さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆おとぴ恐れられるの巻☆

いやー子どもって本当にすごい!

3歳ぐらいまでの子どもって

本当にエネルギーだけみて生きてるんですね

たぶん大人がそれを表現できないから

言語の獲得ともにその能力がすたれていくんだと思います

私、感情解放して

あるがままの自分になって何度か驚いたことがあるんです

子どもはエネルギーだけ見てますが

子どもによってその度合いがまちまちで

親が外側の世界を重視している子どもは

赤ちゃんのうちにそれを閉ざし始めてしまうので

子どもでも敏感度が違います

生まれつき能力の強弱もあるようですけどね

だから赤ちゃんによっても違うんですが

ここ1年ぐらいかなー

私をみてものすごく驚く赤ちゃんに出会うようになりました

目を皿のようにして驚く赤ちゃんや

驚いた顔をして私を2度見する赤ちゃん

去年、ディズニーシーに行った時は

ショーでてるミッキーよりも

私を30分間不思議そうな顔をして見ていた

赤ちゃんもいました

その赤ちゃんは前の席にいたんですが

途中、何度もお母さんが気が付いて

ミッキーのほうに向けるんですけど

すぐに私のほうを向き直してシミジミと私をみてました

それも1回、2回じゃないですよ。

結構な回数、ミッキーの方を向かされてましたけど

ミッキーよりも私のほうが興味深かったみたいで

結局、ショーの最後まで目をまんまるにして私を見てました。

私はショーを観ていいんだか、赤ちゃんをみていいんだか

困りました(´∀`;A

あと2~3歳ぐらいの

自分殺人事件へまっしぐらな子どもに

異常なぐらい恐がられることも分かりました

私なんにもしてないし

こども大好きオーラを出して

頭の中身は同じぐらいよという気持ちでいるし

他の人にはすぐ懐いているのに

私にだけ、まるで氷のような冷たい表情で

にらんでくるんです

それも1度や2度じゃなくて

私のそばを通るたび繰り返し…

それがねー

大人でもあんな表情しないでしょっていうぐらい

幽霊みたいな冷たい表情をするんです

冷たい表情だけじゃなくて

ものすごく怪訝な複雑な顔をする子もいます

私が抱こうとすると火がついたように

泣く子どももいて

泣き方がいつもと違うとお母さんが驚きます

おととい、

川越スピカフェ「たまのを」に行った時に

ちょうどその場面にあったので

魂のリーディングの三阪さんが子どもが

なんで私を怖がるのかリーディングしてくれたんですが

「なんでその状態で生きてるのが許されるんだ」とか

「まだこのままでいたいのに、私に触らないでくれ」とか

そういうことで私を怖がっているらしいです

「なんでその状態で生きているのが許されるんだ」というのは

要は私が「いのちそのもの」の状態でいるからなんですね

子どもはこのままじゃ生きれないと思って

「いのち」を閉ざそうとしているのに

私の存在がそうとう気に入らないみたいで

泣くらしいですね

いまは「いのち」そのものの子どもも増えてますが

この世を経験するに当たって

全く潰さないで生きる子は少なくて

多かれ少なかれ違和感を感じて

閉ざしている部分はあると思います

閉ざした分、復活した時により強く喜びが感じられるので

その子によるでしょうけど

閉ざして不自由さを味わう喜びもあります

「まだこのままでいたいのに、私に触らないでくれ」は

お母さんのエネルギーの状態が子どもに映って

私を怖がって避けているようですね

私、自分ですごく自覚しているんですけど

私のように「いのちそのもの」の状態で生きることは

いままでの時代においてタブー中のタブーだったんですね

だから私のことが恐い人たくさんいると思いますよ

恐いたって、並大抵の恐いじゃないと思います

いてもたってもいられないような

おぞましさだと思います('ω'*)♪

でも同時にそれは喉から手が出るぐらい

人が欲しかったものなんですね

自分が生きたかったけど生きれなかったものを

堂々と生きている私をみると

無性に腹が立つし、なんだか分からないけど

内側がざわざわする

だから私さえいなければ

そしらぬ顔して「いのち」を閉ざしたまま

生きることもできたのに

私が表れたことによって

自分が「いのち」を生きれていない

死んでいる状態だということが浮き彫りになってしまう

でも死んだまま生きるのも嫌だ

そういう葛藤の中にお母さんがいるから

それが子どもに映って

「触らないでくれ」という状態で

子どもが泣くようですね

謎が解けました  ̄m ̄ ふふ

だから私に興味をもって近寄れる人って

「いのち」を生きることを強烈に求めていて

それをつかみかけている人か

全く見当違いの鈍ちんさんかどっちかなんですよ

中途半端な人達は

私がなんでかしらないけど怖くてしかたなかったり

私が憎くてしかたなかったり

とにかく関わり合いになりたくないという人が

ほとんどのようですね(o^ ^o)

まぁ、テーマが違う人もいるでしょうから

必ずしも私が恐いわけではないでしょうけど

別に私は恐がられても嫌われても憎まれても構わないんですよ

だってそれは本当は私に向けてあるものじゃないくて

その人の自身が「いのち」を生きれなかった痛みだと

知っているからです(○´∀`○)ノ

だから、どんどん私を嫌ってください

どんどん私を憎んでください

だけど、できたらでいいんですけど

嫌うだけで終わらせないで

本当は「いのち」を生きられなかった苦しみが

私に映っているだけで

その苦しみはご自分の中にあること

そのことに気が付いてくれたら

おとぴは本望です

でもね

私はどんなに嫌われても憎まれても

そのままのあなたを心から愛しています

たくさんの想いを経験すること

それが「いのち」の喜びだということを知っていますから

だからそれでいいんですよ

たくさんたくさん憎んで苦しんで怒ってください

この世は落差の中にあるから

苦しんだ分だけ幸せに満ち溢れることでできる

だからあなたはいつでも喜びと共にあるんですよ