それでね、人が物のように育てられた話について
この前、シニアアドバンスをやったんですが
テーマが「家を継ぐこと」だったの
もう信じられないような価値観がたくさん出てきてびっくりよ
古い時代の女性性を解いていた時も
聞こえてくる声とか
価値観が意味不明過ぎて
ビワさんに電話して聞いたりしたの
それぐらい、いまとは価値観が違うんだけど
そういった価値観の中で育てられた人が
まだまだたくさんいるし
そういう感覚を受け継いできているから
意味不明ながらそのように行動する人も多いと思うの
だから解説しますね
旧世代でとても重要な価値観って
家とかお墓を守ること、継ぐこと
らしい…
そういえば、わたしが子どものころの
ドラマってそういう感じのものが多かった気がするわ…
そ…、そういえば
価値観の違いを説明するには流行りの歌が分かり易いかも
わたしが小学校上がるぐらいまでは
歌番組とかでも、歌謡曲とか演歌が多かったのよ
か…歌謡曲って何っていう、ナウなヤングのために検索したわ…
昭和時代に流行した、日本のポピュラー音楽の総称らしい…
い…いまでいう J-POPよ
旧世代は演歌っぽい耐え忍ぶことが美しいとされていたのよね
一方で、いまのJ-POPじゃ「ピンチはチャンスだぜby.ももクロちゃん」
とか歌っちゃうわけでしょ
そりゃ価値観が違いすぎて、意味分かんないわ
簡単に説明すると
旧世代:演歌 苦労とか不幸な耐え忍ぶイメージ
ゼロ:歌謡曲 聖子ちゃんとか、明菜ちゃんとか
ドラマティックなヒロインって感じ
インディゴ前期辺りから
歌謡曲からJ-POPへの移行していく感じかな
風に向かって行きそうな、自由を求めているようなイメージ
前も言ったけど、その時々、
時代を象徴しているものが自然と流行るのよ
古い世代の生き方を時代遅れだと切り捨てることもできるけど
上の世代人たちから受け継いでいる
生き辛さみたいなものもあってね
それをただ切り捨ててしまっては
若い世代に人たちの生き辛さも解決できないのよ
だから、上の世代の人の生き方をヒントに
より人と人とか生き合うために、どうしたらいいかっていう
考えるきっかけにして欲しいの
結構、インディゴ系の人に多いんだけど
本当は人が大好きなのに
上の世代の人たちのインパクトが強すぎて
地球も人類も滅びろってどこかで思ってたりして
その自分に矛盾を感じてたりするの
わたしもそうだったんだけど、
他にもそういう人が多いみたい
だから、上の世代の人のやり方を排除するような
やり方を無意識にしたりするけど
上の世代の人たちにも、古き日本人の美しさであったり
学ぶべき点はたくさんあるの
ただ排除してしまったら、そういう美しさにも気付けなくて
もったいないから、とりあえず自分が何が嫌だったのか
理解してみましょうってことで、話を戻します
それで家を守ったり継いだりする話だけど
わたし、東京で生まれ育ったから
そういう感覚が薄いのね
でも、わたしと同じアラフォーとか
もう少し下の世代でも地方によっては
そういったものが根付く残っているのかな…
同世代でも、地方出身の人に
町の権力者に友達が手ごめにされた話とか
聞いたことがあって、げんなりだったんだけど
地方だと珍しくないって言ってたから
価値観が全く違うのかな…
なんか逆らうと、家族がその地域に居れなくなるとか
そういう理由だったんだけど
東京出身のわたしには、その危機感が全く理解できないけど
考えただけで、気持ち悪くて吐きそうだわ…
この前、シニアアドバンスを受けた方たちは
50~60代で
旧世代の最後とゼロの間ぐらいの方たちだったんだけど
これぐらいの年代の方って
旧世代的な価値観と新しい価値観の板挟み状態で
上からはそういう価値観を押し付けられ
だけど上の世代に比べたら
締め付けが若干、ゆるくなったから
違和感を感じる余裕が少しでてきた世代だと思うの
その上の世代は戦争を体験しているし
ものすごく締め付けが強すぎて
違和感を感じる余裕もなかったんだろうね
そういった価値観を丸のみにして
必死に戦後の日本を支えて来てくれたんだと思う
だけど、団塊の世代を過ぎたあたりの人から
若干締め付けがゆるくなってきて
若干、そういうものへの違和感を感じ始めた人も
いるんだと思う
たぶん、子どものころから
感じていた違和感がここにきて
ものすごいエネルギーの変化で
浮上しやすくなって来たんだと思う
たぶん、シニアアドバンスを受けた方だけじゃなくて
他でも、旧世代のこういった価値観に悩んで困ったいる人
たくさんいると思うよ
それで、シニアアドバンスで古い世代について
ビワさんが力説して説明してくれたんだけど
人が人として育てられてないの
人じゃないの。物同然なの。
家を継ぐための道具みたいな物なの
もう人じゃなくて、人でなしなの
それぐらい酷いの
って言ってましたが
もちろん例外もあると思いますが多くが
そのような価値観だったらしいです
ざっと説明すると
よく長男信仰って感じで
とにかく家を継ぐ長男が重宝された時代
でも、長男が頼りなかったり
カラダが弱かったりしたら
スペアとして次男がいる
しかもどうせスペアにするなら
若い方がいいから
お腹にいるうちから、親戚の子どもを
養子にする予約をしたり
家を継ぐ長男が大事だから
財産はすべて長男にあげて
他の兄弟には一銭もあげなかったり
家に跡取りがいなくて
近所に子だくさんの家がいれば
うちにひとりちょうだいって会話が
気軽にされていた
とにかく家を継ぐ人が必要だから
犬猫でももらってくるぐらいの感覚で
子どもがもらわれていった
子どもはそんな感じで
人としてではなくて
もののように扱われていて
子どもは自分のものだから
自分の好きにしていって感じで
当たり前に、パシリのように使う
形を尽くすのが大事だから
言葉では感謝をすることもあるかもしれないけど
自分たちも上の世代の人たちに
当たり前に従って、尽くして来たから
それが当たり前だというのも思わないぐらい
当たり前に思っているから
相手に対する配慮が大きく欠けている
とにかく世間体が大事だったらしいですし
婚前交渉がダメな時代なので
できちゃった結婚なんて許されず
それでできた子どもはバレないように
親戚に預けられたりした
当時は家を守ることが大事だし
恋愛結婚は珍しくて、お見合いが多かったから
奥さんが死ぬと、さっさと後妻さんをもらったり
兄が死んだら、弟と再婚させられたりとか
そういうのが当たり前にあった
そこに子どもがいても
子どもは自分のものだから
自分の好きにしていいと思っているから
子どもへの配慮なんかなくて
説明もなしに、突然、母親ができたり、兄弟ができた
でも子どもはそういう行動に対して
疑問を持っても、親に聞けない雰囲気を無意識に察して
何も聞けずにいた子どもが多いらしい
そうやって育った子どもが大人になってから
母親にどうして教えてくれなかったのか聞いたら
「お前はええんじゃ」と一括された人がいたらしい
お前はわたしのものだから
そんな配慮はいらないという意味らしい
子どもに関しても
自分の言うことを聞く都合の良い子は
良い子として喜ばれた
だから、子どもは必死に親の役に立とうとしたらしい
親世代の求める男性像、女性像に沿って育ってきた
人が人として育てられていないから
相手を感じず、事柄だけをこなすように育ち
当たり前に、自分の子どもにもそれをしてしまう親が多い
男性は仕事をしてお金を家に入れる役目
男は偉いから家ではなにもしないでいいという
思い込みを持っている人が多い
女性は、必死で周りの世話を焼いたり
とにかく役に立つことが美徳とされた
相手を感じてないので、とにかく事柄をこなすことに
重きを置いている
例えば相手が病気とか介護が必要になると
自分の活躍する場ができて、
自分の価値を証明できる場があるから
生き生きし始めたりする
だけど親の価値感に合わせて
事柄をこなすことで価値を証明できると思い込んでいるので
それで評価されないと、不平不満ばかりをいう
だけど実際は、相手を感じてないで
まるで強迫観念のように、相手の世話をしているので
相手からうざがられて、感謝されないことが多い
最近、家を継ぐことで説明を受けたことは
思い出す限り、ざっとこんな感じです
お昼にこれを書いていたら
異常なぐらいお腹が空いてきたんですね
ものすごい飢餓感なんですが
次は、飢餓感に関して書いた方がいいかなってことで
つづく