今週の日曜が一年で一番エネルギーが強いという
5月の満月ですが
すでにそうとうエネルギーきついですね
カラダが重いし、やたらと眠いし
日常生活もままならないような感じです
ごはん作る気力もなくて
ここしばらくは、外食続きです
作っても、ごくごく簡単なもの
ダーリンのお弁当は冷食ばかりです
エネルギーに敏感な人には
そうとうキツイと思うので
自分で自分に負荷をかけずに
さぼれる所は、さぼって
無理なさらずに、できる限り休んでください
5月が一年で一番エネルギーが強いなんて
こんな理由があるとは知らずに
わたし、昔からよく5月病になっていたんです
今年は特にすごいです
もう一月から、5月病になるような
強烈なエネルギーがずっと降り注いでいて
ここに来て、ひとつのピークを迎えているみたいです
強いエネルギーにさらされると
いままで隠れてた部分まで浮上するんです
例えて言えば、いままで薄暗い中で生活していて
部屋の汚れが分からなかったけど
急にLEDの電球がついて、汚れが目立つようになった感じです
だから、いつもより明るいのを活かして
一気に掃除をするチャンスでもあるんです
それでね、先週、自分殺人事件のことを書きましたけど
その後にカラダを感じていて、自分の本来の感覚を見つけたんです
カラダってすごいなーって思うんですが
人によって場所はさまざまですが
カラダに自分の本来の感覚を隠してたりするんです
わたしも感覚解きをしていて
ここに何か隠してあるなーって目星はつけることはできるんですが
時期でなかったり、自分の準備が整ってないと
感覚に当てることができないんです
それで、前から目星をつけていた場所があったんですが
自分殺人事件の記憶を思い出したことで
時期が来たみたいで、その感覚を感じることができました
人ってね、だいたい真逆の自分を生きているんですよ
アドバンスであったり、プレミアムであったり
色々とワークをやってきましたが
だいたい掘り下げると、真逆の本質がでてくる
一見、気弱そうな穏やかな人は不動明王や仁王様みたいに
内面が強かったり
ぶりっこしている人は、男前なぐらい強い自分がいたり
あー、分かり易いのでいえば
上の世代の人ですぐキレるJJI(じじぃ)いるじゃないですか
あれは、気が弱いからです
気が弱いから、自分を大きく見せようと張って行く
本当に強い人はやたらめったらキレないですよ
まぁ、すぐキレるのは、負け犬の遠吠えみたいなもんですね
そういった虚勢に騙されて振り回されないでください
結局、人は幼いころに、なんらかのきっかけで
ありのままの自分を生きれないと
強く思い込むんでしまって、本来の自分の質とは
真逆のことをやりはじめてしまって
その真逆の自分が、自分だと勘違いしてしまいます
真逆っていっても、真逆さは
強い⇔弱いとか、一辺倒じゃなくて
人によってさまざまだし
人によっては、幾重にも違えてたりします
それで、わたしの本質の感覚は
自分でいうのもなんですが
例えて言うなら、天使みたいな子でした
人の悪意が分からないみたいで
怖がって小さくなって怯えているような感じで
でも、人を疑うこととか責めることとか
そういう感覚もないみたいで
それでも、ただたた人を愛している、そんな子でした
表現するなら
内容そのままって感じのことを考えていそうな
純粋そのものの子でした
自分でもなんとなく予想はしていたんですが
いざ、感覚でそれを感じると
結構、びっくりしました
記憶にあった、わたしは猪突猛進って感じの
まっしぐらな子だったんですけど
その真っ直ぐさすら
恐らく、自分を殺すようにして
身につけた生き方だったのかもしれません
怖くて堪らないから、周りを振り切るように
突き進むしかなった想いが
猪突猛進って感じにみえたのかもしれません
ものすごく気が強い時期もありましたし
周りからは、
物事に動じないようなイメージが持たれてましたけど
強くなろうと頑張って創り上げてきた自分像が
それなんだろなって思います
そういえば、思い出したんです
小さい時に、お友達から仲間外れにされて
それでも、遊んで欲しくて追いかけて行ったら
何人かのお友達に囲まれて
代わる代わる、突き飛ばされたんですね
それで泣きながら帰って来て
そんなことを何度か繰り返しているうちに
キャンディキャンディみたいに
強くなろうって決意をしたことを
そんなことを思い出しながら
その本来の自分の感覚を感じられて
すごく幸せな気持ちに包まれたんです
でも、良い状態を感じると
悪いものが浮き出るって法則があって
良い状態を感じたあとに
その自分との差異みたいなものを感じて
返って具合が悪くなったように感じることがあります
単純に良い悪いではなくて
それがあることによって違いが分かるので
必要なことではあるんです
ただゼロより上の世代の人は
感覚の連続性がない人も多いので
全く違う感覚になったとしても
まるで、前から当たり前のそうだったわよって
違和感なく受け容れられるので
別に差異を知る必要なない人もいます
(新ゼロもそういう人が多いかな)
ただ違いが分かることで
より自分を深められるので
自分を深めるのが好きな人には
そういう現象が起こる感じがします
それでね、本来の自分を純粋性を感じた後は
こんな純粋無垢で、人を疑うことを知らないのに
あれだけ気を強く張って生きてきた自分が
切なくて、それを考えると涙がでてくるし
あの純粋さから見たら、この世界がどんなに
恐ろしく感じたかと思うと、自分がとても可哀そうになりました
でも、そうした真逆の経験って無駄じゃなくて
その人の幅を増やしてくれるっていうのかな
違う自分を生きることで、より深く自分を知ることができるし
その間の色んな経験があることで
人のことも理解できるようになる
(ただ世代によってテーマが違うので
新しい時代に生まれて来ている子たちは
そういう設定じゃない子もたくさんいると思います)
それに真逆の本質がでてきたからって
いきなり180度性格が変わるわけじゃなくて
いままでの経験を活かしつつ
その本質の感覚を生きるように
自然となっていくようです
ただね、本当の自分は生きれないって
堅く思い込んで来たし
前時代だと、本来の自分で生きようとすると
潰されてきたんです
まるでゾンビが生きている人間を襲うみたいな感じで
多くの人はゾンビのように
(感覚的には)死んだけど、生きていて
まだ死んでいない人間をみると
衝動的に襲いたくなるんですよ
いま、考えると
襲う理由なんて、めちゃめちゃですよ
とにかく隙あらば徹底的に死ぬまで攻撃されるんです
前に、人の世に襲われる感覚って
進撃の巨人みたいな感じだっていいましたけど
ゾンビと進撃の巨人を足したような感じですね
どっちも元々は人間ですしね
闘いたくないけど、やらなきゃこっちが殺られる
それぐらいの恐怖の中、
本当の自分を封じているので
本当の自分を生きようとすると
その恐怖が立ちあがってくるんです
でもね、時代が完全に変わったので
人の世のエネルギーがすごく衰えているので
実際は昔ほど恐くないんです
ただ自分を生きようとすると
まるでその恐怖を想起させるように
邪魔が入ることもあると思いますが
とにかく自分に正直に、
恐怖で物事を選択するのではなくて
自己犠牲であったり犠牲を伴うものではなくて
自分自身が本当に望むことを選択してあげてください
人の目が気になるとか
相手を怒らせるのが恐いとか、
恐怖からくる選択や犠牲を伴う選択は
余計に物事をこんがらせるだけです
例えば人助けにしても
それを自らが望んでするのか
上記のような理由によって行うのか
その感覚の違いによって
全く同じ物事をこなすのでも
結果が全く違ってくるんですね
そういったことを踏まえて
つねに自分を気に掛けて
本当の自分の望みを生きてあげてください
それぞれの人にまだまだ
恐怖の記憶があるので
自分の望みを生きようとすることにも
多少、抵抗はあるかもしれませんが
そういった抵抗の中でも
一歩一歩、自分を確認してあげてください
そうした積み重ねが
のちのち、大きな一歩になることを忘れないでください
☆ウエサクおとぴ祭りのお知らせ☆