☆認知のゆがみの話の続きだよー☆
仕方ないのですが
たぶん私が伝えたい意図が伝わってない方がいらして...
誤解を受けているようなので再度、説明しますね
覚醒していた日々のことを書いたのは
この世は本来、すべてが完璧に整えられて与えられている
でもこの世にそんな都合の良い体験をしに来たわけじゃなくて
完璧な世界を知るために不都合のたくさんある状態を知らなければいけない
この不都合な状態をしるために必要なのが
私が「認知のゆがみ」と例えたフィルターです
初めて苦手な人、嫌な出来事ができます
これももちろん大いなるしくみの一部なのですが
それまでは当たり前に通じていた
コミュニオンの状態から、想いが通じない世界に来たことによる
人間不信(自分不信でもあります)
それのショックから内的世界を閉ざす
自分殺人事件の痛み
人間不信と、
神であり、完璧な自分を失った喪失感
そして不完全な状態である自分に対する劣等感があります
これらがベースとなり
人間関係を通して色々なフィルターをつくります
これはとても根深いものなので
いまでも多少は残っています
人はいかに自分が正しいかを証明し始めます
自分のすべてを否定する人もいます
私は正しい、あの人は間違っているという
ターゲットを見つけたり
自分の信念に反する人を見つけると
過剰に反応し、その人の悪いところが
やたらと目につくようになります
悪口って、いかに自分が正しいかを証明していることが多いです
たとえば
あー、私はいつも一途に必死に仕事をやっているから
手を抜く人が許せないんだー
一途に打ち込まないで色んなことをする人も嫌なんだー
とか分かるわけです
その対象が仕事に手を抜かなくなったり
その人なりに一生懸命やっていたという場面に遭遇したりします
その思い込みがとければ、現れる世界ももちろん変わって来ます
否定するとものすごい跳ねかえりがくるのが分かっているので
あまり突っ込みたくないですし
劣等感から私が言っている内容のことが
腑に落ちていないということを
悟られるの嫌なようで、
内的世界のことが分かっているというようなことをいわれます。
(もちろんそれも私のフィルターです。でも嫌なもんは嫌なんです。)
基本的にフィルターがあまりにも合わない人同士は
同じ世界には存在できないんので
縁が遠のいたりして、離れていくことがほとんどなので
まだ私の世界に現れるということは
なにかのフィルターを見せてくれている訳なので
嫌いだから付き合わないといってその人と離れるだけで
パターンに気が付かないと
また同じタイプの違う人が人生に現れます
趣旨とは全く違います
私も以前はそうだったんですが
人によって現れる世界が違うのであれば
自分の正しさを相手に押し付けてもしかたないじゃない
だってその人が創り上げている世界ですから
そういう自分がいることを知るだけでも良いんですが
自分のフィルターなり、パターンなりに気が付いて
そこにある想いを受け容れて
修正していけばいいんですよってことです(o^ ^o)
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