけないという訳ではないないんだと思います

 

 

 

でも、去年の秋~今年ぐらいにかけて

分かり易いぐらい明確に

このタイプの人がわたしにほどんど寄って来なくなってきたので

やっぱりわたしのことが怖かったり、キツいのかなと感じてましたけど

このタイプの方は直接、何も言ってくれないので分からないんです

 

 

ただ、いまはまだ、わたしという人間が未熟だから

ひっかかる何かがあって関われないのであって、

いつかわたしがもっと成長したら関われるのかもしれません

 

 

わたしはそれぞれの人の生きるチカラを信じています

 

 

たまのをのお二人は知識も経験も豊富なので

色んなタイプの方と関われると思いますが

わたしは方向性が違うことを無視できないぐらい感じていました

 

 

わたしがいれば、たまのをに行きたいとおっしゃっていた方も

いらっしゃったので、その方たちには申し訳ないですが

もうたまのをでワークをやることはないので、ご了承ください

 

本当にお二人にはたくさんのことを教えていただいて

本当に感謝していますし、教えていただいたことを

わたしなりに活かして、たくさんの人に伝えて行きたいと思います

 

 

おとぴ一人のお話し会は今後も続けていきたいと考えていますので

今後ともよろしくお願いいたします