うー、気持ち悪い
ヘビ系のはなしをしていると
よくアダムとイブの話しがでてくるのね
わたしは宗教に興味が無いから
よく知らないんだけど
博学な人たちは、ヘビから聖書のはなしを連想する人が多いみたい
聖書にある、智恵の実と生命の実のはなし
神が食べることを禁じていた
知恵の実を、ヘビがアダムとイブをそそのかして
食べさせたはなし
これも最初に女性であるイブがそそのかされて食べたらしいんだけど
その辺りも、女性性とヘビエネルギーの関係性の深さを
物語っている気がするのね
なにぶん、わたしはこのことを語れるほど
知識がないから、原罪についてとか
アダムとイブのはなしをネットで調べてたら
頭痛くて、気持ち悪くなってきて
どうにも、そういうサイトのエネルギーが
閉鎖的な窮屈な感じがあって
人の思考能力を奪うような感覚になって
わたしには気食悪く感じるの
いくつかの、サイトを見ただけだから
全部がそうとは限らないと思うし
そういうのを感じないものもあるのかも知れないけど
この閉鎖的な窮屈な感じって
ヘビエネルギーに感じるものとすごく近いし
ここ1カ月ぐらい、感じてたものとすごく似ている
だから、いまの時期のシフトに
このエネルギーがすごく大きく関係していると思う
あー、あのね
これを書いておかないと
ほとんどの人が誤解するだろうから
一応、書いておくけど
わたしはヘビエネルギーを感じる
そういうサイトが悪いって書きたいんじゃないのね
ただ感じたものを書いていて
いま、必要な情報を読み解いているのね
ほとんどの人はそれを良い悪いで判断して
あー、そういうサイトは悪なんだとか
宗教にはまっていると、ダメなんだとか
宗教やってないわたしは大丈夫とか
そこに良い悪いの判断が加わってしまうのね
多くの人は
そうやって善悪で判断してジャッジすることで
自分を感じることから逃げているのね
だから、良い悪いで判断すること自体が
ほとんどの人がひっかかるポイントだし
これこそヘビエネルギーのなせる技なのね
こういった善悪で判断する感覚が
人に深く根付いているから、
人が人よりも優れた人間になろうとして
人を蹴落としたり、色んな欲望に走るの
前にも言ったけど
欲自体は生きるために必要なものでもあるから
なくす必要はないんだけど
多くの人が翻弄されている欲って
原始的な生きるためのものであったり
自分の本来の目的を果たすためのものではなくて
承認欲求から来るものが多くて
色んな欲望に囲まれることで感覚を麻痺させるし
麻痺させたことで、より強い刺激を求めるって言う
無限ループの中に人はいるのよね
突き詰めていくと、こういった欲求って
ヘビエネルギーによるものだと思うから
聖書にすごくリンクするのよ
アダムとイブが食べた知恵の実は
神と等しき善悪の視点を手に入れるって
ヘビにそそのかされて食べるらしいけど
そもそも神は善悪で物事を判断しないと思うよ
この世のすべてはエネルギーだから
すべてはエネルギーで引き合い
エネルギーによって起こるし
神様は、主にこのエネルギーを視ていると思うよ
どんなに形を尽くして良いとされている行動をしても
それが承認欲求から来るエゴまみれだったら
神様にはエゴのエネルギーが際立って視えると思う
人はこのエネルギーを感覚によって
知覚できるから、すべては感覚だって言ってもいいと思う
だから良い悪いじゃないのよ
すべてはこの感覚にフィットしているかどうかだけなんだけど
人は感覚が麻痺しているからそれを感じられない
感じられないから、どうするかっていうと
善悪というものを作り出して判断するしかなかったんだと思うの
感覚があれば
自らの中に神を感じることができるから
外側の何かにすがる必要なんかなくて
自分の感覚を当たり前に信じていればいいんだけど
それができないから、外側に神を作り出して崇めたのが
宗教なんじゃないかって気がするのね
だからそういった宗教的なものにも
前時代的な善悪で判断するヘビエネルギーを強く感じるのね
特定の宗教がどうのとかじゃなくて
色んな宗教にヘビエネルギーがからんでいる気がする
ヘビを祭っている神社とかも多いけど
前時代の神的エネルギーには
ヘビがそうとうからんでいる気がするの
だけど、ヘビが悪い訳じゃなくてね
ヘビ本来のエネルギーって
もっと神々しくて、知的で聡明な感じがするの
わたしはボキャブラリーがないから
表現が難しいんだけど、
意地悪かったり、強欲な感じじゃないのね
人の欲とかでそうとうエネルギーがゆがんでしまっている感じする
そもそもね、感覚が生きていたら
必要なことって、全部、感覚で分かるから
してはいけないこと、相手が嫌がることも感覚で分かるから
そこに善悪の判断なんて必要ないのね
これね、感覚的なことだから
頭で生きている人には伝わらないと思うけど
必要なことって閃くように思いつくし
必要無いことって思いつかないのよ
善悪で判断することもそうだし
物事を形で決めつけて判断することもそうなんだけど
そうやって何かを決めつけても
この世は流動的にいつも動いているから
いつも同じ方法が良いとは限らないじゃない
そういうのも、感覚的に生きれていたら
無意識に察することができる
例えばね
時間を守らないといけない
遅刻しちゃいけないって、
善悪で判断すると、そうなるじゃない
でも、不思議となんか待ち合わせに遅れそうになっても
急がないでいい気がしていると
相手から遅れる連絡が来たとするじゃない
そうしたら、「ラッキー」って感じで焦らず
のんびり行くことができる
それを遅刻しちゃいけないって
頑なに思いこんで急いでいる時に連絡が来たら
わたしがこんなに急いでいるのに、気軽に遅れやがってって
すげームカつくかもしれないけど
こっちも急がなくていい気がしてたら
「わたしも遅れそうだから、焦らないで来てね」って
落ち着いて連絡できると思うの
それって別に相手に気を使って
本当はムカついているのに、我慢して
大丈夫なふりをしたとか
無理しているとかじゃないのね
相手と自然と通じ合っていれば
互いの無理のないように、無意識に行動できるのね
人は本来、そうやって通じ合って
互いのことを自然と察知して、
通じ合って、想いやって生きることができるのに
善悪の判断がそれを狂わせるんだと思うの
わたし、色んなタイミングがいいらしくて
よく人から驚かれるんだけど
わたしにとって、それが当たり前のことだから
それが特別なこととか思っていないから
それで得意になったりしないのね
きっと、そこでタイミングばっちりなわたしすげーって
なると、タイミングが合わない時は
ダメなわたしになるだろうし
そうやって判断することで、また感覚がくるっていくと思うの
こうやってタイミングがあう時もあれば
天体の影響とかで、合わない時もあるけれども
この世は一辺倒にできていないのが
この世のすごさでもあるのね
そもそもね
いのちは無限であるけど
肉体は有限なのね
無限の存在であるわたしたちが
肉体を持つことで有限となる
無限と有限
対極するものを同時に持っていることで
人は色んな矛盾にさらされるの
肉体を持つことで、
初めて矛盾を経験できるから
矛盾を経験することも生きる喜びであるのね
だけど、頭で考える形を生きる世界だと
矛盾には対応できないのね
これが、前時代の色んな混乱の大きな原因のひとつだと思うの
前時代の人たちは
この矛盾を修正できなくて
矛盾をとらえられないし、把握できないから
余計に感覚を麻痺させて来たんじゃないかなって気がする
麻痺しちゃっているから
結果、手のひらを返すような発言をしている自分を
とらえることができないんだと思うの
そもそも矛盾は、修正する必要がないというか
修正とかいう概念ではないのね
矛盾は生じてしまうのは当たり前なんだけど
問題があるならば、矛盾につまづく感覚だよね
そのつまづく感覚があるうちは、矛盾の先の領域には行けないと思う
この矛盾につまづく感覚こそが
前時代的な形にはめたがる性質であったりとか
善悪で物事を判断するがためにできあがったものだと思うよ
それで、ヘビエネルギーと原罪のはなしに戻すけど
わたし、色んな人と接して来てね
特にヘビエネルギーが強い人に、これを強く感じるんだけど
人は
自分ではない何かになりたがる
ようにしか見えないのね
色んな欲望に走るのもそうだし
承認欲求に走るのもそうなんだけど
求めれば求めるほど、自分から遠ざかっているし
自分ではない、なにかすごいものに
なりたがろうとしているようにしか見えないのね
そうそう、原罪だけど
人は生まれながらに罪を背負っているって
わたしは人が背負っている最大の罪って
自分を生きないこと
すなわち
いのちを生きないこと
だと思っているの
だから、罪を背負った人は
無意識に自分を生きないように、生きないように
無意識に自分ではないものになろうとしているんだと思う
つづく