あー、そうそう
あと前時代の癖で気になるのが
よくこのブログでもでてくるけど
やっぱり、上げ下げなのよ
人を見下したり、マンティングしたり
持ち上げたりへりくだったり、
媚びたりりするやつね
これ書いていると
すっごいムカついてくるんだけど
わたし、この上げ下げがとにかく大嫌いなのね
されるのも、してるのを見ているのもムカつくけど
それ以上に、それを同じように
やってきた自分にクソ腹が立つ
とにかく人は相手を自分より
上か下かで判断するよね
相手を落とすことで、自分を優越感に浸って
自己価値を見出したりしたり
勝手に相手に劣等感をもって媚びてみたり
もう本当にみんなが当たり前にやっているけど
すごく不自然なことだよ
そうはいっても、わたしもさんざんやってきたんだけどね
自分に戻れば戻るほど
良い意味で人が気にならなくなっていったのね
一方で、我に帰れば帰るほど
どれだけ自分がその癖の中に
どっぷりはまっていたかも思い知らされたの
最近でも、般若やなまはげ系の
恐い人を見ると、とっさにもめないように
問題が起きない様に場を治めようとしたりするよ
そうやって相手に媚びるようなことをすると
余計に相手が乗っかって来るから
何の解決にもならないんだけどね
長年やって来た癖だから
とっさに出ちゃうんだよ
その度に後で振り返って
そんな自分にムカついて
イメトレして次には言えるようにしているよ
それで結局、相手に言う機会がなくても
自分が感覚的に納得できれば
それで、落ち着いて楽になれるし
そういう場面に遭遇しなくなることもあるよ
遭遇したらしたで、イメトレの効果で言えるようになっているし
とにかく普段から、自分の正直な想いに気付いて
意識化しておくのが大切なのよ
怖くて無意識に隠していたら
何を言いたいか、それすら分からなくて
ただ怖くて混乱するから
そうそう、どうして上げ下げするかっていうと
単純に上の世代からそういう連鎖が続いているのもあるけど
そういう連鎖から抜けれない人が多いのは
これがひとつの大きな原因じゃないかって思うんだけど
聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥
って教えられて来て
知らないことは恥ずかしいっていう強い思い込みがあって
そういう所でも、知らないことがある人を
バカにしたり、見下したり
逆に自分より物事をたくさん知っている人に
劣等感を持ったりするけど
実際のところ、別に一生知らなくてもいいことってたくさんあると思うの
わたし社会科が苦手過ぎて
いまだに、何度聞いても
別に困ることなく生きているし
ダーリンが賢いから、聞けば何度でも教えてくれるし
知っているけど、バカにしたりしないで何度でも教えてくれるよ
一方でダーリンは自分の興味のあることに関しては
すごい知識と記憶力だけど
興味がないこと、例えば何度も行ったことあるコンビニで
「こんな所にコンビニがあったんだ」って行くたびに言うから
ボケているんじゃないかって思うぐらい
道とかお店とか、興味のないことは
あんまり覚えようとしないからびっくりするのね
でも、わたしが憶えているから困らないし
わたしが分からなくても、
いまはカーナビもあるし
スマホだってあるから、分かんないことがあれば
検索すればいいだけじゃない
そもそも、すべての分野において万能なんて無理に決まっている
そうやって互いに助け合って補い合えばいいと思うの
知らないことが恥ずかしいって
ネットが普及する前の文化って感じがすごくする
なんかね、日本人って
恥を知れ!とかいうし恥ずかしいこととか
みっともないことを嫌う人が多い気がするのね
特にわたしより上の世代の人ってすごくこの風潮が強くて
旧世代の必殺!!手のひら返しなんてまさにって感じなんだけど
必殺!!手のひら返しとは
Aといってたのに、結果Bだった時に
最初からBだと思ってたようなことを言いだすこと
別に間違ってたっていいし
勘なんて外れたっていいんだけど
「やっぱり」、「そうだと思ったわ」とか
わたしはすべてお見通しってのが
大好きな人が多い印象があるの
これね、間違えちゃいけないって
ある種の強迫観念みたいなものじゃないのかな
だって、手のひらを返しをされたほうが
「この人、頭大丈夫かな?」って心配になるけど
それが分からないぐらい、間違えることが恥ずかしいのかな
とにかく間違えてはダメだっていう思い込みが強い感じがあるの
更に上の世代の人から
それをされて来ているっていうのもあると思うけど
たぶん強烈に枠にはまることを強制されてきているから
間違えること=枠からはみ出ることなのかもしれない
だから間違えることを極端に嫌うのかなって思うよ
ついでにいうと、正しさにすごくこだわるのが多いのも
こういう理由からじゃないかなって思う
いつも言っているけど
正しさがあるのであれば
自分の中の感覚とのフィット感だけなのね
現実的なことが正しい正しくないよりも
自分の中で感覚的に腑に落ちることが大切なの
時には失敗して学べることだってあるのに
正しさにこだわっていたら、それが見えなくなってもったいないよ
そもそも、旧世代の人は
目先三寸しか見えてないから
必殺!手のひら返しをしている
整合性のなさを捉えられないし
ついでにいうと自分の中で感覚的な
フィット感を捉えることも難しいのよね
インディゴ前期ぐらいからは
その整合性のなさをとらえられるようになるのね
そうすると、全く真逆なことを
まるで最初から行ってたぐらいの勢いで
言い始める上の世代の人たちに
ものすごい不気味さと恐怖を感じて
見ない様に、それに気付かない様にしているか
逆にすごくバカにして、見下している人が多いのね
バカにすることは仕方ないのよ
上の世代の人たちから
散々、バカにされて見下されて来ているから
それを反射的に人にやり返してしまう
これは衝動のようなものだから、なかなかすぐにはやめられないけど
そういう自分に気付いて、意識化していってあげて
あとね、これとくにゼロの世代の人たちに多い気がするんだけど
誰かが何か知らないことがあると
「えー、そんなことも知らないのー」
ってすごくバカにして見下す
なんか、どんなことでも
自分が知ってて、相手が知らないと見下しポイントみたいで
まるで水を得た魚のように生き生きとバカにしだすからびっくり
わたし、昔からすごく不思議だったの
例えばね、若いころに
英語が得意なゼロ世代の友達に、
何かの英単語を分からなくて聞いたら
「ええーそんなことも知らないのー」ってバカにされて
しばらく言われ続けたし
おとぴは、そんなことも知らないって言いふらされたんだけど
そんなにメジャーな単語じゃなかったから
別に知らなくても困んないと思うのね
しかも、その友達は高校中退かなんかで
別に勉強熱心な訳じゃなくて
たまたま英語だけ好きだった感じなのね
普段は別に学歴とか気にしないんだけど
そうやってバカにされると
高校中退のあんたに言われたくないよって
思って、結局、見下し合いになるのよ
しかもね、だいたいこういう知らないことを
見下すタイプの人って
頼んでもないのに、知らないなんて可哀そうだから
教えてあげるわって
親切の押し売りなまはげバージョン的をするから
すっげー迷惑だし
たいしたことがないのに、大げさに可哀そう呼ばわりされるから
心底不快な気分になるんだよ
こういう人には、相手をせずに
「興味ない」ってさらっとかわした方が良い
結局、ゼロ世代の特徴である女優が全面にでて
「何もしらない可哀そうな、
あなたに親切に教えてあげているわたし」に酔っているだけなんだけど
こういう人は、自分の芝居に付き合ってくれる人と
くれない人を感覚的に区別できるのね
それこそものすごい嗅覚で区別するからびっくりだよ
だから相手してくれる人には、しつこくやってきて巻きこまれて
ストレスがたまるだけだよ
ちなみに芝居の中でも
自分が主役で、相手はその他大勢の雑魚だから
そういう所でも見下されているんだけどね
こういう人の不自然な上げ下げに気付いて
巻き込まれないようになってね
そうして距離をとってみて
それまでの自分の不快さ悔しさを自分が分かってあげること
そうすることで、変な上げ下げの癖が抜けて行くから
まだ告知していませんが
8月のおはなし会は8月11日(山の日)の予定