さん☆おとぴpresents いのちのしくみ

2017年1月にアメブロからお引っ越ししました。過去記事保存用なので、たぶん更新することはないと思います。

☆ヒメアノ~ルと元少年Aのはなし☆

ヒメアノ~ルって映画を観てきました

 

 

※かなりヘビーな内容なので

恐いのが嫌な方は閲覧注意です

 

 

ダーリンと映画を映画を観に行こうと思って

何か面白そうなのがないかなーと探していて

レビューで好評なこの作品を見付けて

元少年Aの『絶歌』に出てきたマンガが原作だったので

興味を持って観てきました。

 

 

ネタばれにならないレベルで

ごく簡単に説明すると

学生時代にひどい虐めを受けていた男性が

殺人鬼になるストーリーなんです

 

 

わたしが観たいのに付き合ってもらって、

ダーリンは乗り気じゃなかったんですが

ずいぶん面白かったようです

 

 

作品自体もよくできていて面白かったんですが

わたしには、そのストーリーが悲しすぎて

最後の方は涙が止まらなかったです

 

 

色んな感覚の解放をするのに

映画でプチ追体験をして解放する方法もあるので

参考までに

なぜ、この映画がわたしにとって

それほど悲しかったかを説明しますね

 

 

あくまでわたしの捉え方なので

作者の方とか監督がどういう意図で

作品を作ったのかは分かりません

 

 

わたしの解釈で、簡単に説明すると

虐めらていたのに殺人鬼になったのは

やられたことはやりかえす

痛みの連鎖なんだと思うんです

 

 

でも単純にそれだけじゃなくて

幼いころの、感覚的に殺された痛みとかも

関係してくると思いますし

それを言えば、虐めた方も、誰かから

それだけの痛みを受け取ったから

そうなったんだと思います

 

 

幼いころに感覚的に死ぬのも

それをやり返すのもさまざまなんですよ

 

 

明らかに暴力的に威圧して育てられて殺されたり

見た目は優しく形を尽くしていても

感覚的に威圧されて殺されていたり

 

 

とにかくすべては感覚で受け取っていて

すべては感覚で再現されるんです

 

 

行動ではないです

それをする人、受け取る人の感覚で起こります

 

 

人って頭じゃ理解できないですが

思っている以上に色んなエネルギーを共有しています

 

 

ずいぶん前に(3~4年ぐらい前かな?)、

ダーリンが帰って来た時に

ダーリンが青いガチャピンに見えたことがあって

 

ガチャピンに見える」っていったら

 

帰りの電車で目の前に青いガチャピンの広告があって

ずっとそれが視界に入っていたらしいんです

 

 

ただ見ていただけのものですが

その人の感覚に知らず知らずに入りこんでいて

 

 

そして、そんな広告を見てたことを知らなくても

わたしは、それを感覚でキャッチしたんです

 

 

この時はなぜかたまたま、それをキャッチしましたけど

たぶん、普段から人は知らず知らずに色んな情報を

受け取って共有しているんだと思います

 

 

これと同じような感じで

自分殺人事件の感覚も伝わるんです

 

 

例えば目に見える行動ではただ叩いただけでも

感覚的にはナイフで刺すような感覚だとしたら

感覚的には刺された衝撃が伝わるんです

 

 

ただ怒っただけでも、心の中では

殺したいほどの憎悪で怒っていて

その殺し方が絞め殺すような感じだと

絞め殺された感覚が相手に伝わっています

 

 

元少年Aの話しを、たまのをでしていた時に

被害少年の首を切って、さらしておいたということは

元少年Aは幼いころ、感覚的にそうやって殺されたんだって

話しを聞いて、身の毛がよだつような思いでしたけど

いま、考えると、本当にその通りなんだと思います

 

 

良い悪いじゃないんです

やられたことを無意識にやり返す

これは抑えられないような衝動ですし

それをしている瞬間って、感覚的に完全に麻痺しているので

そういう自分をとらえられないし

とめられないんです

 

 

ただね。多くの人は感覚的にやられたら

感覚的にやり返すんですよ。

もう日常的に、人は感覚的に殺し合っている

 

 

叩かれた人はそのまま叩くことで連鎖することもあれば

 

叩かれても叩かないで、感覚でやりかえす人もいる

 

それぞれなんですが

暴力で返すとしても、実際に人を殺すほどの人って

少数じゃないですか。

 

 

単純にいえば、それだけ内的な殺され方が

ものすごくて、傷が深いってことでもあるんです

 

 

「ヒメアノ~ル」に関しては、高校時代のいじめが主で

子ども時代までは、描かれていなかったので分からないですけど

 

 

元少年Aがこの物語のモデルだと言われているらしいんですが

元少年Aでいえば、奇妙なお母さんが大きな原因だと思うんです

 

以前『絶歌』を読んで感じたことはこちらに書いてあります

☆【閲覧注意】おとぴのひとりごと☆

 

☆感覚を消す人たち①☆

 

☆感覚を消す人たち②☆

 

 

色んなサイトで元少年Aの母親のことが書いてありますが

 

たとえば、はせじゅんくんの父親が書いた手記に

じゅんくんが行方不明になって必死で捜索している時に

留守番を買ってでてくれたのはいいけど

たまごっち3個を育てていたり

息子の自慢話をしていた

 

 

とか、出元は確認できなかったから

本当か分かんないんだけど

事件後に出した手記の印税を遺族に一銭も渡さずに

息子の大学受験費用にしようとしたり

豪邸を立てる資金にしたとか

 

 

 

とにかく行動が奇妙なんですね

 

 

わたしがワークとかで色んな人と接して来て思ったのは

目に見える形で虐待されたとか

お母さんが怖かった人は

まだそのことが捉えられるからいいんですね

 

 

一番、ひどい虐待はネグレクトだっていいますけど

それでも、まだ無視をするって

機嫌が悪いからとか、なんとか理解できる

理由がありそうじゃないですか

 

 

わたし個人的にもっとひどいと思うのが

元少年Aの母親みたいに

行動と言動が大きく解離している母親に育てられた人だと思うんです

 

 

そうはいっても、人は多かれ少なかれ

感覚が潰れているので

行動と言動は多少は解離していますよ

 

 

それでも、会話が成立する人はまだ救いがあるんですが

 

 

こういう会話が完全にすれ違っているケースは

子どもが、それを理解できなくて

ものすごく気食悪い想いをするんです

 

 

しかも一見、自分のことを思っていそうだし

世間的には、良いお母さんに見えなくてもないとしたら

その違和感を、自分で理解することが極めて難しいと思うんです

 

 

それこそ、理解する頭と

感じるカラダを完全に切り離さないといられないぐらいだと思います

 

 

それが、事件で再現されたんじゃないかと思います

 

 

そうはいっても、お母さんも

そういう状態だから、こういう言動ができるのであって

母親もまたそうやって感覚的に殺されたのが、

連鎖しているんだと思います

 

 

別に元少年Aをかばう気はさらさらないですよ

 

 

ただ感覚的にはこういうことが起こっているんじゃないかっていう

推測をしてみました

 

 

なぜお母さんは感覚的に殺したのに

元少年Aは、それを実際に行動したのかっていうと

 

 

わたしが思うに

ひとつに元少年Aの新ゼロ世代ぐらいから

感覚がものすごく良くなっているので

より強くその感覚を受け取ったんだと思います

 

 

あと人は真逆の自分を生きるというしくみから

元々の元少年Aがそれだけ純粋で優しかったんじゃないかと思います

 

 

 

何度もいいますが、元少年Aを擁護しているわけじゃないですよ

 

 

ヒメアノ~ルを観て、その背景にこういうことが

あるのではないかと推測するわたしにとっては

それがあまりにも悲しかったから

それを伝えたくて、書いてみました

 

 

この世には、潜在的にこういうしくみがある

 

 

それを理解した上では、

安易に色んなことを批判できないなって思うんです

 

 

もちろん罪を犯すのはダメですよ

 

 

でも、それすらも痛みの連鎖の上でのことであるならば

それを責めてもその連鎖を終わらせることができないと思うんです

 

 

わたしたちにできることは

少なくても自分だけは、こうした痛みの連鎖を

次世代に引き継がないように、

自分を大切にしていくことだけだと思います

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆6月のおとぴのおうちお茶会&おはなし会☆