さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆自叙伝の続きがなかなか書けないの巻☆

毎日は楽しくて幸せだけど

どこかで浮かばれない想いがある

ブログの文章はすらすらでてきても

自叙伝 の続きが書けない

時期じゃないのかなと様子をみていても

最近は時間が経つのが早過ぎて

気付けば数カ月が経っているが

なかなか時期は来ない

とりあえず読みなおしてもみても

ぎゅっと心臓をつかまれたような緊張感があって

どうにも筆が進まない

最近は当たり前すぎていちいち言わないけど

シンクロは当たり前のように起こるし

願いも当たり前のように叶う

例えばデパートで探し物をしていても

頭で探している時は見つからないけど

頭からっぽでぼーっと歩いていると

気がつくと、行く方向を間違えていたのに

目の前に目当てのもの売っていたりする

そんなことがしょっちゅうある

カラダはどこになにが売っているかだけじゃなくて

どの本のどの辺に私が知りたい情報が載っているかとか

未来の出来事もすべて俯瞰して知っているみたい

カラダにまかせていれば

未来に連れて行ってくれる感じなので

まかせていた

でも、一方で私は具現化能力が高くて

願いが実現化しやすいのを分かっているので

自分が願っていないことには

どうしようもない

とりあえず最近はやりたいことは

とりあえず行動してみて

その時のカラダの反応をみて

自分の望みを知ったりしている

色んな人をヒーリングしていて想うけど

頭の望みと実際の望みってかなりずれていることが多いのよ

ダーリンを応援したいというのも

ひとつの望みなので

ダーリンのセミナーをやっても

楽しいは楽しいけど

どこかテンションが上がりきらない自分がいる

お話会をやっても同じ

楽しいは楽しいんだけど

私が求めているものは、これじゃなない気がする…

セッションを再開しようと計画しても

同じ…

私は基本的にいつでも楽しいから

あえてその場を設けなくても楽しいのよね

幸せだし、稼がなきゃいけないわけじゃない

だからあえてするなら

超楽しいことがいい

私は何が超楽しいのかカラダと聞いてみたら

1. ダーリンと仲良く暮らす毎日

2. 自叙伝を書くこと

3. たまのをでワークをすること

4. 話の合うお友達と話すこと

5. 動物や自然と触れ合うこと だった

2以外は普段、やっていることだった…

私、当たり前の日常で

すでに超楽しいことをやっているのよね

そりゃ、嫌なもんは嫌だってやらないから

結果的に楽しいことしか残ってないはずだわさ

それで、自叙伝の続きがどうしても書けないから

数日前に書けるにはどうしたらいいか

内臓さんに聞いてみたら

答えは

「求めよ。さらば与えられんだった」

結局は私が望んでないから書けない

そういう意味らしい。

そうだね。

逃げていたね。私

本2冊分ぐらいの膨大な量なのに

毎日、夢中になって1カ月半ぐらいで書いちゃったのに

幼馴染の事件が浮上して来てからは

書くのが怖くなって

それでも調子良く書いていても

なんだかんだで邪魔が入って書けなくなってたけど

あれって私が書きたくなかったから

無意識に周りから妨害されるようにしてたんだよね

そんな想いを受けとめながら

再び書き始めると決めた

それでおととい、たまのをに行ったら

友達が偶然遊びに来ていた(o^ ^o)

たまのをの近くに裁判所があるらしく

弁護士の旦那さんの用事についてきて

旦那さんの用事中にたまのをに来たそうな

友達の旦那さんが戻って来て3人で話していて

幼馴染の事件のことを思い出して

説明するのに、スマホで検索したら

いままで見たことないサイトがヒットした

論文 という形で紹介されていたけど

調べたら冤罪ファイル という雑誌の記事だった

(雑誌の試し読みで少しだけ記事が読めます)

新たな情報がゲットできるかもって嬉しくなった

弁護士の旦那さんパワーなのか

この間の私の変化によるものなのか

情報を得るにもタイミングがあるようで

タイミングによって検索しても

時期じゃないとヒットしないみたい

ちなみにネットの検索ってかなり操作が入るなーとは

前から思ってたけど

この前も「ウエサク祭」と検索したら

私のブログが上から2番目にヒットしたといって

遠路はるばる新幹線でたまのをにいらしてた人がいた

私が冗談でつけた「ウエサクおとぴ祭り」が

本家のウエサク祭をさしおいて

検索されるなんて夢にも思わなかったけど

繋がる時はどんなワードでもどんな方法でも繋がるんだよね

それで昨日は歯科に行く予定だったのが

なんと歯科から先生が家族の急病で休みだから

診察日を変えてほしいって電話があった

驚きながらも

昨日、サイトを見つけた時に

国会図書館で見れるって知ったから

早く見に行きたいってことだろうなって思って行って来た

(こういうことを書くと誤解される方がいらっしゃと思いますが

歯科の先生の家族は私のせいで

病気になったわけではありません

それぞれの世界において必要で起こりますし

人間関係は相互関係の元の成り立つので、

どちらが悪いとかじゃないです

私の世界においては、

予定がキャンセルになって時間ができたということです。)

本自体も欲しかったので書店で問い合わせてもらったら

バックナンバーは売り切れだったので

アマゾンで中古を買いました

確かにエネルギーの法則により

必要なことって起こってくるんですが

自分のカラダの状態により、留めたり、遠回りしたりとか

色んなことが起こります

自分が自分を分かることで

心の状態が変わり、行動や周りが変わることもあれば

行動を起こすことで、そこに現れる反応で

自分を知って行く方法もあります

これ両方必要ですね

行動することが、求めていることにもなりますからね

それで初めて国会図書館に行ってきました。

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さりげなくゾロ目嬉しい

手続きを経て記事の場所をコピーして来ましたが

16ページにも渡って事件の詳細が詳しく書かれていました

前に見つけたコラム と同じ記者さんが書いていました

やっぱり冤罪なんだっていう確信と

どうしてこんな意味不明な裁判が行われたんだってことと

私がいままで見聞きしたことと同じことが書いてあって

人様の家のことを書いていいのかなって迷いがったけど

私が知っている以上に詳しく書いてあったので

なんだ…書いていいんだっていう安心感と

それを書こうっていう強い決意と

底から湧きあがってくる深い恐怖で複雑な感じです

お正月明けに

弁護士さんが母親と私の調書のサインをもらいに

実家にみえた時に

まだ再審請求を起こせるだけの証拠には乏しいと言ってました

再審請求が通るには

事実を覆すぐらいの証拠が必要らしく

宝くじが当たるぐらい難しいことだっていうけど

きっと通ると信じています

ブログに書くことで、こんな事件があるんだって

知ってもらえる機会になるかなって思ってます

本当はとても怖いけど、こんな時に

魂のリーディングを受けた時に生まれる前の私が言ってた言葉が

私を励ましてくれます

「この世界が大好き。人を幸せにしたい。人の喜びが嬉しい。

この私がいることでみんなが喜んでいる。

それだけで幸せ。私はそのために生まれたい。」

「私が私のいのちを大切に生きれたら、みんな幸せになれる」

「人と共に幸せを生きる」というのが

私の人生のテーマみたいです

私の人生で経験した二つの殺人事件…

この事件があったから、私は本気で人の幸せとは何なのか

自分の幸せとはなんなのかを求めて来れて

いまの幸せがある

これまで、いのちを生きれなかった自分のためにも

すべての人のためにも

わたしはわたしのいのちを大切に生きるって決めたんだ

いのちを生きることは奇跡そのものだから

いのちを生きる視点からみたら

いままでの常識が作られたもので

いのちを生きる奇跡が当たり前の真実なのかもしれないなって想うんだ

帰りに永田町をお散歩してきました

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国会議事堂

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最高裁判所

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皇居のお堀

自叙伝はこちら

http://blog.goo.ne.jp/sun-otopi

いのちのキセキ

~元精神科ナースの実話に基づく人生を

無限大に面白くするいのちのしくみ~

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