さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆心配するよりも信頼を☆

以前は過去の記憶があんまり思い出せなかったんですが

自分自身を癒したら、色々と想い出せるようになってきました

最近は小さい時の追体験だなって思うことが多いので

子どものころのことをよく思い出しています

今、考えると本当に恐れというものを

あまり感じない子どもだったなと思います

子どもなりに自分が万能だと何でか思い込んでいて

実際には出来ないことや不得意なこともたくさんあったので

徐々に万能感は消え、恐れも芽生えていきました

恐れに関しては完全に後天的に植え付けられたものです

小学校低学年ぐらいまでは

知らない人にでも話しかけて、ついていって

家まで遊びにいったり、一緒に遊んでもらったりしていました

それでもうちの親は甘かったのか世間知らずだったのか

他の子どもに比べたら、きびしく怒られませんでした

でもあまりにも私が知らない人と仲良くして

一緒に遊びに行こうとしたりとかしていたので

母親にひどく怒られたこともありました

そうしていつの間にか知らない人に話しかけるのをやめてしまい

人見知りな自分になってしまいました

親が悪いというわけではなくて母親の立場を考えれば

当たり前のことだったと思います

私も母親に心配をかけたくないと思って無意識にやめたんだと思います

これで芽生えた人に対する恐れは

面白ほど大人になっても影響していて

若いころは男の人にナンパされると過剰に激怒して

「なれなれしく話しかけんじゃね~!!」

と道端でよくケンカしていました

ナンパされた日は眠れないぐらい頭に来たりしていました

今、考えると異常なぐらいの激怒ぶりでしたが

元をただせば母親の

「知らない人に付いていってはいけない」という教えを

母親に心配をかけたくないという想いで

無理やり受け入れた自分に対しての怒りも含まれていたんでしょう

子どもなりにきっと知らない人でも良い人、そうでなさそうな人を

見分けていたのかもしれません

話しかけないようにすることを諦めた怒りがあったんでしょうね

そうして大人になった私は気がついたら心配症に育っていました

色々な恐れでがんじがらめになっていた時期もありました

そうしてどんどん本来の自分から遠ざかっていきました

スピリチュアルなことを学び始めて

自分自身を解放をし続けて本来の自分に戻ってきたら

心配性でなくなっていました

世の中にある色々なことが怖くなくなってきました

例えば怖いニュースでも戦争でも

テロでもなんでも気にならなくなったんです

結局は自分自身の内側にある恐れの感情を外側に

みていただけのことに気がつきました^^

何かに恐怖を感じる時はその出来事に対して恐怖を感じていると

いうよりは自分の内側にある恐れや恐怖の感情が反応しているだけ

戦争やテロなど争いのニュースが気になる時は

自分の内側に争いがあること

昔は戦争がなくなって平和になってほしいと思っていましたが

自分自身が自分と和解したら

外の世界の戦争が気にならなくなりました

外の世界を心配していることが悪いことというわけではなくて

ただ単に自分の内側の反映が外側にでているだけなんです

それは外の出来事を見捨てたとかそういう訳ではなくて

すべては必要があって起こり

起こることは起こるし、起こらないことは起こらない

そんな絶対的な調和の中での出来事なので

どうにかしようとかそういう問題ではないということに気付きました

そういった出来事に対してできることは

その問題にアプローチすることよりも

自分自身の内なる平和をしっかり確立することなんだなと思います

その感覚が広がっていけば、結果的に世界は平和になる

そういう揺るぎない確信を持てるようになりました

もちろん、その出来事自体にアプローチすることも

その人に必要な学びであることもあるので

それぞれの人の自由だとも思います

私にとっては、何かに心配していることが

自分の内側からのサインだということに気付いてきました

うちの夫は心配性なので

私のことをよく心配してくれます(*ノノ)キャ

ある意味、愛情でもあるので嬉しい面もあるのですが

私は心配されるよりも私は大丈夫だと信じてほしい

私は自分自身が大丈夫だと信じていたい

子どものころは信じきることができなかったけど…

今は違う、心から自分を信頼している

だから夫に対しても

自分自身に言い聞かせるように

「私は大丈夫。何があっても大丈夫

心配するよりも何があっても大丈夫だって信じてほしい

心配されるよりも何があって大丈夫だよね」って言って欲しい

そう伝えています

たくさん想像を絶するような出来事に遭遇してきたけど

すべてを乗り越えてきた私を誇りに思う

だから私は何があっても大丈夫

そう信じています

それに恐れはある意味、自我であり思考がもたらすものです

自我や思考が悪いわけではありません

それはそれで楽しいゲームが展開されます

ですが思考を越えた世界には

何があっても大丈夫な絶対的な調和の領域があります

私はその領域の絶対的な安心感を知っているので

何があっても大丈夫

私もみんなも地球も宇宙も大丈夫揺れるハート

そう確信をもって知ってるのですわーい(嬉しい顔)

だから、あなたもきっと何があっても大丈夫ですよ^^