さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

<span amb-icon="reblog hasLabel"></span>君の名は。

なんか、冥王星の逆行が一昨日の夜に終わったらしいですね

 

 

それでなのか

昨日ぐらいからカラダも超楽になって来たんですが

 

 

毎回、天体の動きって本当にすごいなーって思うんですが

4月18日から逆行していたらしいんですが

 

 

冥王星って死と生とか破壊と再生の星らしく

変容とか再生とか生まれ変わりを意味するらしく

逆行中は深層心理レベルでの破壊が起きるらしく

ものごとを根本から変えてしまうぐらいのチカラがあるそうです

 

 

このサイトによると

人間のダークな部分の表面化

 

根本的な自我や自己のコントロールが効かない

 

自分独自のやりかたをつらぬこうとする

 

 

思えば、ちょうど4月のそのころから

般若ブームとかで、いままでにないほどの恐怖を感じてました

 

 

いま思うと、般若さんとか、ヘビ系の人達の異様なほどの暴走も

冥王星のチカラだったのかもびっくり

 

 

わたしもこの間、信じられないほどの

大きな解放をたくさんしてきて

本当に生まれ変わってみたいです

 

 

冥王星さまさまです

 

 

そうはいっても、天体とか宇宙の動きって

人が認識できるれべるを遥かに超えて完璧なので

他にも色んな要素がキレイに重なって

わたしたちを動かしてくれているんだと思います

 

 

なんだか最近、すごく気持ち的には楽なんですよ

 

ちょっと前まではカラダは重かったりしましたが

それでも気持ち的にはすごく楽な感じがあって

なんていうか心の底からほっとした感じになることがよくあります

 

 

わたしの人生

消えてなくなりたいほど苦しいこともあったけど

本当に生きて来て良かったって思います

 

 

それで、いつもながら前置きが長くなってしまいましたが

今日の本題です

 

 

映画「君の名は。」にどはまりして

計4回観ているし、また観に行こうと思っています

 

 

調子がいまいちな時とかも

君の名は。を観に行ったらすごくすっきりしたんです

 

一緒に行った友達も不調が一気になくなったって驚いてました

※個人の感想です

出典:http://eiga.com/movie/83796/photo/

 

初回に観た後のリプログ

 

初回観た時は、とにかく感動して

号泣しまくりで、よく分かんなかったですけど

あれは観るというよりも、感じる映画ですね

 

 

感じながら、映画を観て、登場人物の純粋さとか

色々と気持ちが浄化されるんでしょうね

だから映画を見るとすっきりするんだと思います

 

 

今回もネタばれにならない程度に書きますが

多少、内容に触れるようなことも書くので

全く事前の情報なしに観に行きたい方は

ここから先は読まないでください

 

とにかく内的感覚に訴えかけてくる映画だなーと思って

新海監督は何か内的な確かな感覚があって

創っているんじゃないかって不思議に思っていたんです

 

 

そうしたら何かのインタビューで新海監督が

 

 

高校生のころに夕日を見てすごくキレイで

悲しいわけじゃないのに、自然と涙が出てきた

 

 

あー、自分もこの美しい景色の一部なんだって思ったら

自然と一体になったような感覚になった

 

 

その感覚が自分で原点になって作品を創っている

 

 

大人になってから社会の汚さを見ても

 

 

ふと自分の中を振り返れば

あの美しい景色がある

 

 

それで、どんなに世の中は汚くても

自分の中はキレイじゃないかって思えた

 

 

自分の作品がそんな風に自然の美しさに

気付く作品にしたいという想いで書いている

 

 

おぼろげにしか覚えてないで、

言葉の違いはあるかもしれないですが

だいたいこんなニュアンスのことをおっしゃっていたんです

 

 

わたしが、ブログで訴え続けている感覚って

まさにこういうものなんですよ

 

 

人は感覚に当たると自然と涙が出てきます

 

 

こんな風に自然に感動したとかじゃなくて

自分の中にあった悲しさに触れたりしても

自然と涙が出ます

 

 

頭であれこれ考えていても

涙は出ますけど、そういう時と大きな違いは

なんで涙がでるのか分からないけど

感覚が込み上げてきて涙が止まらないって感じだと思います

 

 

それが自分をちゃんと見てあげている状態ですし

それが自分に優しくすることなんです

 

 

外的に、美味しいものを食べたり、欲しいものを買ったりとか

そういうことを自分に優しくすることって

人は誤解されていますし、

何もしないよりも、ましかもしれませんが

こうやってちゃんと自分を見てあげていると

自分自身がとても柔らかくゆるんだ状態になれるんです

 

 

その状態だと、自然と人にも優しくなれますよ

 

(ちなみに、内的な感覚がつかめてきて、当たりっぱなしになっても

泣きっぱなしになるわけじゃないです。慣れます。

それでも、より深い感覚に当たると自然と涙がでますけど

 

 

いつも言っていますが

優しさって何かをしたら優しいとか行動じゃないんです

 

 

状態なんです

 

 

動物とか、小さな子どもはいつもこの優しい状態なんです

だから見ているだけで優しい気持ちになれるんです

 

 

自分解きをする上で

色んな苦しみとか悲しみとか怒りとかを

思い出して解放することも大切ですが

それと併用して、

こうやって自分に優しくしてあげられる瞬間も創ってあげてください

 

 

自然と涙がでるほど感動できるものがあれば

繰り返し、それに触れてあげてください

 

 

君の名は。」の映画なんかもそうなんですが

観た人がなんで泣いているか分からないって言う方が

多いそうですが、新海監督の想いが映画に入っているので

その優しさに多くの人が共鳴しているんです

 

 

この映画は多くの人を共鳴させられるほどの

チカラがあるすごい映画だと思います

 

 

 

それに、美しい景色の映像が評判な映画だけど

人が頭にとられないで

本来の感覚で生きていれば

世界は新海監督の映像に負けないぐらい美しく見えますよ

 

多くの人は本来の感覚が死んでいるので

その美しさが見えなくなっているけど

どこかでその美しさを憶えているから

これほど、人の感覚に訴えかけてくるのもあるんじゃないかな

 

 

 

ネタばれになるので、あまり書けませんが

主人公の二人が自分の感覚や直感を大切に行動していること

それも、いまの時代にとても必要なことだと思います

 

 

カラダは俯瞰して色んなことを知っているので

とにかく色んなことを教えてくれるんです

だから頭であれこれ考えるよりも

カラダから湧いてくる感覚を大切に行動したほうが

嘘のように、まるでパズルのピースがはまるように

物事がスムーズに行ったりします

 

 

別にスムーズに物事が進むことが

良い訳ではなくて、時には困難も必要な経験だったりしますが

まずはスムーズに進む経験をして

自分自身を信じられるようにならないと

困難を楽しめるようにならないと思うんです

 

 

 

頭であれこれかけている制限を

超えたことをカラダは教えてくれる

 

 

感じることが苦手で頭にとられてしまう人が多いので

感じる練習をするのに、この映画を繰り返し観るといいと思いますよ

 

 

あー、そうそう

話しは変わりますが

映画のレビューとかでね

不評な理由で、

主人公の男の子が、

いつ女の子を好きになったか分からない的なのがあって

びっくりしたんですが

 

 

主題歌で

 

前前前世から君を探し続けたよ♪って

言っているほどの縁のある相手ですよ

 

 

そもそも、男女入れ替わりが起きるほどの

縁のある相手です

 

 

ある意味、一心同体みたいなものなので

理由とか、理屈とかじゃなくて

自分が自分を愛するように自然と相手も愛せると想います

 

 

一般的には

むしろ頭がその自然と惹かれる感覚を

否定していて気付けないことが多いんじゃないかな

 

 

しっくりし過ぎていて、

むしろ好きだって気付けないほどかもしれないほど

まるでずっと昔から、ずっと一緒だったように

出会う前はどうしていたか思い出せないほど

自然に惹かれあうんじゃないかと思うんです

 

 

何かで好きになったとか、そういうのがないから

余計にこの映画がすごいなーって思うんです

 

 

うーん

前時代って、条件とか色んなもので

誰かを好きになっているのが多かったのかもしれませんが

たぶんこれからの時代の恋愛は

そういう理屈じゃなくなって行くと思いますよ

 

 

わたしもダーリンに出会って

他の人なんか考えられないし

彼と一緒にいない未来なんてありえないし

何をしたら彼を嫌いになれるかも分からない

 

 

もうパズルのピースがひったりはまったとしか

いいようがないぐらい、

別にがまんしているわけでも制限しているわけでもなく

彼しかありえないんです

 

 

たぶん、これからの時代に

そういう風に理屈じゃなくて惹かれあう人たちが増えて行くと思うんですが

そういう人って、自分の本質に触れてくるので

惹かれることが恐く感じる人が多いでしょうから

その練習のために、繰り返し映画を観ている人も多いんじゃないかな

 

 

わたしも、周りの友達も

繰り返し観ている人が多いのよ

 

 

わたしはもう理屈じゃなく惹かれる人に出会っているけど

とにかくこの映画のことを考えていると

楽しくてしょうがなくて、まるで恋をしているみたいになれるので

すごくこの映画が好きなんです

 

 

きっと映画をつくった人たちが

恋をするようにこの映画が好きなんだろうとも思うんです

 

 

とにかくお勧めの映画なので

ピンときたらぜひぜひご覧になってください

 

 

人に流されないこと

こんにちは(・∀・)

 

 

ちょっとお久しぶりな、おとぴです。

IMG_20160926_105425388.jpg

Tシャツかぶって遊んでいたら

ダーリンが面白がって写メ撮った。

 

新種のポケモンみたい照れ

IMG_20160926_105456189.jpg

ズリのみください(ポケモンのエサ)

IMG_20160926_105456437.jpg

えっ、ズリのみもってないんですか?

 

なんかブログを書く気がしなくて

たまに書く気になってもピンと来るものが書けなくて

間が開いてしまいました。

 

 

秋分の日は、さすがにエネルギーが強烈で

もんげーだるかったですけど

だいぶ、楽になってきました

 

 

なんかねー、だるくて、ねむくても

メンタル的にはわりと楽だったので

のんびりとダラダラ過ごしていました

 

 

妙にカラダが冷えていたので

スーパー銭湯に行ってカラダを温めたり

マッサージ器を買って(保温機能つき)、

ひたすらもんでいたのもあって

だいぶ、楽になりました

 

 

9月の月って、中秋の名月っていって

キレイだしチカラも強いのに

今月は、日食、半影月食と続いたので

結構、ダメージがでかかったんだと思います

夏の疲れもでやすい時期なので、ゆっくり休んでください

 

 

わたしはよくカラダを感じることを言っていますが

だるかったり眠かったりすると、感じるのが面倒になったりするので

臨機応変に、感じることにこだわり過ぎずに

色んな方法でカラダを労わってあげてくださいね

 

 

あとね、いまの時期、とても大切なのが

人に流されないことなのね

たぶん、多くの人が感覚よりも

人のパフォーマンスとかアピールに惑わされやすくて

そういうのに流されやすい傾向があると思うの

 

 

いまの時期に限らず、いつでも大切だけどね

最近、妙にヘビ系の人たちが妙に元気そうにみえるのね

例えば自分がだるくて調子が悪い時に

元気で、楽しそうな人に飛びつくたくなることもあるかもしれないし

そういう時が流されやすい時でもあると思うの

 

 

だけど、そういう人は、単純にカラダの感覚が死んでいるから

いまのエネルギーの影響を受けづらかったり

感じることが怖くて、感覚を逸らしているからの可能性が高いし

感じたくなくて、頭の癖を過剰にまわしている感じもあるのね

 

 

人それぞれ体質があるから

変化のエネルギーを感じやすい人、感じにくい人とか

体感派じゃない人もいるしね

 

 

人それぞれなんだけど

 

 

本当に卓越していて、

外側のエネルギーに左右されないような人も

中にはいるだろうけど、かなりの少数派だと思うし

そういう人は自分のすごさをアピールしたりしないから

妙に元気っていう印象は持たないと思う 

 

 

だから、この時期、妙に元気で

調子の良いこと言っている人のいうことを聞くと

余計に調子を崩す可能性も高いので

それぞれがご自身で見極めてくださいね

 

 

なんかね、いま、感じているダルさも

ある意味、自分を守ってくれているのかなーって思うんだけど

最近、またヘビ系の人たちが

更に妙になっているのね

 

 

っていうか、どんどん妙になっているんだけど

これだけカラダに効くエネルギーが来ていて

それを無視して感じない様にして生きているから

どんどん無感覚な感じになっているのは

前にも言った気がするけど

 

 

感じないから実感がないのよ

だから、自分で妙に幸せをアピールしたり

どれだけ成功しているかとかアピールして

自己暗示にかけているのと

あと人からそれを称賛されることで

実感を増しているんだと思うの

 

 

実際に、成功もしていたり

色々と変化もあるんだろうけど

こういうタイプの人って脳内ファンタジーの中で生きているから

傍から冷静に見ると、

えっ、それって変じゃね。つじつま合わなくない?

ってことを、無理やり脳内変換して

ポジティブシンキングで、良い風に変化させていたり

全く、関連性のない事柄を結び付けて

ストーリーを創りだしたりして

それをまことしやかに人に語って

周りに人を巻き込む感じなのね

 

 

 

あー、そうそう話しは変わるけど

俗にいう目覚めって

そんな特別なことじゃなくて

ほとんどの人は夢遊病のように現実がまともに見えてないのね

 

 

それぞれの頭の中の癖とか、ストーリーで現実を見ている

 

 

その夢から目覚めることが俗にいう目覚めなんだけど

 

 

ヘビ系の人たちは、要は夢を見ている状態なのね

 

 

夢から覚めて、どれだけ自分が現実を見てなかったかって

いうことを直視するのってすごく恐ろしいし

自分の色んな妄想に気付くと、すごく恥ずかしいのね

そこから逸らしたくて、余計に寝てしまいたくなるのは仕方ないと

思うし、好きにやっていればいいと思うんだけど

 

 

こういう人にとって、わたしはすごく疎ましい存在らしくて

 

 

要は自分はすごく気持ちよく夢を見ていて

その夢に浸っているし

多くの人は、互いに夢を見ているから

それが成り立っているんだけど

 

 

わたしが普通にいう一言が

寝ぼけている人にしたら、はっと我に返るらしく

良い気持ちで浸っているのに

現実に連れ戻される気分らしいの

 

 

例えて言うならば

自分劇場の舞台で、自分に酔っていたのに

舞台から引きづり降ろされた気分

 

 

 

例えばさー、寝ぼけている人とか

酔っぱらっている人に、まともなことを言っても通じないじゃない

 

 

そんな感じなんだけど

こっちがまともなことを言えばいうほど

向こうには、バカにされているって感じるらしいの

 

 

別に、わたしはバカにしている訳じゃなくて

はなしのつじつまが合っていませんよって

事実を述べているだけなんだけど

このタイプの人たちって、劣等感がベースになっているし

妙にプライドが高いから

勝手に見下されたと思い込んで、マンティング返ししてくるのよねー

 

 

しかもそのマンティングは

一見下手に出ているけど、感覚的には見下している感じで

自分のことを認めさせようと

あれこれ、こんなことに気付きましたとか

色々と言っているんだけど

こっちからしたら、感覚的にピンと来ないし

何を言われても寝ぼけている人が

言っているから、余計につじつまが合わないし

相手は感じたくなくて寝ぼけているから

まともに対応すればするほど、

余計に相手がおかしくなっていく感じなのよ

 

 

最初のほうでもいったけど、

最近は、エネルギーの変動が大きかったせいか

このタイプの人たちが妙に元気でね

ブログを書くと、エネルギー的に

こういうタイプの人の抵抗感がすごくくる感じで

ブログを書けなくなっていたのも大きい気がするのよ

 

 

うーん

わたしがよく思うのは

わたしのブログを読まない方がいいタイプの人たちがいてね

それがこのヘビ系のエネルギーが強い人たちなの

 

 

読む読まないはその人の自由だけど

わたしのブログの内容のワードだけ拾って

分かったつもりになって、自分を持ち上げるために使ったり

逆に、わたしが書いていることができなかったりすると

わたしはダメな人間なんだって

自分を蔑むために使ったりとかするために使って

余計にややこしくなっている感じがするの 

 

 

 

ヘビ系の人たちって

自分を感じるふりはしても

結局、外側から評価されることに重きを置いているから

軸が外側にあるのね

 

 

だからすごく流されやすいのもあるんだけど

ほとどの人は外側を向いているから

外側向いているのは仕方ないんだけど

それでも、自分を生きたいって

内側に向きたい想いがあれば、

わたしのブログは役に立つだろうけど

 

 

内側を向きたいふりをして

結局、求めているものが外側な人は

わたしのブログを読むと余計にこじれて訳が分からなくなると思うの

まるでブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような状態だから

余計に身動きが取れなくなると思う

だったら、似たような人のブログを読んで

どんどん人の世に迎合して、どんどん変になって

とことん困って、とことん追い詰められないと

自分を本当に変えようと思わないと思うよ

 

 

こういう人の場合は流されないことっていっても

自分が流されていることも、あまり分かってないと思うから

とりあえず、とことん流されてみるのもいいのかも

 

 

わたしがこの記事で伝えたい人たちは

こういう風に思いっきり流されてしまっていることに

区別がつかない人じゃなくて

そういう人のおかしさに気付きながらも、

巻き込まれそうになってしまう人なの

 

 

いまは、この流されやすいタイプの人たちが

たぶんすごく、彷徨っていると思う

 

 

それで、かまってくれそうな

言いこといってくれそうな人に飛びついている感じ

 

 

それで、相手が自分の思うようなことを言ってくれなかったりすると

一転して、相手をボロクロに言ったりとかね

 

 

それでまた次のターゲットを探しに行くのよ

 

 

そうやって、流されやすい人たちが

自分が翻弄されていることも気がつかずに

発している言動に、いちいち惑わされないで

自分はどう感じているか、つねに自問自答してあげてください

 

 

ちなみに、そういうタイプの人の標的には、わたしはなれないし

軸をわたしに置かれても

わたしと、その人は違う人間だから

価値観も違うし、参考になる点はあるかもしれないけど

わたしを基準に考えらることはおかしいことなのよ

 

 

そもそもわたしは

人の世で評価されることに興味が無いの

なんで、こんなに人の世がおぞましいのかには

興味があるから、自分で研究しているけど

それは評価されたいからじゃなくて

自分が好きでやっているの

 

 

だから根本的な目的が違うから

人から評価されたい人は、

同じような人のブログをみたほうが

互いのためですよ

 

 

あと、あれこれ話しが飛んで申し訳ないけど

いま、このタイプの人たちが

溺れるように彷徨っているんだけど

どうみても、溺れているのに

ものすごい幸せを感じたーみたいな錯覚を起こしている人もいて

????すごく不思議だけど

結局、夢をみている人のことは傍からは理解できないのね

夢を見ている人同士なら

分かり合えているようなつもりになれるかもしれないけどね

 

 

わたしも、だるすぎて

ブログを書く気にならなかったのは

こういう人たちからくる抵抗感から

一線置いて冷静にみるためだったのかなって思ったの

なんか知らないけど、勝手に嫉妬したり僻んで

エネルギー的に、わたしを踏みつけにしようとしてくるの

そういうのから身を守ってた気がする

 

 

そう思うとだるさすら、ありがたい

 

 

そもそもね、長年、こういう人たちに

振り回されてきた疲れみたいなのが

すごく出て来ている気もするの

 

 

現実を冷静に見れれば見れるほど

どれほど、不条理で不本意なことで

こういう人たちから足蹴にされて、潰されて来たかが分かるし

わたしのそういう歯車のひとつになって

すごく疲れていたのよ

やっとその流れから逃れられた感じがするの 

 

 

なんか不思議と逃げ切った達成感みたいなのもあって

まるで引っ越しが片付いてすごく疲れているけど

ひと安心みたいな感じもあったの

 

 

だから、ブログが書けなくても

変に焦ることなく、のんびりと疲れを癒していたのね

 

 

そうそう、こういうタイプの人たちの

巻き込まれないために

明確な目安があるんだけど

 

 

こういう人たちは

すごく楽しそうにしていても

 

 

一気に老けた印象があったり

 

 

顔がかげりがみえたり

 

 

変に昭和っぽい古臭い感じがするの

 

 

これ不思議なんだけど

若くても、ヘビ系の人が

夢の中に余計にどっぷり浸かり始めると

まるで老婆みたいな印象になるの

 

 

あとすごく疲れていたり

すごく浮腫んで見えたりする人もいるし

パサパサと水気がない印象の人もいるよ

本当に楽しかったり幸せだと

エネルギーに満ちているから

むしろ艶々、生き生きとしてくるよ

 

 

あと、ふりじゃなくて、本当に楽しい人とか

幸せな人って

子どもとか動物とかがそうなんだけど

見ている人も自然と楽しい気持ちになったり

ほっこりしたりとか

伝わってくるものがあるよ

 

 

参考にしてみてね

 

 

流されないこと

これがこれからの時代にとても大切になる

 

 

これから、どんどん時代の膿がでてくるから

人に意見をゆだねて、自分の軸を人にまかせていると

流されてとんでもないことになると思うよ

 

 

 

 

 

☆癒された子宮と痛みの連鎖☆

今朝、満月で半影月食だったらしいけど

 

 

だるいし、眠い…

 

 

なんかとにかく最近ブログを書く気がしないのよねー

 

 

火曜に、最近の変化の記事を書いた後は

それほど、不調だった訳じゃないんだけど

なんか、いままでとは感覚が変わってきていて

そこまでブログ書きたいって思わないのよ

 

書きたいって熱意が湧いてくるまで

のんびりペースで行くわ

 

 

これはわたしのための覚え書き

一昨日ぐらいかなー

ダーリンに子宮さんと会話してもらったら

 

「スタンバイ!!」って連呼していて

すごく気合いが入っている感じだって行っていて

 

 

その後、少ししてまた子宮さんの様子を視てもらったら

すごい勢いで走っているとか、マラソンをしているとか行っていて

 

「これから本気出すから、その前に筋トレしている」

ようなことを言っているって言っていたの

IMG_20160917_132615497.jpg

こんな感じらしい 

 

元々、そんなに真剣に視てもらっている訳じゃなくて

ダーリンの発想が面白いので、視てもらっているんだけど

 

 

どーでもいいことも多いんだけど

本当にタイムリーだなーっていうタイミングの時もあって

びっくりするわ

 

これまでは、ずっと砂丘に子宮さんが立っているって言ってたの

IMG_20160917_132639389.jpg

 

それがね、一昨日ぐらいから騒ぎだして

昨日は霧が出ているとか、雨が降りそうって言っていたの

 

 

今日、視てもらったら

雨が降ったらしく、地面が土になって、

さつまいもの葉っぱが生い茂って言って言ってた

 

 

たぶん、1年半ぐらい

子宮さんの様子を見てもらっているけど

ずっと一貫して砂丘の上の立ってたのに

一気に変化したみたい

 

 

ダーリンはわたしのブログ見てないし

9月が変化の時とか、今日が満月とか知らないんだけど

面白いタイミングで、ダーリンが視る子宮さんに変化があって面白かった

 

 

2年ぐらい前かな

癒された子宮から産まれる子がこれからは必要になるって

わたしの子宮が言っているって

たまのをのイリアさんに教えてもらって

それからあれこれ癒された子宮について解いてたけど

いまとなっては、本当に何も分かってなかったなーって思うの

 

 

今年になってから、古い時代の女性性のことを

とにかく解きまくったけど

こんなにものすごく影響を受けているなんて知らなかった

 

 

もう夏至前のことが、何年も前のことのように

思い出せないけど、ヘビエネルギーについて

見ない様にしていたりとか、とにかく感覚をごまかしていたの

わたしが小さいころから、怖かったのって

この感覚なんだーって、はっきり分かるようになったから

すごくほっとしてる

 

 

そうそう、これ気になっている人がいるだろうけど

春ぐらいに、ミコト(子どもの名前)の誕生日がふとひらめいて

面白かったから、ブログに書いたのね

 

 

別に誕生日を当てたい訳じゃなくて

なんとなく書きたかったから、書いたんだけど

 

 

来年の1月生まれだから

順調なら4~5月ぐらいにできていないといけないけど

そのころは、すぐに般若だの、ヘビブームが来て

本当に無理、自分一人でも手一杯だった

 

 

なによりも、

こんなに恐ろしい想いをミコトにさせたくないって思ったの

 

 

これまで子どもが欲しいなーって頭で思っていても

どこかで躊躇する気持ちがあったのも

この感覚が怖かったからだと思う

人から受けたものだけじゃなくて

自分の中にもしっかりその影響があったし

それは自分の中で、解いてからにしたかったんだと思う

 

 

だから、誕生日の直感通りになっていないの

外れてやんの。だせーって思われても

全然、構わないんだけど

これがあったから、より真剣に自分に向き合えたから

わたし的には、この外れた直感があって本当に良かったのね

 

 

別に、癒える前に子どもを産んで

ともに経験して成長して行く方法だってあるし

それぞれの人の選択だし、

子どもはお母さんを助けるために来てくれる面が強いから

一緒に成長していけばいいとも思う

 

 

ただ、わたしの場合は自分のカラダで色々と感じてしまうから

それが癒えてないと、自分自身も耐えられないと思うし

古い女性性がどれほど恐ろしかったか

如実に感じてしまったから、とても無理だと思ったの

 

 

お陰さまで、それらがだいぶ見極められて来たの

 

 

それらの影響が完全に癒えたかって言うと

まだ正直、恐いしキモいけど

 

 

子どものころから不気味に感じて来たものは

こういうエネルギーの影響なんだなーっていうのが

はっきりと見極められるようになって来たの

 

 

その人自身が嫌なのではなくて

その人に浸食しているその感覚が嫌なんだって

だいぶ明確に分かるようになって来たから

感じない様に知らず知らずに感覚を消す必要がなくなってきたの

 

 

あとは、そういうものをよりはっきりと見て行くことかな

 

 

痛みの連鎖って、無意識に起きている面が大きいのね

 

 

だから、自分が何が嫌だったのか

それをはっきりと意識することで

それを選ばないで済むようになる

 

 

それが痛みの連鎖を止められる

癒された子宮なのかもって思う

 

 

そういうのに気がついたから

もう大丈夫かなーって思ってたら

ダーリンが、子宮さんの周りに葉っぱが生い茂っているって

言い出したから、

子宮が癒えたって言う、サインみたいで嬉しくなったので

ブログに書いてみたよ照れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おはなし会は9月24日(土)​

9月のおとぴのおはなし会のお知らせ

 

おうちお茶会は9月19日(月、祝)

【変更あり】9月のおとぴのおうちお茶会のお知らせ

 

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最近の変化について②

それでね、最近の変化のつづき

 

あんまり頭がまわらないから

いつもみたいに

文章が流れるようにでてこないから読みづらいかも

 

 

星読みのブログによると

9日の夜に木星がてんびん座入りしたんですって

 

 

木星って幸運と拡大を意味するらしく

ラッキースターって呼ばれているらしい

 

 

あとてんびん座って、結婚とかパートナーシップ、

公平さとかバランス感覚とかも意味するらしく

とにかく人間関係で豊かさを得たり

人とのつながりが広がり易い時期らしいです

 

 

 

なんか最近、この準備をしていたんだなーって思うんですけど

周りの人とか見てて、

妙に人の頑なさであったりとか嫉妬とか

出やすい時期なんだなーと思ってたんです

 

 

これから人と人とが通じ合って生きるために

そうなるために弊害というか

自分の中にの人間不信になる原因を整理していた感じがあるの

 

 

だいたいの人って人間不信であり

自分不信なんです

 

 

7月ぐらいかなー

ウトウトしていたら

カラダから

「土下座して謝りたい」って聞こえて来て

 

えっ、誰に???

 

「自分に」っていうから

その場で自分に土下座して謝っていたんです

 

 

でも、それでも追い付かないぐらい

とにかく人は自分を置き去りにしてきている

 

 

そんな感じで人は自分が信じられない

 

 

自分が信じられないから

人にすがったり依存するし

自分で選ばないで、人に判断をゆだねたりする

 

 

だけど、それじゃ平等な関係ではないし

自分を置き去りにしているから

釈然としない想いだったり

それがうまくって行っても行かなくても

何らか知らの不平不満は残ると思う

 

 

そもそも自分を信じられないのに

人を信じるなんてできないからね

 

 

木星がてんびん座入りする直前

9日の昼間かなー

自分の中から、消えてなくなりたい想いだったり

ものすごい強烈な淋しさが出て来たのね

 

 

それでみぞおち辺りから両手まで痺れている感じで

そんな想いがみぞおち辺りにつまってて

モヤモヤしていたの

 

 

あー、そういえば

昔、よく消えてなくなりたいって思ってた

 

 

死んで誰かに迷惑をかえる価値すら

わたしにはないから、存在自体を消したいってよく思ってたの

 

 

あのころは、感覚を潰して生きていたけど

感覚的にはこんな感じだったんだって

こんなに、わたし淋しかったんだって思うと

すごく泣けて来たの

 

 

わたし、いまはダーリンがいて

「かまってー」っていえばかまってくれるから

大丈夫だし、自分で自分を理解できるようになってから

昔の記憶が浮上して淋しくなることはあっても

いま、淋しいってことはほとんどなくなったの

 

 

 

だから、昔だったら耐えられないほどの

淋しさを感じても、耐えられるんだけど

いまも淋しさを継続中で

こんな想いを内包していたら

怖くて感じるなんてできなかっただろうなってぐらいの

強烈な淋しさだったよ

 

 

自分とも通じ合えないことも

人とも通じ合えないことも

生きる希望なんて無くすぐらい絶望的に淋しいことなのよ

 

 

 

でも、淋しくないって言ってもね

ダーリンと意思疎通が取れないことも多くてね

 

 

特に最近は、わたしは小さい頃

こんな状況に立たされていたんだっていうのを感じるような

不条理なやりとりをダーリンとの間ですることがよくあってね

 

 

彼が色んなものを見せてくれるんだと思うんだけど

 

 

出来事としては大したことないことなの

彼が車の運転をしていて周りを見渡せないから

わたしが助手席で駐車場探したり、目的地を探したりしてて

 

 

彼に報告したら、

 

 

「本当に大丈夫なのか。俺は見ていない」って騒ぎ出して

 

 

「?????運転してたら

ちゃんと見れないでしょ。ちゃんと見たよー。大丈夫だよー」

 

っていっているのに、

俺は見ていないってひとりで、半分パニくりながら怒ってて

「その駐車場はちゃんと停めれる駐車場なのか?

何かのお店の駐車場とかで停めれないんじゃないのか」

 

 

とか、言い出して

妄想??って思うぐらい、根拠なく不安になっているから

同じ駐車場のことを言っているのか

こっちが心配になるぐらい

 

 

「????どこのこと言っているの?同じ駐車場のこと言っている?

周りにお店なんかなかったよ???

提携駐車場なんかじゃないよ。普通に停めれる駐車場だよ」

 

 

って感じで、まともにみていないのに

不安過ぎるのか、ひとりで妄想して怒っているの

 

 

駐車場に停めて目的地の場所に行くのにも

「そんな高いビルなかった」ってブリブリ怒っているの

 

 

「???車で走っている時、普通にあったよ。

なんで高いビルって決めつけるの???

そんなに高いビルじゃないよ。

ほら、あそこにあった。名前書いてあるでしょ」

 

「あれは、駐車場じゃないのか!!」

 

「????建物に名前書いてあるでしょ。

あれが駐車場だったら、あそこに車停めているでしょ

なに、訳が分からないこと言っているの???」

 

 

なんかよく分からないんですけど

自分の頭の中で、こんな建物だっていう思い込みがあって

それと少しでもずれていると、納得できないみたいです

 

 

確かに言われてみれば

ああいう造りの駐車場あるわっていう建物だったんですが

とにかく、話しの整合性がおかしすぎて

とにかく目先三寸しか見えていなくて、

物事がこうだから、こうとか連続性はなく

起きること起きることにいちいち、

嫌な連想をして不安になって怒っている感じだった

 

 

とにかく、まともに見ていないのに

一人で、不安になってパニくって怒る

自分の思い込みで決めつけて話している

 

 

確かに、わたしが小さいころの大人たちって

こんな感じだったんですよ

それを分かり易く、ダーリンが見せてくれたんだなーって思います

 

 

だから、話しなんて通じるわけがない

いまだからこそ、まともに反論ができるけど

小さい頃はこれを無理やり押し付けられていた訳です

 

 

とにかく悲しいし悔しいし、淋しい、

どこにも救いが無さ過ぎて、余計に淋しさが増していたんだと思います

 

 

こんな感じで、自分が人間関係に不平不満を

持つようになったきっかけが何らか知らの形で

現れやすくなっていると思います

 

 

これから、パートナーシップがテーマになるのに

こんなに人と人とが通じてないんじゃ話しにならないし

信頼関係なんて、もちようがないと思うんです

 

 

昔のわたしだったら、巻き込まれて

ひどいって怒りまくってたと思うんですが

正直、こんなに通じないんじゃ、話しても無駄だから

同じ土俵に立ちたくないんですが

だいたいこういう時って、同じ土俵に立たせよう

巻き込もう、巻き込もうって人は無意識にしてきますね

 

 

こんな時は無意味に闘うよりも

なんか知らないけど

不安なんだなーって、大丈夫だよーって

楽な気持でいってあげれたら、互いに楽ですよね

 

 

逆に良い機会をもらったと思って

昔の自分の悲しさを思いっきりぶつけるつもりで

その想いを解消するのも、ひとつの手だと思います

 

 

これまでの時代、人と人とが通じ合えない時代が

あまりにも長かったから

こうやって、人と人とが分かり合うために

どうやったら通じ合えるかを

少しずつ練習することが必要だと思うんです

 

 

木星がてんびん座に入ったいま、

物事を冷静に公平に見れる視点を持つために

自分のコミュニケーションの癖に気がついてあげてください

 

 

 

なんかねー、最近、

やさぐれている人が多いんじゃないかなー

 

 

今週の土曜日の満月が半影月食だけど

それまでメンタル不調になりやすいらしいです

 

 

たぶん人って表面は取り繕っているけど

不平不満だらけで、

本当はやさぐれている人ばかりなんだと思うの

 

 

特にいま、その不平不満が出やすいみたい

 

 

あと、本当にいまシフトの時期なんだなーって思うんだけど

すごくいま、道に迷っている人が多いの

 

 

いままでの自分すら疑わしい感じ

 

 

自分という個性すら訳が分からなくなる感じ

そのうち、書くけど、インディゴ系の人はすごく彷徨って

自分が分からなくなっている人多いと思うよ

 

 

よく言えば、まっさらなんだけど

まっさら過ぎて、

何をどうしていいか分からない感じになるよね

 

 

とりあえず、その分からなさに振り回されるよりも

現実的にやることをやっていれば

自然と現実が整っていくと思う

 

 

こういう訳が分からない時って

普段の無意識の癖みたいなものがでやすいと思うの

 

 

それにはまって、自己嫌悪に陥って終わりじゃなくて

そのパータンを知るチャンスにすることもできると思います

 

 

 

 

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最近の変化について①

いま、カラダの変化が激しすぎて

何を書いていいか分からない状態だけど

とりあえず、書けることだけ書いておくわ

 

 

とにかく色んな変化が同時に起きているのね

 

 

わたしがとらえられている感じだと、

いまの変化は大きく4つ影響があると思っていて

 

 

ひとつめは木星がてんびん座入りした影響

 

 

ふたつめは、ヘビエネルギーがより顕著にでていて

人の無感覚さがより浮き彫りになりやすい

 

 

3つめは人のカラダがかなりの速度で目覚めて来ている

 

 

4つめは、土曜日の半影月食に向けて

メンタルの不調がでやすいらしい

 

 

他にも色々とあると思うけど

とりあえず分かっている所、こんな感じ

 

 

もうとにかく、宇宙って人が理解できるレベルを遥かに超えて

完璧にできているので、

いま、この変化の時に合わせて

とにかく色んなことが同時に作用している感じなのね

 

 

わたし、人に起きている変化の集合意識的を

とにかくカラダで感じてしまうんですね

 

 

いまはとんでもなく変化が激しい

 

 

いのちのチカラが一番活性化するのって

丑三つ時の2時~4時なのね

 

 

たぶんほとんどの人が寝ていて

人の思考や意識の影響が休まっているから

本来のチカラを発揮しやすいんだと思うのね

 

 

昼間も変化がすごくて

カラダがあちこち反応するんだけど

夜中、丑三つ時なると自然と目が覚めることがあって

すごくカラダがあちこち反応しているの

 

 

わたしは変化を知りたい方だから

そうやって目を覚まして、見せてくれるけど

寝ているうちにしらないうちに終わっている人も多いと思うよ

 

 

ただ、本当に人は

どれほど自分を押さえつけて生きているんだろうって

どれほどの可能性を秘めているだろうってびっくりするぐらい

カラダが変わろうとしている

 

 

その変化の影響でいままで気にならなかった

不調とかが出やすいだろうから

不定愁訴みたいな症状が表れやすいと思うよ

 

 

 

いま、すごく出やすい症状は

みぞおちや胃から舌が痺れているような感じ

ついでにそれで両手も痺れている感じ

 

 

他にも股あたりも痺れすごいし、足も痺れがすごくでる

 

 

踵、仙骨、蝶形骨(脳の下側の骨)の繋がりも

目覚めはじめているみたい

 

 

去年ぐらいから仙骨がとにかく音を立てて動くことが多くて

踵も痛くなることが多かったんだけど

最近は、頭がぼーっとするっていうか

頭が痺れているような、変な感じがすごくあるのね

たぶん蝶形骨って骨が固まっている違和感だと思うの

 

 

とりあえず、耳をひっぱったりマッサージしたり

あと頭をマッサージしてあげると若干治まるみたい

 

 

特にこめかみとか、顎の関節とか

頭の後ろと首の境目とか

さわると分かると思うんだけど

頭の骨って23個の骨でできているから境目があちこちにあるのね

境目を揉んであげるだけでもだいぶ違うみたい

 

 

わたしも変化中なので、この変化によってどうなるかが

分かんないけど、たぶん、もっと自分がぶれにくくなると思うし

色んなことが整いやすくなるんじゃないかな

 

 

あのね、この頭の違和感プラス

ヘビエネルギーの影響があるから

余計にぼーっとする人が多くてね

しかもヘビエネルギーってもめごとを起こしやすいし

人を感覚的に殺す方へ向かわせるから

無感覚っぽくなったり物事の本質を隠す所があるのね

 

 

例えば、探し物があっても、その探し物だけ見えないような感じ

 

 

これ本当に不思議なんだけど、本人にはまるで見えなくて

他の人がそれを見付けると

本人にしたら、まるで魔法でも使ってとり出したのかって思うぐらい

その人にはその物が見えないみたい

 

 

昨日、友達と映画を観る約束をするのに

その友達がとにかく頭がまわらなくなってたみたいで

一番、都合の良い時間だけ目に映らなかったみたい

そこだけすっぽり抜けたみたいに見えなくなってたの

 

 

このエネルギーにやられていると

一番、都合が良いもの、ベストな物が見えなくなるみたい

傍から見ていると、不思議なぐらい

だから上の世代の人って

物事を解決できないでうやむやにするんだと思う

 

 

ゼロより上の世代の人はこういう自分をとらえるのが難しいけど

インディゴより下は、とらえられる人もでてくるから

自分が見落としたこと後で、

気がついて自己嫌悪に陥ったりするよね

 

 

だけど実際、その人の目には見えてないから仕方ないのよね

こういう時は、一人で頑張らないで

人と人とが助け合ってね

 

 

 

 

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生きることへの強い否定感とタタリ神のはなし

すごくカラダが軽い

 

 

びっくりするぐらいカラダが軽い

 

 

でもねー

カラダの中から聞こえてくる声は

 

 

もう生きるの辛いー

 

とか

 

人類、滅びればいいのにーとかなんです

 

 

それに飲まれて、どんよりする時もあるけれども

ウキウキるんるんなこともあるし

とにかく変化が激しいです

 

 

でも、カラダはとにかく軽いし

日に日に、どんどん軽くなって行く

 

 

解放がすごすぎて追いつけないぐらい

カラダがあちこち反応するので

それに集中していると解けて行く

 

 

していることといったら、ただ何にも考えずに

その感覚に集中しているだけです

それだけでも、十分なぐらい

 

 

ただ思考が忙しい人は頭を鎮めて集中するのが

難しいでしょうから、そういう人は

違和感がある所を毛づくろいするような感じで

ぽのりながらなでてあげるといいですよ

違和感が無ければ、全身を手ぐしで解かすように

犬猫でも触るような気持ちで優しく、

ゆったりとした気持ちでなでてあげるといいと思います

とにかくカラダに優しい気持ちで触ってあげるだけでも

違うと思いますよ

(ぽのる=ホ・オポノポノの4つの言葉、

ごめんなさい、許して下ださい、ありがとう、愛しているを繰り返しいう)

 

 

なんでそんなに軽いのに

聞こえてくる声は、生きることへ否定的なのかというと

だいぶ、見切れて来たんですが

 

 

これ↓

映画 もののけ姫より

 

 

このタタリ神は根本的になんなのかっていうと

 

 

たぶん

生きることへの強い否定感

 

 

が根っこなんだと思うんです

 

 

それを根っこに、恨みとか飢餓感とか嫉妬とか

色んなおどろおどろしい感覚が

ぐっちゃぐっちゃになっている感じ

 

 

でもね、

自分という存在は生きることで証明される所があるので

生きることを否定すると言うことは

強い強い自己否定にも繋がると思うんです

 

 

だからタタリ神は強い自己否定の象徴でもあると思うんです

 

 

 

だけど、同時に人は生きる欲求もあってね

 

 

そういう内在的な強い矛盾から来る

葛藤を人は強く持っているんだと思います

 

 

わたしはそんなに詳しくないけど

心理学ではフロイトとかがいっているし

エヴァでもでてくるんだけど

 

 

リビドー、生きる本能的な欲求

 

デストルド 死への欲求

 

 

この二つの矛盾にさらされているんだと思います

 

 

ここからは心理学的な知識じゃなくて

わたし個人の見解なんだけど

 

いのちって元はひとつだけど

肉体を持って生きることで個としての分離が経験できる

 

 

だから生きることだけだと

全体から分離され個人という感覚が強まるので

人との結びつきが欲しくなるだと思います

 

だから強い淋しさを生むし

人から認めてもらいたくなるんじゃないかな

 

 

それで、デストルドって、

死への欲求って表現されることが多いけど

もっと掘り下げて行くと、

たぶん全体性への回帰欲求みたいなものだと思うのね

 

 

すべてはひとつであるという

ワンネスの状態へ戻りたいという欲求

 

 

本来であれば、

このふたつがきちんとバランス良く成り立っているのが

本来の人なんだと思うの

 

 

それがあれば、

わたしはすべてであり

すべてはわたしであるという感覚がありながら

個として存在できるから

 

 

自分が全体の一部であるってことが

理解できるから、誰かと争うこと、嫉妬すること

罵ること、蹴落とすこと、我先に目立とうとしたりすることが

無意味だって分かる

 

 

だって、わたしとあなたは同じものなのに

相手を罵ることも、蹴落とすことも

自分を蹴落とすことと同じことだもの

 

 

別にあえて目立とうとしなくても

全体の流れによって

目立つ必要がある人は目立つ

そういった流れが分かるので、

そこに嫉妬が無用である

そういったことも理解できると思うの

 

 

前も言ったけど

こういう根本的なことが理解できていないから

ありのままに生きると言うことが

自分勝手に生きていいと言う誤解を生むのね

 

 

そうではない、わたしは全体の一部であるから

大いなる流れの中で、自らを生きること

それがありのままに生きること

 

 

自らを生きることというのは

本来の自分の感覚を生きることでもあるんだけど

そうすれば、自然と全体の中の自分の役割を生きることになるから

自分を生きることが、すべてのためにもなる

 

 

だから、そういったことを分からずに

自分勝手に生きることは

全体の流れに逆らうことにも繋がる

ただ、あまりに固定概念でガチガチの時は

多少、はめを外して生きるのも

ひとつの経過として必要なこともあるけどね

 

 

 

それでね、前時代は分離の時代だったから

このふたつの、生きる欲求、死への欲求が

分離して存在していたから全体性が失われていたの

 

 

その二つを統合する必要があるのね

 

 

それで、その二つの分離感を強めていたのって

 

この感覚なんだと思うの

 

 

デストルドは全体性への回帰欲求だと書いたけど

別に欲求なんかもたなくても

感覚として、本来、人は完璧に産まれてくるの

自分が全体の中に一部であるっていうのが

当たり前に認識できていると思うの

 

 

だけど、タタリ神的な感覚によってその感覚を断たれるんだと思う

 

 

古い女性性と似た感じもあるんだけど

タタリ神のほうがもっと深い感覚に隠れている感じ

 

 

エネルギーって基本的に引き合うものがないと

引っかからないんだけど

たぶん前時代の人はこういう感覚を生まれながらに

持って生まれて来たんじゃないかなと推測しているの

だから古い女性性の感覚に飲まれやすかったんじゃないかと思う

 

 

たぶん子宮にこういう感覚が根付いている感じがする

 

 

前に癒された子宮のはなしを何度かしたけど

いまとなっては、全然、分かってなかったけど

たぶんこのタタリ神が癒えた子宮のことなんじゃないかって思う

 

 

人として完璧に産まれてくる

でも産まれながらにして、タタリ神の感覚を持ってくる

これも矛盾しているけど、どっちも本当な気がするの

 

 

前時代って矛盾の時代って感じがするし

 

 

タタリ神は、色んな呪いを集めて

あんなおどろおどろしい姿になったけど

本来は神なんだと思うの

 

 

色んな呪いって

支配、依存、執着、嫉妬、色んな欲望とかそういうのね

 

 

すべてがひとつであるという感覚が断たれたことにより

人と自分を比較するようになったり

人を支配しようとか依存しようとかしたんだと思うのね

 

 

タタリ神はそういう人の色んな感覚を餌に増殖していた感じ

 

 

 

だけど、時代が変わったから

ここに来てタタリ神の解放ができる時代になったの

 

 

前にも書いたけど、

ほとんどの人はこのタタリ神が気持ち悪過ぎて

この感覚を見ない様にしてきたし

実際に観れたとしても解放するのって至難の技だったんだけど

たぶん、そろそろイケる気がするわ

 

 

古い時代の女性性も崩壊してきているし

それぞれに残ったそういった感覚は暴走しているけど

全体的には終息に向かっていると思うの

 

 

これも前に書いたけど

人って色んな欲望を持つことで自分の感覚を感じない様に逸らすのね

 

 

人は問題が好きっていうか

特に旧世代なんて、解決する気がないだろうって思うぐらい

同じ問題をずっとぐるぐる持ち続けているけど

それも、自分を見ないために得た癖みたいなものなのね

 

 

もっといえば、母親の呪縛だって

自分を見ない様にする癖のひとつだと思うの

 

 

ただ、タタリ神の感覚は母親から伝わることが多いから

そういう意味では母親の呪縛は確かに存在しているけど

多くは、自分から逸らすために

人類が作り出した魔法にかかっているような感じよね

 

 

 

これからタタリ神を鎮めて行かないといけないのね

 

 

それでね、わたしが思うに

インディゴたちがとにかくこの感覚を吸収してくれたと思うの

 

 

エネルギーって誰かが解放すると

その解放された感覚がエネルギーで伝わるから

他の人も解放しやすくなる

だから解放するためには、一度、取り込む方法があるのね

 

 

しかもインディゴって二重構造になっている感じがあってね

本来の自分の感覚を

自分の内側の深い所でまるで蝋で塗り固めたみたいに

守っている感じがあってね

タタリ神とか人の世の感覚に染まっているように見せているけど

実はそれは表面的であって、深くまでは染まらない様にしている感じがあるの

 

 

いままでは恐すぎて、タタリ神と対峙するなんて難しかったけど

すごく気食悪いけど、それを超えられるような

気高さを、インディゴたちは持っているから

ぜひ、タタリ神にのまれずに、

内側に自分の気高さをしっかりとつかまえて欲しい

 

 

 

そうそう話しは変わるけどね

わたし、映画もののけ姫を観て思ったの

 

 

昔は、サンがすごくカッコ良くて憧れたんだけど

いまとなっては、憧れる要素が分からなくなったの

 

 

最初にもののけ姫を観たのって

20代前半で、人の世に飲まれるのが怖くて

硬くなに張って行こうとしていた時期だったんだと思う

 

 

だから人を敵対して強く生きるサンに憧れたのかなって思う

 

 

いまとなっては

もののけ姫を見ていて

旧世代的な頑なさのぶつかり合いを感じるの

あくまでわたしの個人的な見解だけどね

 

 

色んな憎しみとかそういったものが

根底でぶつかりあっている感じ

 

 

作品としてはとても面白いけど

あの頑なさでは、また必ず争いが生じる

あのままではいずれ、いのちが滅んでしまう

 

 

だから、本当の意味で、人が生き合える世界を創るためには

頑なに張るのではなくて

柔軟に受け容れて行くことが必要なんだと思うの

 

 

争うこと、すべていけないわけではないのね

互いの意見を出し合ってフェアな戦いだってあると思うの

 

 

でも、映画みたいな

自分の中の正しさであったり、憎しみを握りしめて闘っても

誰も幸せになれないのよ

 

 

もののけ姫だって、ハッピーエンドとはいいがたいような

感じだったしね

 

 

悪者が負けて、はい、終わりじゃなくてさ

もっと人が柔らかく優しく生きれたら

敵なんかどこにも存在しなくなるよ

 

 

だからさー

とりあえずタタリ神の恐怖を解放できれば

すごく楽になるだろうし、

頑なさや思考のかたよりも自然と和らぐと思うよ

それは何よりも自分のためになるの

よくいうけど、本当の意味で自分のためにすることは

必ずすべての人のためになるのよ

 

 

そしてそういう楽な状態になれば

たとえタタリ神のようなエネルギーに遭遇しても

ひっからない自分になれると思うんだ

 

 

タタリ神に取り込まれた、前時代的な人たちは

本当は怖くて我を失っているから

柔らかくて優しい人がそばにいてくれれば安心できると思うの

 

 

インディゴたちはその苦しみを自らの取り込んで来たから

痛いほどその苦しみが分かると思う

苦しんでいる人同士で争っても仕方ないしね

それぞれの人が自分の苦しみを分かることが一番だよね

 

 

そうすると、タタリ神もまた解放されていくだろうし

そういう優しい世界が来ることをわたしは強く望んでいます

 

 

 

 

 

 

 

 

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パラダイムシフト

ここ数日、信じられないぐらいエネルギーがクリアだ

 

 

空のクリアさを見ると、

いま本当にパラダイムシフトの真っ最中で

これから新世界が訪れるんだと実感する

 

 

このクリアさは、いままでの概念では表現しようがない

 

 

次元が変わったとしかいいようがないぐらいクリア

 

 

敢えて言うならば、わたしたちは

クリアというものを、いままで知らなかった

いままでクリアだと思っていたものが全くクリアではなかった

 

 

いままでの感覚でいえば、

とてつもなくクリアな空気が流れているが

まだまだクリアな世界がこの先にあるのだろう

 

 

たぶん、これから10月に向けて

ウナギ登りでクリアになっていくと思う

 

 

わたしたちがこれまで、持っていたすべての概念が

根底からくつがえされるというか通用しなくなる気がする

 

 

まさに感覚的にもパラダイムシフトが起こると思う

 

 

それぐらい、このクリアさは未知のものである

 

 

このクリアさには

前時代的な、タタリ神やカオナシのような感覚は異質過ぎて

あからさまに浮き彫りになってみえるだろう

 

 

これまでは、人は本来の問題をダミーをつくることでごまかしていた

 

 

例えば、内側にある自分の気持ち悪さを隠すために

着飾ったり、外側をとりつくろっていた

自分の問題を隠すために、やたらと外側に意識を向けて

人と比較し、嫉妬していた

そういうのは自分の感覚をごまかすためのダミーである

 

 

着飾ることが悪いわけではなく

純粋に楽しめればよいのだが、人は楽しむという感覚すら

麻痺させてしまっているので、楽しんでいるふりをしながら

自分をごまかすこと、とりつくろうことに躍起になってしまう

 

 

自分をごまかしていることに気付けても

人はまた事柄に走ってしまい

例えば自分を支配している対象、思い通りにならない状況を恨む

そうやってまた自分を感じることから無意識に逃げようとする

 

 

そうではない。

それは自分にある感覚が外側に現れただけである

その外側に感じる不快さは、自分の内にあるものだ

 

 

これからは自分の内と外が同列であること

それは当たり前の大前提で

その先にある、自分と外との関係性の

とてつもない広がりと、繋がり

人と人はとてつもないバランスの上に成り立ち

互いに作用し合い、支え合う世界、紡ぎ合う世界

そしてそこからさらに、世界が無限に広がっていること

そういったものが明白になってくる

 

 

最近、はっきり明確に分かって来たことがある

 

 

周りの人に気をとられるのも

支配も依存も、欲望や劣等感とか嫉妬とか色んなものは

エゴがもたらす、本来の自分にかえらせないためのダミーであることを

 

 

 

結局の所、自分の中にある

タタリ神やカオナシの気食悪さがすごすぎて

人は自分をごまかして、自分に向かえない様にするために

色んなダミーを使って、人は自分の感覚をごまかす

 

 

 

だからダミーにごまかされないためには

まずタタリ神とカオナシの気食悪さを見切る

そうすることでダミーに振り回されなくなる

 

 

それがこの秋に課せられたわたしたちのパラダイムシフト

 

 

とにかく自分の中をクリアに

自分を感じること。分かってあげることが大切

そうして自分をクリアにすることで

より自分とも人とも深く深く繋がって行けるようになる

 

 

 

 

 

 

 

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