さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆般若の呪いとひとり自爆テロ②☆

時々、リアル妖怪ウォッチシリーズを書いていますが

たぶん般若にしても、色んな妖怪伝説なんかも

人のエネルギーが可視化して見えたものが

元々の由来なのではないかとわたしは考えています

 

 

何度かこのことを書いていますが

小さい子どもには、妖怪が見えるらしく

何度か、子どもに妖怪が見えるのか質問されたことがあるんです

(下は5歳ぐらいから、上は中学生ぐらいまで)

 

 

「姿は見えないけど、いるのが分かるよ」って答えたら

聞いて来た、子ども達が一様にほっとした顔をして

「わたしも、見える」って話してくれたりしました

 

 

妖怪が見える大人がいて、安心したんだと思います

 

 

ほとんどの大人達は、なんらかしらの妖怪が憑いているし

それを言っても受け容れてもらえないことが感覚で分かるから

子ども達はそのことを自然と口にすることができないんです

秘密にしているのとかとは違って、感覚的にそれを言おうと思いつかない感じです

 

たぶん見える時期はそれぞれ違うとは思いますけど

感覚的な生き方を諦め、外側的な形を生きることをすることで

徐々に見えなくなって行くようです

 

 

わたしも自分の潰していた感覚が戻って来る度に

周りの大人達が妖怪が憑いているとしか

表現できないような奇妙な生き方をしていのが

如実に分かるようになりましたが

大の大人である、わたしでもこういった妖怪的な感覚は

ものすごくおぞましくて、恐ろしくて耐えきれないのに

多くの子どもがたちがこの感覚に耐えていて

それでも、両親であったり、周りのみんなが大好きなので

なんとか大人達を救いだそうとしていることが分かるので

そのことを、とても切なく思います

 

 

わたし自身もすごく恐ろしく思うこともありましたが、

小さい自分がそれにものすごく恐怖したであろうこと

あまりの怖さにそれを感じないように封じたけれど

無意識にそれを感じて、恐怖している自分がいることを想うと

どんなに怖くても、自分自身のために、すべての人のためにも

それを乗り越えたいと思って、それを解き続けてきました

 

 

それでね、この般若の感覚って

日本ではそう表現していますが

ギリシャ神話では、

メデューサのエネルギーなんじゃないかなって思います

 

 

見ただけで石になってしまうメデューサの首ですが

般若も感じると恐怖のあまり

まるで、全身が硬直するように固まるので

たぶん同じものだと思います

 

 

感覚ってエネルギーで実体がないものなので

それぞれの文化によって可視化して見えた時の形が違うと思います

だから、恐らくそれぞれの国に般若に相当するような

モンスターとか妖怪みたいなものがいるんじゃないかなと思います

 

 

それで、この般若の感覚によって

色んなところで、人に誤作動が起こるみたいです

 

 

そもそも、いのちはいのちを育み育てることが至上の喜びなんですね

 

 

何度も言ってますが

いのちは互いに支え合い、

育み合い、補い合い、助け合うが喜びなので

育てる方が偉いとか、育てられる方が下とかそんなのなくて

すべてにおいて対等であり、どちらにとっても喜びなので

どちらかが一方的に助けたとか

そういう恩着せがましいことは、ありえないんです

 

 

この世界は必ず相互関係の元に成り立っているので

形的にはどちらかが助けたような場面によっても

誰かを助けることも喜びですし

助けてもらえたことも喜びです

互いの喜びが響き合い

エネルギーが増幅されて、循環されるんです

助け合いは、 足す 気 合い

気を互いに足し合うので、互いのためになるんです

 

 

そして、そうすることで自らのいのちも、

相手のいのちも育むことができる

 

 

だから、上の世代の人たちが、

育ててやったとか恩着せがましくいうのは

こういった本来の人の生き方を忘れてしまったがための発想であって

人が人に呪いをかけているような感じだと思います

 

 

 

あと、人が自分を深く愛している状態だと

当たり前に自分も人も信頼できるようになるんです

 

 

それぞれの生きるチカラを当たり前に信じてあげられる

 

 

何があっても、わたしは大丈夫だと信じられること

 

うーん、正直

わたしは当たり前に自分を信じているので

信じていることも忘れるほどですねー

 

 

そして、もし何かがあっても

人を信じていれば、当たり前に助け合えることを知っているから

普段から、起きてもいない、何かに怯えることなく楽に生きれるんです

 

 

まぁ、それでも災害とかに多少の備えはいるとは思いますが

本来なら、頭で理解してなくても

人は感覚的には、必要なものは俯瞰して知っているので

災害が起きる前に限ってなんとなく

多めに食料を買った方が良い気がして備蓄が多めにあったりとか

足りないものは、周りの人が持っていたり

基本的に困らないようにできています

 

 

だけど、人が本来の自分を殺し

感覚を消したり、潰したりして生きることで

本来のこういった能力がどんどん失われて

失うことを恐れ、色んなものを恐れて

人を蹴落としてでも、自分が助かろうとするなどして

できあがったのが現在の人の世です

 

 

 

だけど、時代が変わったので

人が本来の生き方を取り戻せるようになりました

 

 

 

 

それで、感覚が潰れたことによる

ひとり自爆テロのはなしにつづく

 

 

 

 

 

 

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